「透明性の確保」とは、ヒト、モノ、カネの『情報』がキチンと整備され、かつ更新されている状態にあり、その情報にいつでもどこからでもアクセスできることを意味する――。これが私なりの「透明性の確保」の定義である。さらに、ここで言う『情報』にも、様々なレベルがあり、建設プロジェクト単位の情報から、工種ごとの情報、産業全体の情報までその範囲は広い。
「透明性の確保」とは、ヒト、モノ、カネの『情報』がキチンと整備され、かつ更新されている状態にあり、その情報にいつでもどこからでもアクセスできることを意味する――。これが私なりの「透明性の確保」の定義である。さらに、ここで言う『情報』にも、様々なレベルがあり、建設プロジェクト単位の情報から、工種ごとの情報、産業全体の情報までその範囲は広い。
『建設業に携わる人たちが、誇りを持って、それぞれの技術や技能を発揮し、その正当な対価を得られる“真っ当な産業”に再生する』―建設業を再生するには、それ以外に道はない。いまの建設業が「真っ当ではないのか」と反発されそうだが、世間一般でそう受け止められていることは残念ながら否定できないだろう。無理難題ばかりの発注者、請け負け(うけまけ)体質が染み付いたゼネコン、談合体質の抜けない下請業者、そして建設業にパラサイトしてきた政治家など―とても真っ当な業界とは思えない状況を生み出してきたのは、建設業に関わってきた人たちの連帯責任である。
私自身、建築学科を卒業しながら、ひょんなキッカケで新聞記者という商売を選択し、はからずも「文章を書くこと」が生業となってしまいました。
「官僚に、現状を打開するような画期的な施策を求めたって無理だよ。政治家や学者、それにジャーナリストといった人たちが本来、果たすべき役割じゃないの?まあ、そういう人たちだって全く機能していないしねえ…」―つい最近のこと、国土交通省の大物OB氏と議論していると、官僚バッシングにはもう辟易したって様子で、そんな言葉が飛び出してきました。
インターネット上でも、あまり好ましいことではないでしょうが、まず蔑称(べっしょう)の話から。新聞は、非常に差別用語に敏感です。現在では読者があまり気にも留めないと思われる用語でも自主規制して使わないぐらいですから、私もこんな話題を書いたことはなかったのですが…。
建築業界を記者という立場で取材している限り、建築家の評価は必ずしも良くないのは、なぜなのでしょう。ゼネコンや工務店といった施工業者から聞こえてくるのは、建築家をはじめ設計者に対する批判ばかりなのです。
歴史に残るような建造物を設計・施工する―建築家なら、そんな想いを作品に込めながら仕事をしているのかもしれません。専門家向けの建築雑誌などを見ると、毎月数多くの作品が掲載され、作品に対する想いが熱く語られています(ただ、そうした想いが、一般の人々にどこまで理解されているかは、はなはだ疑問ではありますが…)。
「建築家って、何をする人なのでしょう?」―ジャーナリストというのも、今ひとつ判りづらい職業ですが、建築家も、よくよく考えてみると、非常に謎に包まれた職業であるような気がしてきます。建築関係者以外の人に冒頭の質問をしたら、最も多い答えは、きっと「建築設計図を書く人」くらいかもしれません。ただ、えらい建築家の先生が実際に図面を引いているなんて、あまり聞いたことがありませんが…。