未来計画新聞のWEBサイトデザインが2023年4月21日にリニューアルされました。2006年7月から「あきばれホームページ」(運営会社:WEBマーケティング総合研究所)というサービスを利用していますが、実に17年間もサイトのデザインも機能もほとんど変わり映えせず、写真などの表示に不具合も出るようになっていました。そんなわけで「そろそろ解約しようか」と思っていたら、突然「アップデート作業完了」のメールが届き、サイトデザインが切り替えに。そんなわけで1年以上中断していた記事更新を再開し、しばらく様子を見ることにしたので、よろしくお願いします。

 「産業ジャーナリズム」という言葉をご存じだろうか―。昨年6月末で休刊となった筆者の出身メディア「日本工業新聞(フジサンケイビジネスアイ)」時代に上司から良く言われたのが「産業ジャーナリズムとは何か?を考えて行動しろ!」だった。日本工では、財務省、経済産業省、日本銀行などにも担当記者を配置してマクロ経済もカバーしていたが、メーンは製造業やサービス業などの民間企業の取材だった。その「産業ジャーナリズム」にはっきりした定義があるわけではない。上司はそれを考え続けることが記者として大切であると伝えたかったのだろう。記者になって2022年で39年目。日本経済の「失われた30年」は「産業ジャーナリズム」にも責任があったのだろうか。
■2021年のコンテンツ(署名入り記事)一覧を末尾に掲載しました。

 2021年6月末で出身メディアの日本工業新聞(フジサンケイビジネスアイ)が休刊になった。メディア業界では「休刊」という言葉を使うのが一般的だが、事実上の「廃刊」だろう。ある程度は予想していたことだが、出身メディアが消えてしまうのは何とも寂しい話である。ちょうど休刊のタイミングで東京・日比谷にある日本記者クラブに産経グループOBとして個人会員登録した。今年7月末に日本不動産ジャーナリスト会議(REJA)の代表幹事に就任することになり、REJAの活動拠点として日本記者クラブの施設を利用するためである。2000年末に退社して20年目に起きた出来事を通じてメディア業界の現状と10年後を考えてみる。

 2011年の3月11日は、東日本大震災が発生して10年目の節目であった。同時に1年前の3月11日にはWHO(世界保健機関)が新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)を宣言した日でもある。この1年間、自宅に引きこもったままで、取材などで出歩く機会も激減した。それが外部への情報発信が減った言い訳にするつもりはないが、この1年で少なからず心境の変化があった。コロナ禍の1年を振り返りながら、今年で創刊15周年となる「未来計画新聞」について考えてみた。

■2020年のコンテンツ(署名入り記事)一覧を掲載しました。

 2019年の活動を振り返ってみたい。ここ数年、体調管理を怠ってきたこともあって、昨年後半は思うように仕事が捗らず、周囲の方々にご迷惑をおかけした。それを踏まえて、2020年の目標は「健康第一」。しっかり体調管理をしながら乗り切っていきたい。記者としては記録に残しておきたいテーマはいろいろとあるが、日本でのDX(デジタルトランスフォーメーション)は本当に実現するのか、ブームで終わるのか、正直言って分からない。悲観的に書いて足を引っ張ってもマズいし、楽観的に持ち上げ過ぎても良くないだろうし、この先しばらくは悩ましい状況が続くだろうと思っている。

2019年の主なコンテンツ(署名入り記事)をまとめました。

 AI(人工知能)、IoT(インターネット・オブ・シングス)、ブロックチェーン、ビッグデータ、画像認証技術・・・話題のデジタルテクノロジーで、経済・社会、産業・企業がどう変わっていくのか。経済記者にとって関心事のひとつだ。2018年にアウトプットした記事も何やかんやと言いながらテクノロジー関連が多かった。ただ、秋ぐらいから先行き不透明感が強まり、日本経済は停滞し始めている。果たして2019年はどのような年になるのだろうか。今年最初のブログ更新なので、まずは18年に執筆したニュース記事を整理して振り返っておく。

【2018年に執筆した主なニュース記事一覧】を掲載しました。

 先週はとりあえず何でも良いから、歩き回って思いついたことを字にしてみた。現役記者時代は、ほぼ毎日、2、3本の記事(新聞用なので長くはないが…)を書いていたのだから、それほど苦ではない。ただ、あまり中身がないので、自分で書いていても正直、詰らない。もの忘れ防止用の「取材メモ」代わりにしかならないことを改めて実感する。

 ジャーナリズムについて少し考えてみた。それほど信念を持って記者をやっているわけではないのだが、ジャーナリズムは「民主主義」を支える役割を担ってきた。それが問われていること自体、日本の民主主義が岐路にあると思うからだ。国民も、為政者も、メディアも、そして記者自身が「民主主義」を尊重しなくなれば、ジャーナリズムは劣化していく。何やら国家、宗教、民族などの対立ばかりが煽られ、所得・資産格差は拡大していくばかり。ますます「個人」が息苦しさを感じる社会になっている。もっと明るく伸び伸びと「個人」が生きられる社会のためにジャーナリズムはあるのではないのか。

 2013年に入って2か月間も未来計画新聞を更新せずにいたが、別に記者活動を停止していたわけではない。このところは株価や為替だけでなく、経済活動も徐々にではあるが動きが出てきた印象はある。アベノミクス効果が様々なところに波及し始めているのかもしれないが、今後の動きを注視していく必要があるだろう。

表紙.jpg

「東日本大震災から1年を振り返って」と題した小冊子をまとめた。日本不動産ジャーナリスト会議と一般社団法人IT記者会の有志7人で記事を書いて残すことにしたものだ。被災地を取材したレポートや自らが主催した被災者支援イベントの報告など記者それぞれの視点で書いているほか、発災直後の社会の動きもコンパクトにまとめた。筆者は「東日本大震災から国土マネジメントのあり方を考える〜建設業が果たす役割とは?」と題する記事を書いた。1995年の阪神・淡路大震災当時と現在を比較しながら、「地域密着型労働集約」産業である建設業が施工能力不足に陥りつつある現状を分析した。国土交通省でも被災地での施工確保対策を打ち出し始めているが、上手く機能して被災地の復旧・復興に寄与するかどうかは、引き続き取材して検証していきたいと考えている。
 ―小冊子の頒布はIT記者会事務局へどうぞ。

 東日本大震災から半年間、仕事の依頼が激減して専業主夫に近い生活を送りながら「稼ぐこと」の意味を考えた。昔から「働かざるもの食うべからず」(新約聖書の言葉らしいが…)と言われてはいるが、働いたからといって必ず食えるほど稼げるとは限らない。自分がやってきたことが「稼ぐ」に値することなのか?本当に人の役に立っているのか?「食う」ためなら、どんな仕事でもやるべきなのか?東日本大震災で仕事を失った方々や、学校を卒業しても就職できずにいる若者たちには申し訳ないと思いつつ、のん気にそんなことを考えていたら、あっという間に時間だけが過ぎた。いまや記者でなくても当事者が自らブログやソーシャルメディアでいくらでも情報発信できる時代だ。記者が記事を書くことの意味はどこにあるのだろうか。

 既存メディアのビジネスモデルが行き詰っていることは間違いない。できるだけ多くの情報を囲い込んで、広告もあわせてセット販売するという手法はもう限界だ。しかし、日本工業新聞という中小メディアですら自らの変革が困難であったように、広告収入に依存したビジネスモデルを捨てるのは簡単ではない。何も変えられないまま、インターネットを基盤とした電子出版へと移行したとき、気が付けばグーグルなどネット企業に実効支配されていることも想定される。その時、報道機関としての役割を誰が担っていくのだろうか。
 日本新聞協会が公表する新聞の総発行部数は2010年10月現在で前年比103万991部(2.0%)減の4932万1840部となった。6年連続の減少で、100万部以上の減少は2年連続。5000万部の大台を割り込んだのは1987年以来、23年ぶりとなる。今のペースが続いても、10年後には4000万部を割り込む計算だが、日本の人口減少は始まったばかりで、これからが本番。今後はスマートフォンやiPadのようなタブレット型PCの本格普及で、新聞や雑誌を買うよりも、読みたい記事だけを読むという消費者のニーズは一段と高まるだろう。私がウォッチしているゼネコン業界のように、大手5メディア体制のまま、縮小均衡へと突き進むのか?それとも再編はあるのか?
 日本工業新聞社を2000年末に退社して、フリーの経済ジャーナリストを名乗るようになって丸10年が過ぎた。「よくもフリーで10年もやってこれたものだ」と、メディア業界の厳しさを知る人たちからは口々に言われるが、まさにその通りで、ひとえに私を支えてくれていただいた方々のおかげである。深く感謝を申し上げたい。
「本当にありがとうございました。引き続き、今後もよろしくお願いいたします」
 ただ、そうは言いながらも、自分自身、あと何年、ジャーナリスト活動を続けられるかは全く分からない。この10年を振り返っても、自分が予想していたほど日本のメディア業界の変革は進まず、日本経済と同様に停滞したままだからだ。ジャーナリズムの視点からは、むしろ劣化してきているかもしれない。果たして10年後の2020年、メディア業界はどうなっているのだろうか?
 本の執筆のために7月下旬から続いていた引きこもり状態から、ようやく解放された。すっかり“浦島太郎”状態になっていると思いきや、7月11日の参院選挙のあと、日本の引きこもり症状はますます悪化していたようだ。沖縄基地問題も、雇用問題も、財政問題も、「大変だ、大変だ」と騒いでいる割には、ちっとも前に進んでいる感じがしない。「日本人は勤勉」という評価は自分には当てはまらないとは思っているが、今の日本は意図的なサボタージュ病が蔓延しているように思えてならない。ただ失敗することを怖がっているだけかもしれないが…。
取材拠点
=〒105-0003東京都港区西新橋1-13-5長井ビル2階

 未来計画新聞の記事更新が7月に入ってパタッと止まった。ある企業から超特急で依頼されている本の取材・執筆作業に入っている。このブログで遠慮なく書くためには、生活費も少しは稼がないとマズイので、しばらくはご容赦願いたい。それとは別にいろいろと興味のあるテーマの取材は行っていて、まだ煮詰まっていないので少し様子を見ているところ。本当に書きたいことを書くためには、いろいろ気を使ったり、おカネを稼がせてもらったりと、苦労も仕方がないとは思っているが…。

 先日、ある地方自治体を取材したら、どの市町村でも、さらには国や都道府県でも実現できていない素晴らしい行政改革の成功事例の話を聞くことができた。ぜひ、そのプロジェクトのリーダー(女性)の活躍ぶりを紹介したいと思ったのだが、役所の内部だけではなく、外部の地方自治体からも「余計なことをやって、いい迷惑だ!」といった様々な誹謗中傷に晒されているらしい。「自分のことは出来るだけオモテに出さないで…」と頼まれている。役所や大企業などの組織の中で生きていくには仕方がないのかもしれないが、何ともやり切れない思いだ。

 “失われた20年”が30年にならないために、日本経済・社会の閉塞感を何とか打破しようとする人たちを取材し、応援したいと思ってきた。しかし、既得権益を守ろうとする勢力の壁は相変わらず堅固である。先日もある企業の社長から「産業構造の問題点はどんどん書いてほしいけど、せいぜい気をつけた方がいいよ」と、妙な励まされ方をした。何も好き好んで、けんかを売っているわけではないのだが、その冷めた言葉に心が沈んだ。

 「しゃべるのは苦手」と公言している講演を久々にやらせていただいた。ちょうどタイミングよく週刊ダイヤモンドの記事も掲載されたところだったので、ネタには困らないと思ったが、パワーポイントの資料やレジメの作成などの準備作業に時間をかけた。6月17日の本番は過去の講演に比べると、少しは上達したように思えた。不思議なことに、こうした話は続くもので、9月にはNPO法人主催の住宅とエネルギー問題に関するパネルディスカッションに出演する予定で、11月には東京大学のオープンレクチャーでの講演も依頼されており、ますます苦手克服に本腰を入れる必要がありそうだ。 

 「未来計画新聞に掲載する記事の本数を少し増やそう!」との企みで、取材メモ・短信のページを新設した。2000字以上の原稿をコンスタントに書くのは結構、大変。しかし、140字以内のツイッターでは字数が少なすぎる。ちょっと気が付いたことをメモするぐらいだ。

 以前から、短めの記事を増やしたいと考えていたのだが、ブログの場合、本当に読んでほしい記事が埋没してしまう感じがして踏み切れなかった。未来計画新聞で使っているブログサービスは、他に比べてホームページっぽい作り方ができるので、いろいろと試行錯誤して作り直してみたが、少しは見やすくなっただろうか?

 鳩山政権による事業仕分け第2弾が23日から始るのに先立って、連日、仕分け人たちによる独立行政法人への視察が行われている。19日は、注目のUR都市機構だったらしく、朝に突然、知り合いの出版社の人間から電話があって、TBSの「朝ズバッ!」の担当者が連絡をほしがっているとのこと。まさかとは思ったが、「URの事業仕分けについてコメントを」との依頼だった。夕方、5時にTBSのスタジオに行くと、取材担当の岡安弥生さん(さすがに美人ですね…)とご対面。テレビカメラの前で1時間近くもしゃべらされたが、「結局、ボツになるだろうなあ…」と思いつつ、帰宅した。それにしても、事業仕分けって、何のためにやるんだろうねぇ。前原誠司国土交通大臣は「URを解体的に見直してもらう」と言っているのだが…。

お問合せ・ご相談はこちら

「未来計画新聞」は、ジャーナリスト千葉利宏が開設した経済・産業情報の発信サイトです。

お気軽にお問合せください_

有限会社エフプランニング

住所

〒336-0926
さいたま市緑区東浦和

日本不動産ジャーナリスト会議の公式サイト

REJAニュースサイト

IT記者会の公式サイト