【コラム】判断力と決断力(上)―トヨタ自動車は国内シェア40%割れの危機をいかに乗り越えたか(2002-06-10:MKSアーカイブ)

 企業経営者にとって最も必要な資質は、時代や市場の流れを冷静に読む「判断力」と、思い切った対応策を講じる「決断力」の2つではないだろうか。20年近い記者経験のなかで、数多くの企業経営者を取材したが、先ごろ日本経済団体連合会の初代会長に就任したトヨタ自動車の奥田碩会長とも、忘れられない思い出がある。なぜ、トヨタは強いのか。その一端を示すエピソードを紹介したい。

 93年6月から3年間、私は自動車業界の担当記者だった。93年というと、ちょうど日産自動車が座間車両工場(神奈川県)の閉鎖を5月に発表した年で、前年にはいすゞ自動車が乗用車生産から撤退するなど、自動車各社ともバブル崩壊と急激な円高で大きな打撃を受けていた時期である。本田技研工業も、ミニバン「オデッセイ」を発売する前で、国内販売の低迷が続いていた。RVブームにのって元気なのは、「パジェロ」の三菱自動車工業ぐらいという状況だった。

 しかも、95年のWTO(世界貿易機構)発足を目前にして日米自動車摩擦が再燃。さすがのトヨタ自動車も、円高の克服と日米自動車摩擦への対応に四苦八苦していた。輸出から海外現地生産への移行を急ピッチで進めるとともに、1ドル=100円を切る急激な円高を克服するために「乾いた雑巾を絞る」と喩えられるほどのコスト削減を進めていた。

 豊田章一郎会長(当時)からバトンタッチされて93年に社長に就任していた実弟の豊田達郎氏は、94年に日本自動車工業会会長に就任。円高対策と日米摩擦に奔走しているなか、95年の年明け早々に病に倒れてしまう。

 実質的に“社長空席”状態となったトヨタだったが、95年6月期(当時は3月期決算ではなかった)の12月中間決算では、国産自動車各社の中で唯一、円高をほぼ克服する数字を叩き出す。国内販売シェアは、相変わらず40%以上という圧倒的な強さを維持。「ひとり勝ちトヨタ自動車」―確か、そんな表題だったトヨタ礼賛の企画記事を、日本経済新聞が連載し始めていた。

 95年春のある日、記者クラブで、私は、自動車各社の国内販売シェアのデータを整理している時に、あることに気が付いた。トヨタの月次販売シェアが、4カ月連続で40%を割っていたのである。

 自動車の販売台数は、登録車の場合は国が登録データを月次で集計しているため、1台単位で正確に数字を把握できる。それから販売シェアを計算するのは電卓さえ使えれば簡単だ。トヨタは、暦年ベースで94年までの12年間、40%以上のシェアを維持していたが、月次ベースではたまに40%を割ることもあった。そのこと自体は珍しい事象ではない。

 「でも、4カ月連続で40%割ったことなんて、これまであったかな?」―なぜか、その時に、ふと、そんなことを思ったのである。そこで記者クラブに保存されていた過去の販売データを引っ張り出して、電卓を叩きながらトヨタの月次の販売シェアを計算してみた。しかし、5−6年遡って調べたが、3カ月連続でシェア40%を割っているデータはあったが、4カ月連続はない。

 そこでトヨタ自動車の広報担当者に頼んで、10年以上のデータを調べてもらい、結果を報告してもらうことにした。

 「どう?4カ月連続のシェア40%割れって、いつ以来?」と聞くと、「13年振りですね」との答え。

 「シェア40%を維持してきた12年間にはなかったの?」

 「ええ、ありません」

 「ところで、半期ベースでシェア40%を割ったことは?」

 「それも過去12年間ありません」

 それを聞いたときに、私は「トヨタの国内販売シェアが通年で、13年振りに40%を割るのは間違いない」と確信した。

 「上期も残り少ないけど、いまの調子じゃ、挽回はまず無理だよねえ」

 「そうかもしれませんね…」

 その数日後、日本工業新聞の紙面にこんな見出しが躍った。

 『トヨタ自動車、13年振りに国内シェア40%割れの危機!』

つづく