インターネット上で、利用者が互いにQ&Aをやり取りする―FAQサイトのアイデアをつかんだ兼元社長は、インターネットの勉強を本格的にスタートした。
まずは、インターネットの掲示板に質問を書き込んで、いろいろと教えてもらおうとしたのだが、なぜか「マナーがなっていない」と相手を怒らせてしまう。最後には「掲示板から出て行け!」と追い出される始末。そんな経験を積みながら、Q&Aによるコミュニケーションサイトのイメージを具体化。企画書をまとめて、さまざまな企業に売り込もうと歩き回った。
BCNでは紙面の都合上、割愛したインタビュー部分(青字)も掲載しました。プロフィールは記事掲載当時のものです。
2・3ソニーの販売戦略
社内ベンチャーとして86年5月に誕生したスーパーマイクロ事業部(現事業本部)は、社長直轄のチームとして活動を開始したが、土井氏は当初から「ソニーの資産には基本的に頼らない」との方針を打ち出した。もちろん生産設備や、人材などはソニー内部から調達したわけだが、その調達も全くゼロから事業部がお膳立てし、製品を販売するにあたってソニーの持っている代理店や営業部隊などの販売網を使わず、独自に販売網を構築したという具合だ。
2・2ソニーのマーケティング戦略(続き)
【AXパソコン】
オフィス処理の革新を達成するためにどうしても必要なツールがパソコンだ。エンジニアリング分野ではNEWSの100万円を切る価格で十分一人一台の環境を実現することは可能だが、オフィス分野ではまだ高い。オフィスにおける一人一台の端末としてはパソコン、ワープロで十分であり、問題はどのようなパソコンを製品化するかに絞られていた。
2・2ソニーのマーケティング戦略(続き)
【デスク・トップ・パブリッシング(DTP)】
そこで問題となるのは、NEWSに何を乗せるかであったが、ソニーはちょうど米国で市場が立ち上がりつつあったDTPにターゲットを絞った。DTPは、米国ではパソコンクラスのマシンを使っても実現されていたが、漢字という複雑な文字を扱わなければならない日本語DTPではパソコンだと能力不足で、かといってオフコン、ミニコンクラスを使うとなるとコストが高くなってしまう。
2・2ソニーのマーケティング戦略
ソニーがNEWSを製品化してまず狙ったターゲットが、CASE(Computer Aided Software Engineering)である。ソフトウェアの開発では徐々にWSにツールを使った環境が導入され始めていたが、まだまだWSが高すぎたために本格的に利用するまでには至っておらず、ツール類も十分に整備されていなかった。そのため、85年からシグマ計画がスタートしていたわけで、国産メーカーはいつものことながら通産省の言うことを鵜呑みしてわが国のCASE市場がシグマ計画の沿って動いていくものとみていた。
2.ソニーのコンピューター事業戦略
ソニーのエンジニアリングワークステーション(EWS)「NEWS」が100万円台というセンセーショナルな価格設定で登場したのは、1986年9月であった。その直後に開催されたデータショウ86に大々的にNEWSが出展され、大きな話題を集めた。