『建設業に携わる人たちが、誇りを持って、それぞれの技術や技能を発揮し、その正当な対価を得られる“真っ当な産業”に再生する』―建設業を再生するには、それ以外に道はない。いまの建設業が「真っ当ではないのか」と反発されそうだが、世間一般でそう受け止められていることは残念ながら否定できないだろう。無理難題ばかりの発注者、請け負け(うけまけ)体質が染み付いたゼネコン、談合体質の抜けない下請業者、そして建設業にパラサイトしてきた政治家など―とても真っ当な業界とは思えない状況を生み出してきたのは、建設業に関わってきた人たちの連帯責任である。

真っ当な産業へ転換するために意識改革を

 なかでも、政治家と国土交通省の建設官僚の責任は重い。国土交通省が99年7月にまとめた「建設産業再生プログラム」には、まるで他人事のような文章が書かれていた。「建設産業の再生は、各企業の自己責任と自助努力で進めていくべきもの」―建設業界に多大な影響を与え続けてきた政治家や建設官僚が知らん振りでは、ゼネコンなどの建設業者も浮かばれない。建設業を再生するには、現場で汗を流している職人や技能者たちを含めて“意識改革”を図り、“真っ当な産業”への転換を図っていく以外に方法がないと思うのである。

 その第一歩は『透明性の確保』である。日本建設業団体連合会が2、3年前に実施した発注者に対するアンケート調査の結果でも、建設産業に対する不満の第1位が「不透明性」との結果が出ていた。それにも関わらず、業界全体で、問題解決に取り組み始めたと言う話は聞いたことがない。国土交通省でも、入札制度改革でお題目のように「透明性の確保」を言い続けてきたにも関わらず、透明性が高まったとの評価はほとんど得られていないだろう。

 一方で、発注者側にも透明性の確保には、それ相応のコストがかかるという認識が不足している。建設分野で透明性が確保されれば、価格が必ず下がると考えるのは大間違いだ。価格と品質とのバランスがはっきりと見えるようになり、消費者が希望している適切な選択が可能な環境が整うということである。最高の材料を使って優秀な職人が作った家が高額のは当たり前のこと。無理難題の要求を通そうとする発注者への対抗手段にもなる。

 つまり、透明性の確保は、ゼネコンだけが不利益を被るということでは決してなく、発注者や下請業者にも相応の責任を分担する『自己責任』が通用する契約関係を構築することに他ならないはずである。金融など様々な分野で経済の自由化が進み、預金者や消費者にも自己責任が求められる時代になってきた。その前提となるものが“情報開示”による透明性の確保である。

 建設分野における「透明性の確保」も同様に、ゼネコン1社があらゆるリスクを背負うという従来のビジネスモデルを転換するという考え方で進めてく必要があるだろう。当然、“発注者保護”ばかりが重視された建設業法や契約慣行を全面的に見直すことも必要だろう。

建設請負契約の片務性をどう解消するか?

 長野県発注の浅川ダムの建設中止問題では、前田建設工業などJVに対する損害賠償を長野県がどの程度認めるかが注目されている。しかし、そもそもは国土交通省が作成した公共工事の標準契約書の不備が混乱の原因と考えられる。元請業者側が何らかの事情によって施工を継続できなくなった場合の損害賠償に関しては細かく規定されているにも関わらず、発注者側の事情で工事を中止する場合の損害賠償に関しては、「損害賠償を支払う」とだけ記されているだけで細かな賠償規定は全く書かれていない。公共工事の発注者が工事を中断することなど有り得ないという前提で契約書が作成されている。

 こうした建設請負契約の片務性が、建設業の不透明性を生む原因のひとつであることは間違いないだろう。「下手に発注者に損害賠償など請求したら、二度と工事を発注してくれなくなるのではないか…。」―そんな不安を覚えざるを得ない状況が異常である。ほかにも、こうした原因は数多く指摘されているし、それに対する処方箋もすでにいろいろと書かれているのだが、誰も苦い薬を飲もうとしない。

 「透明性の確保」というキーワードを通して建設産業の再生のための処方箋を検証していくことにする。
つづく

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