日本の建設業界には、前近代的な言葉が現在も数多く残っている。その象徴的な言葉が「施主」ではないだろうか。施主=「施(ほどこ)す主(あるじ)」。漢字だけを読めば、発注者に対して必要以上にへりくだった印象を受ける。一般的に使われている「お客様」という言葉にはない「卑屈さ」さえも感じられる。

 私も、自邸を数年前に新築して一度だけ「施主」を経験した。「棟梁をはじめ職人たちが良い仕事をすれば、たんまりと褒美をとらせる」というのが「施主」の本来の姿なのかも知れないが、私の場合は借金を背負って家を建てる身。とても、そんなわけには行かない。それでも少しでも良い仕事をしてもらいたいと願うのが人情だ。午前10時、午後3時にはせっせと職人たちにお茶菓子を出し、上棟式の時にはご祝儀を出し、と見栄も張った。

 「施主」とは、多少はお金が余分にかかっても「せっかくだから良いものを作りたい」という意識が働く発注者のことを指すのではないだろうか。とくに歴史的な建造物を作ってきた権力者たちは、自らの権力を誇示・拡大するために、権力を使って集めた金を投じて建造物を作ってきたわけで、まさに「施主」という言葉の原点はここにありそうである。そんな「施主」に対しては、彼らが気前良くカネを出すように、請負業者はへりくだって煽てておけば良かったのではないだろうか。

 ところが、この「施主」とは、似て非なるものがが「投資家」だ。投資家は、良い立派な建造物を作るために金を出すのではない。より、もうかる建造物を作るためにカネを出す(投資する)。投資家も、建造物の発注者であることに変わりはないが、建造物に求めているものが全く異なっている。これは、かなり根源的な違いと言えるだろう。

 これまでも「投資家」と呼べる発注者は数多く存在していた。代表的なのは生命保険会社だ。しかし、バブル崩壊後、改めて話を聞いてみると、戦後、土地が右肩上がりで上昇していた時は、建物にではなく、土地に投資していた感覚だったようだ。バブル時代は、土地が高くなりすぎ、投資額全体に占める建築費の割合が低下してしまい、建築費を厳しく査定する必要をあまり感じていなかったという。また、個人地主のアパート経営の場合も、相続税対策といった側面が強く、純粋な投資とは言いにくい。いずれにしても、建物の発注自体には、投資家の視点がほとんど反映されていなかったことになる。

 「投資家」と呼べる発注者が日本に本格的に登場し始めたのは、バブルが崩壊し、地価が下落した、つい最近のことなのである。建設工事の発注者に、従来型の「施主」と、新しいタイプの「投資家」の大きく分けて二種類があること、その間には非常に大きな違いがあること。これをキチンと自覚し、その攻略方法を身に付けることが、これからの建設会社の経営にとって不可欠だ。 (第2回につづく)

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