正月4日に発売された週刊ポスト(小学館)の特集記事「平成ニッポンを元気にした&停滞させた30人の経営者」にアンケート協力したので、自分なりに平成時代の企業経営者を振り返ってみる。アンケートは平成の30年間に会長または社長に就任していた経営者から「元気にした経営者」と「停滞させた経営者」を5人ずつ選ぶというもの。建設・住宅・不動産をメーンに取材してきた記者としては、週刊誌の企画意図は忖度せずに回答した。「元気にした経営者」には、大和ハウス工業の樋口武男氏、森ビルの森稔氏(故人)、大成建設の山内隆司氏、トヨタ自動車の奥田碩氏、ソフトバンクグループの孫正義氏の5人と番外として日産自動車のカルロス・ゴーン氏を選んだ。

記者生活35年で取材した平成の企業経営者 アンケート依頼があったのは昨年12月上旬だった。各方面に大量に依頼したと思われるが、うち57人が回答。回答者リストを見ると、私を含めて経済関係の記者が多いが、経済評論家やエコノミスト、大学教授、さらには日本マイクロソフト元社長の成毛眞氏の名前も。こうしたアンケートにどう回答したのかを明かすことは普通は行わないだろうが、別に隠すようなことでもないので、改めて振り返ってみた。

 自分が日本工業新聞に入社したのが1984年4月で、16年9か月在籍した。2001年1月からフリーになって18年1か月。あと2か月で記者生活も35年となる。とりあえず平成の最初から最後まで記者をしていたのだから、今回のアンケートに答える資格はあるだろうと思い、引き受けた。

 ただし、実際に自分が直接会って取材したことのない経営者の名前を挙げるのは自信がなかったので、自分がそれなりに取材した企業の経営者だけに限定。業種としては情報通信・電機、金融、自動車、建設・住宅・不動産の範囲にとどめた。

 元気にした経営者とその選出理由は、下記のように回答した。

【樋口 武男・大和ハウス工業社長(H13〜16)会長(H16〜現在)】→元気ランキング圏外

売上高目標10兆円を掲げて、住宅を軸に積極的に事業多角化を推進する。社長就任時に1兆円だった売上高は、H31年3月期には4兆円を突破する見通しに。

【森 稔・森ビル社長(H5〜23)会長(H23〜24)H24年3月死去】元気ランキング15位

都市再生を竹下登元首相に直訴、H10に発足した小渕内閣で経済戦略会議メンバーとなって推進。自らも六本木ヒルズ(H15)、虎ノ門ヒルズ(H26)を開発した。

【山内 隆司・大成建設社長(H19〜27)会長(H27〜現在)】元気ランキング圏外

H9年のゼネコン危機では株価100円割れ目前となり、前任社長時代は海外工事で大赤字と苦境に喘いできた同社を復活させ、今や株価も5000円台。ゼネコン初の経団連副会長に就任。

【奥田 碩・トヨタ自動車社長(H7〜11)会長(H11〜18)】元気ランキング8位、停滞ランキング30位

バブル崩壊(H3)、円高不況、日米自動車摩擦(H7)で14年ぶりに国内シェア(除く軽)40%割れとなった生産販売体制を建て直し。世界シェアトップに向けた基盤を築いた。

【孫 正義・ソフトバンクグループ社長(S56〜現在)兼会長】元気ランキング1位、停滞ランキング14位

パソコンソフト流通事業からスタートし、H13にブロードバンドインターネット事業に低価格戦略で参入、日本のネット普及に貢献。H16年に携帯電話にも参入、ICT時代をけん引した。

【番外:カルロス・ゴーン・日産自動車社長(H12〜29)会長(H29〜30)】元気ランキング7位、停滞ランキング1位

経営・財政危機に陥っていた同社を再生させた功績は大きい。トヨタの奥田氏も、ある講演で「ゴーンだから日産を再生できた。日本人ではできなかっただろう」と語っていた。

日本のインフラを支えるゼネコンからも

 元気にした経営者には、住宅、不動産、建設から、それぞれ1人は選びたいと考えた。住宅は樋口さん、不動産は森稔さんと簡単に決まったが、建設は正直、迷った。「元気にした」というカテゴリーで、ゼネコンの社長を推薦する人は誰もいないだろうと思いつつ、日本のインフラを支える建設業を山内さんにぜひ良くしていってもらいたいと考え、選ばせてもらった。

 森稔さんのことは、2012年に亡くなられた直後にブログで思い出話を書いた。竹下元首相とのエピソードは本人から直接聞いた話なので、強く印象に残っている。森ビル会長・森稔さんの置き土産「天空率」―都市の景観をどう変えたのか?(2012-03-19)」

 トヨタの奥田さんは、何度かブログに書いているが、判断力と決断力(上、中、下)―トヨタ自動車は国内シェア40%割れの危機をいかに乗り越えたか(2002-06-10)」が詳しいので、ご興味があれば、どうぞ。

ソフトバンクの孫さんを選んだ理由は?

 ソフトバンクの孫さんを取材していたのは、まだPCソフトの流通業を行っている1980年代末の頃。当時はシャープの佐々木正副社長、NECの大内淳義会長など大物経営者に可愛がられていた。NECのコンピューターソフト責任者だった水野幸男副社長に孫さんのことを聞いたことがあるが、同時期に活躍したアスキーの西和彦氏を引き合いにして「西はウエットだけど、孫はドライ」と評したのが強く印象に残っている。

 私が孫さんを評価するのは、ブロードバンド・インターネット網の普及を通じて、国内通信市場で続いてきたNTT独占体制を崩壊させたことだ。2001年にスタートした政府のe-Japan戦略の議長を務めたソニー会長の出井伸之氏が、2005年暮れのインタビューでこう語っていた。

 「IT戦略の最大の功労者で罪作りは孫(正義ソフトバンク社長)さんだね。ネットワークレベルに競争原理を持ち込んだことで、NTT東・西の経営が悪化したり、通信会社が経営破たんしたりしたが、それ以上のメリットが国としてはあった」(ソニー最高顧問出井伸之氏インタビュー:e-Japan戦略の舞台裏を語る「IPv6に向けたインフラ整備を」2006-01-09=BCN掲載)

 その後の日本の通信市場の見ると、必ずしも海外に比べて発展・成長したとは言えないだろう。ソフトバンクグループも、既得権益サイドに寄ってしまって、日本の通信業界をリードする存在になっていない。孫さんは世界を相手にビジネスを展開する経営者・投資家なので、あまり日本の通信業界全体を考えているわけでもなさそうだ。かつて自分を育ててくれた佐々木さんや大内さんのように、若手経営者を育てているといった話も聞かない。まだ、そういう年齢ではないのかもしれないが…。

 平成はバブル経済の崩壊から始まって日本経済が停滞した時代だった。最近では企業評価も売上高よりも収益性に注目する傾向があるが、経済を元気にするのはやはり「成長」=売上増である。週刊ポストの元気ランキングをみても、厳しい経済環境の中で企業成長を実現させた経営者が選ばれている。そう考えると、大和ハウス工業の樋口さんが30位以内に入らなかったは残念だった。

つづく

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