【不動産】森ビル会長・森稔さんの置き土産「天空率」―都市の景観をどう変えたのか?(2012-03-19)

 アークヒルズや六本木ヒルズをつくった森ビル会長の森稔さんが3月8日に逝去した。享年77歳。何度かインタビューした経験があるが、最も印象に残っているのは都市開発の話ではなく、超高層ビル・マンションを建てやすくする「天空率」の導入に執念を燃やしていたことだ。森さんの強い働きかけで、2002年7月の建築基準法改正で天空率は導入され、それ以降、超高層建築が増えたのは間違いない。その結果、建築紛争も増加し、住環境を守る観点から都市計画法に基づいて絶対高さ制限で規制する高度地区を指定する動きが強まった。果たして森さんが「天空率」導入で実現したかった街づくりは、思惑通りに達成されたのだろうか。

 

超高層ビルの開発に精力的に取り組む

 森さんに初めて会ったのは、日本工業新聞の建設省担当記者だった1999年頃だったと記憶している。ちょうど汐留地区などの大規模都市再開発事業が立ち上がり始めた時期で、森ビルでもアークヒルズに続く大規模再開発事業として六本木ヒルズの建設にいよいよ着手しようとしている時期だった。

 当時から森さんは、持論である「ヴァーティカル・ガーデン・シティ(立体緑園都市)」実現の必要性を説いていた。低層建築を敷地いっぱいに建てて都市を埋め尽くすのではなく、細分化された土地を大きくまとめて建物を集約・高層化することで公園などの広いオープンスペースを確保した超高層コンパクトシティである。それを具体化したのが2003年に完成した六本木ヒルズだ。

 その背景には敷地を有効活用して貸床面積を最大限に増やし、収益拡大を図る戦略があったと私は考えている。2009年10月に発刊された森さんの著書「ヒルズ挑戦する都市」の中でも、「第○森ビル」というナンバービルを建てていた頃、いかに天井高などを抑えて容積率いっぱいに貸床面積を稼ぐかを工夫して成功した話が書かれていた。森さんの話を聞いていても、最後は「容積率」の話題になることが多かった。

貸床面積の拡大に立ちはだかる建築高さ規制

 建築や都市計画の知識のない方には、天空率、容積率といっても判りにくいだろうが、建築には様々な規制がかけられていて、土地所有者が自分の敷地に好き勝手に建物をつくるわけにはいかない。主な規制には、建ぺい率=敷地面積に対する建築面積の割合、容積率=敷地面積に対する延床面積の割合、斜線制限=道路や隣地の日当たりや通風を確保するための高さ制限、日影規制=住宅地での日当たりを確保するための規制、などがあり、これらによって建物の床面積や高さが制限されている。

 例えば、建ぺい率80%、容積率400%の規制がかかっている500uの敷地を考えると、建築面積は最大500×80%=400u、延床面積は最大500×400%=2000uの建物が建てられる。建築面積を400uにすれば2000÷400=5階建て、建築面積を285uに抑えれば2000÷285=7.01で7階建てを建てられる計算だ。しかし、斜線制限が加わると、高さ制限で指定容積率いっぱいに建物が建てられないケースが生じる。

 不動産事業者にとって、賃料相場は立地によってほぼ決まるので、立地の良い敷地にいかに最大の貸床面積を確保するかが収益の源泉である。指定容積率いっぱいにビルを建設するために様々な工夫を行うのはもちろん、容積率の割増などの優遇策や高さ制限などの規制緩和を、あの手この手で獲得しようと政治力を発揮する。

絶対高さ制限の撤廃で誕生した超高層ビル

 日本の建築の高さは、大正時代に百尺(約30.3m)規制が導入され、戦後、1950年に制定された建築基準法でも31mの絶対高さ制限が引き継がれた。1964年の東京オリンピック開催を機に緩和され、容積率による規制へと移行。これによって1968年に日本で初めて高さ100mを超えた超高層ビル「霞が関ビル(147m)」が誕生し、本格的な超高層ビル時代を迎えたのである。

 1968年の都市計画法の制定と1970年の建築基準法改正で、絶対高さ制限は第一種住宅専用地域以外で撤廃され、容積率が用途地域ごとに100〜1000%の範囲で指定される体系が導入された。同時に斜線制限の規制が加えられ、その後、細かな制度変更はあるものの、基本的には同じ仕組みで現在に至っている。

 容積率の導入で絶対高さ制限は撤廃されたが、東京都では斜線制限による高さ制限が適用され、さまざまな制約が生じていた。建物の上部を斜めにカットした不自然たデザインのビルやマンションが数多く建てられてきたのも、斜線制限をクリアして容積率を増やすための工夫だった。

天空率の導入で高さ制限の緩和を

 建築の高層化に向けて斜線制限に代わる新しい考え方はないか―。そこで森さんが持ち出したのが「天空率」である。

 農耕民族である日本人は、日当たりに対する思い入れが強く、住宅も南向きで日当たりの良いことが好まれてきた。しかし、直接太陽の光は入らなくても、空が明るく開けていれば十分に明るく、開放感を得ることができる。「天空率」とは、ある地点から魚眼レンズで空を見上げた時に、建物によって空が遮られていない割合を示す指標である。

 「天空率=空の面積が確保できれば良い」となれば、建物の配置や形状を変えることで天空率を確保できる工夫が生まれる。そこに森さんは、高さ制限をクリアする突破口を見出したのだろう。私が取材した時にも「天空率」導入の必要性について大いに熱弁を振るった。

 天空率は経済合理的な考え方であるとは思ったが、社会的にはほとんど認知されていなかった。森さんがあまりに断定的な主張を展開するので、UR都市機構出身で建築のプロである山本和彦森ビル専務(現・取締役副社長執行役員)にも会って話を聞いた。
 「森さんは、天空率にすぐに変更するべきと話していたが、建築界でも天空率に対して賛否が分かれているし、社会的にもコンセンサスが得られているとは思えない。森さんの主張は性急ではないか」
 そう質問すると、山本さんも天空率については確かに賛否両論があり、様々な課題があることを率直に認めた。

 すぐに天空率の問題点を指摘する記事を書こうと準備を始めると、日本工業新聞の社説に唐突に「都市開発は天空率で行うべき」と、森さんの受け売りのような記事が掲載された。マスコミの論説委員クラスと会って積極的に持論を展開する作戦を取っていたのだろう。さすがに日本工業新聞の紙面上では「天空率」問題を書きにくくなって記事はお蔵入りにした。

竹下元首相に都市再生の重要性を直談判

 2002年秋、新聞社を辞めた後に森さんを取材する機会があった。政府が都市再生に本格的に取り組む発端となった小渕恵三内閣(1998年7月〜2000年4月)の経済戦略会議の委員に森さんが就任した経緯を聞いた。

 1986年にアークヒルズが完成したあと、90年のバブル崩壊もあって日本での大規模都市再開発事業が停滞するなかで、森ビルは中国でのオフィスビル開発を進めていた。98年7月に上海のオフィスビル「上海森茂国際大厦」の竣工式に 日中関係に熱心だった竹下登元首相を招待し、急成長する上海市の風景を見ながら「日本はこのままで良いのか」と直談判した。今後の都市政策について人口抑制から集中へ、職住分離から融合へと転換するべきとのメモを書いて渡した。

 直後に竹下派の小渕氏が首相に就任すると、新たに設置する経済戦略会議のメンバーとして突然、お呼びがかかった。当時は、首都機能移転問題がまだ燻っていた時期で、森さんは「東京から首都機能を移転するのが前提なら参加できない」というと、「それは入ってからゆっくりやってくれ」と言われて引き受けたという。

総合規制改革会議で天空率の導入を提言

 経済戦略会議は、住友銀行出身でアサヒビール名誉会長の樋口廣太郎氏を議長に、井出正敬JR西日本会長、伊藤元重東京大学教授、奥田碩トヨタ自動車社長、鈴木敏文イトーヨーカ堂社長、竹内佐和子東京大学助教授、竹中平蔵慶応義塾大学教授、寺田千代乃 アートコーポレーション社長、中谷巌一橋大学教授、森稔森ビル社長が参加。99年2月の答申「日本経済再生への戦略」では首相直轄の「都市再生委員会」を設置することが明記された。

 しかし、1998年10月の日本長期信用銀行(現・新生銀行)の経営破たん以降、金融機関の不良債権問題が深刻化。その後の森喜朗内閣ではIT国家戦略を優先したため、本格的に都市再生問題に取り組んだのは2001年4月に発足した小泉純一郎内閣だった。5月には首相直轄の都市再生本部が設置され、森さんはオリックスの宮内義彦氏が議長となった「総合規制改革会議」のメンバーに就任した。

 2001年12月に公表された「規制改革の推進に関する第一次答申」では、医療、福祉・保育等、人材(労働)、教育、環境と並んで「都市再生」が重点6分野に位置付けられ、具体的な施策として道路斜線制限に代わる規定として「天空率」の導入が書き込まれた。天空率の導入はまさに森さんが実現したと言っても過言ではないのである。

銀座6丁目の超高層ビル計画に強烈な逆風

 天空率が導入された当初、建築界では大きな話題になったという記憶がない。斜線制限であれば、立面図を見れば規制をクリアしているかどうかが簡単に判断できるが、天空率はコンピューターを使って解析する必要がある。天空率を算出するためのパソコン用プログラムもまだ出回っておらず、天空率を上手く使いこなすノウハウもなかった。

 天空率に対しては批判的な意見も聞こえていた。街並みの景観形成では、道路、建物の外観、空=スカイラインのデザインが重要であると言われるが、天空率を使うと建物によって高さがバラバラになるのは避けられず、景観形成にとってマイナスとの見方が根強くあったからだ。2004年6月には景観法が制定され、国民の景観に対する意識も高まっていた。

 この頃に、森ビルが銀座松坂屋を取り壊して超高層ビルを建設する計画を打ち出したことがあった。2002年6月に都市再生特別措置法が施行され、銀座地区も都市再生緊急整備地域に指定され、容積率の割増などの緩和措置が受けやすくなったからだ。

 しかし、銀座の景観を守ってきた地元オーナーからは「待った!」がかかる。中央区でも地区計画の見直しに着手し、大規模開発事業を含めて建物の高さを56m(屋上工作物を含めると66m)に制限する銀座ルールが再確認された。それから、9年後の2011年6月に森ビルとJフロントリテイリングが銀座六丁目地区再開発計画を公表したが、超高層ビル構想を断念し、銀座ルールを適用した大規模商業施設を2016年メドに建設する内容となった。

 こうした銀座地区の取り組みに刺激されるように、これまで斜線制限を適用していた東京都の区市で、絶対高さ制限を定めた高度地区を指定する動きが広がった。高度地区は景観に配慮した地方都市などでは以前から指定されていたが、景観法が制定された2004年に東京都でも世田谷区、墨田区、江戸川区などで高度地区を指定。その後も06年に新宿区、08年に渋谷区、10年に目黒区と続き、現在は文京区で高度地区指定の協議が進んでいる。

森ビルの街づくりは銀座の活性化に貢献するか

 2011年8月に銀座街づくり会議が中央区長に提出した「銀座6丁目計画についての要望書」には、高さ制限や容積率で銀座ルールを適用した都市計画を承諾しつつも、森ビルがめざす街づくりに強い懸念が示されていた。森ビルの都市計画提案に「銀座では敷地が細分化されていることによって都心商業地間の競争激化や国際的観光拠点としての商業機能強化に対応できていないので大街区化することにより都市再生への貢献をめざす」ことを第一に掲げていたからだ。

 銀座街づくり会議の要望書には銀座の街づくりの考え方をこう書いてある。「近代都市計画が推し進めてきた敷地の統合による大規模化、スーパーブロック化は街のにぎわいに貢献しないどころか、むしろにぎわいを喪失させるという反省に基づいた、今や世界標準ともなっている現代都市デザイン上の基本的な考え方に合致したもの」であると。

 森さんが目指したヴァーティカル・ガーデン・シティは、超高層ビルを中心とした街づくりであり、敷地の大街区化は不可欠だ。ただ、六本木ヒルズを見ても、大街区に訪れる人を囲い込んでいる印象を受けるし、2006年に開業した表参道ヒルズにしても、敷地内に人を囲い込んで回遊させる街づくりとなっている。そこに銀座の人たちも危惧を抱いているのかもしれない。

天空率は都市の街並みを変えるだろうか

 森さんが執念を燃jinbocho_s.jpgやした天空率が実現したあと、残念ながら取材する機会がなかった。その後、森さんが天空率について発言した記事も見かけたことはない。果たして天空率の導入で、森さんの思惑通りの街づくり環境が実現したのかどうか。ぜひ聞いておきたかった。

 もし天空率が導入されていなければ実現しなかった建築もある。日建設計執行役員の山梨知彦氏と羽鳥達也氏が設計して2007年に完成した「神保町シアタービル」=写真=である。小学館のミニ名画座「神保町シアター」、吉本興業の「神保町花月」と芸人養成スクール「NSC東京」が入居する人気スポットだ。

 神保町の細い路地を入ったところにある319uの狭い敷地は、斜線制限にかかって十分な容積を確保できなかった。困った羽鳥氏が山梨氏に相談すると、突然、天空率を使うアイデアが閃めいたという。天空率の計算式を使って容積が最大になるように導き出されたのがこの外観デザインだ。まさに逆転の発想である。

 日本でも、2年ほど前から三次元モデルで建築設計を行うBIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)システムを導入する動きが活発化している。BIMを使って天空率のシミュレーションが容易に行えるようになれば、天空率を上手く設計に取り入れた建物がもっと出てくるかもしれない。果たして森さんの置き土産である天空率は日本の街並みをどのような影響を及ぼすだろうか。