建築業界を記者という立場で取材している限り、建築家の評価は必ずしも良くないのは、なぜなのでしょう。ゼネコンや工務店といった施工業者から聞こえてくるのは、建築家をはじめ設計者に対する批判ばかりなのです。

「コスト意識がない」
「施工のことを判っていない」
「維持・管理や使い勝手を考えない」
「リスクを取らない。施工業者に押し付ける」

 こうして列記してみると、何とも強烈です。ところが、陰ではこんな批判をしながらも、建築家を前にした施工業者は、「先生、先生」と、上げ奉ったような対応で、こちらが唖然とすることも。建築家と施工者という立場の違いがあるのでしょうが、その関係はかなり歪んでいる、というのが率直な印象なのです。

 数年前に、ある電力会社の幹部が、建設業界に対する、こんな感想を述べたのが、非常に印象に残っています。 「建設業界の人たちは、いつまで建設作業員の社会的な地位を今のように低いままで放置しておくのだろうか」

 建築家が設計した建物を形にしている労働者のことを、建築家もホワイトカラー集団のゼネコンも見て見ぬふりをしている節があると思うのですが、どうでしょう?そう私が感じたのは、「インテリが作って、ヤクザが売る」と評されてきた新聞業界に長く身を置いていたからかもしれません。

 新聞業界も、非常に古い体質が残った業界で、「日本最後の規制業種」と私自身は自虐的にそう表現してきました。「社会の木鐸(ぼくたく)」といった今やカビの生えたような理念を掲げ続けながら、足元で行われている新聞拡張や広告偏重の実態は見て見ぬふり。コスト意識がなく、営業や販売の現場を知らず、権力批判には腰が引けてリスクを取ろうとしない、とはまさに新聞記者のこと。そうした新聞業界に、建築業界の状況が驚くほど似ていると思えたのです。

 日本建築家協会(JIA)のホームページに「建築家とは?」というページがあります。その冒頭に「『建築家(architect)』とは建築の設計や監理、その他関連業務など建築関係のプロフェッショナルサービスを提供する職業」とあり、後半の方には「社会の居住スタイルの文化的表現を擁護することに責任を負う者に、付与される」との記述も出てきます。

 確かに建築家に求められている役割は普遍的であるとは思いますが、建築家自身が、建築家のイメージに振り回され、社会における自分たちのポジションを見失っているようにも思えるのです。建築家であろうとするあまり、現実に直面している施工業者との意識のギャップが広がっているのではないかと。

 「英国というと建築家の社会的な地位が高いという印象があるけど、英国の設計事務所の建築家がこうぼやいていたよ。『日本の建築家は恵まれている。いまや英国では積算事務所の方が幅を利かせて、建築家は影が薄い』とね」―大手ゼネコンの設計担当役員から、そんなエピソードを聞いたことがありますが、なんやかんやと言いながらも、これだけ多くの建築家と呼ばれる人たちが何とか食っていられるのですから、日本の建築家は確かに恵まれているかもしれません。

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