「情報が連携することで、住宅市場にさまざまなイノベーションが生まれ、新たな需要が創造される」―住宅履歴情報「いえかるて」普及シンポジウムが3月15日に都内で開催され、住宅履歴情報整備検討委員会の野城智也委員長(東京大学生産技術研究所所長)は、住宅履歴情報の重要性をそう強調した。講演では「住宅履歴情報に対して不安や誤解があるので解いていきたい」と共通IDの導入に反発する大手ハウスメーカーに配慮しながらも、「共通IDは社会全体でオープンシステムを実現する基盤となるもので、社会に様々な恩恵を提供できる」との考え方を示した。これまでクローズドシステムで事業を拡大してきた大手ハウスメーカーとの方向性の違いは明らかで、今後の住宅ビジネスに新たな変革をもたらすものと期待される。

2010年度から「いえかるて」本格普及の段階に

 住宅履歴情報「いえかるて」は、学識経験者を中心とした住宅履歴情報整備検討委員会が3年もの時間をかけて基本的な考え方から制度設計、実証実験を行い、普及に向けた準備を整えてきた。昨年6月に施行された長期優良住宅法を受けて住宅履歴情報を預かる情報サービス機関がサービス提供を開始しており、2010年度からは本格普及に向けた段階に入る。

 シンポジウムでは、3年間の検討結果を総括して住宅履歴情報「いえかるて」の仕組みや、情報の蓄積・活用の指針を解説したあと、「いえかるて」の運用を開始している団体から取り組み内容について発表があった。

 登場した団体は、中小工務店の全国組織である(社)全国中小建築工事業団体連合会が設立した一般社団法人工務店サポートセンター、東大生産技術研究所と東京ガスの協力を得て住宅履歴管理システム「SMILE ASP」を開発した有限責任事業組合(日本版LLP)住生活情報マネジメントシステム企画、大阪を拠点に03年から登録住宅制度をスタートしているNPO法人住宅長期保証支援センター。いずれの団体も中小工務店を中心に「いえかるて」の普及拡大に取り組んでいく。

 一方で、大手ハウスメーカーは、独自のシステムを構築して住宅履歴情報を蓄積・活用していく体制を整えてきた。自らのユーザーの情報を囲い込むことで、将来に渡って維持・修繕などのサービスを提供するストック型ビジネスの基盤としていく戦略を展開している。「すでに大手はシステム投資を終えており、わざわざコストを払って『いえかるて』の仕組みには参加しないだろう」(住宅業界団体幹部)と冷ややかな反応だ。

情報によって顧客を囲い込んできた住宅業者

 家電製品や自動車のようにメーカーごとに仕様が全く異なる製品であれば、修理・修繕は製造元や販売元に依頼する以外に選択肢はない。販売シェアの高いメーカーが、保守・管理市場でも有利な競争を展開できるが、住宅市場では戸建なら在来木造工法、集合住宅は鉄筋コンクリート造というオープン工法で建てられている建物が圧倒的に多い。設計図面などの情報さえあれば他の業者でも維持・管理を行うことは可能で、必ずしも製品だけで顧客を囲い込むことができないという特性がある。

 ただ、維持・管理を行うための図面などの情報は、住宅所有者と元施工業者以外の第三者が入手することは困難であり、住宅所有者も維持・修繕が必要な場合には元施工業者に依頼するのが一般的なので、これまでは元施工業者による顧客の囲い込みがある程度、保たれていた。もし、その他の業者がリフォーム工事などを積極的に受注しようとすれば、訪問販売など強引な手法を取る業者も少なくなかったわけだ。

 住宅履歴情報も、元施工業者ごとに個別IDで管理されるのであれば、これまで通りに情報による顧客の囲い込みは可能だろう。自動車や家電製品と同様に、販売シェアの高い大手ハウスメーカーが維持・管理市場でも相対的に有利な立場に立つことができる。しかし、共通IDが導入され、在来木造住宅や鉄筋コンクリート造マンションの多くが共通IDで管理されるようになると、市場規模の大きなオープン工法向けの維持・管理サービスが一気に充実され、スケールメリットを生かして事業を拡大するサービスプロバイダーが登場してくるかもしれない。

共通IDによる情報の集約化で囲い込みも困難に?

 住宅の維持・管理では、手すりなどの取り付け、照明器具やエアコンなどの付け替え、家具の購入など元施工業者を通さずに行うものも多い。ホームセンターなどで部材を購入して住宅所有者がDIYで行うケースもある。そうした情報がバラバラに管理されている分には、元施工業者にとってそれほど脅威にならないだろうが、共通IDのもとに情報が集約・蓄積されるようになると、状況はかなり違ってくる。元施工業者がいくら情報を囲い込もうとしても、共通IDを通じて得られる情報量が増えていけば、囲い込みが崩れていくのも時間の問題だ。

 こうした事態を回避するには、住宅所有者が元施工業者以外の業者に仕事を発注した場合でも、元施工業者の住宅履歴管理システムに情報を登録し、他の業者から共通IDの取得を勧められても応じないように説得する以外に方法はない。しかし、住宅所有者にとっては元施工業者への依存度がますます高まり、選択肢の幅を狭めることにもなる。住宅所有者の多くは、維持・管理サービスやリフォーム工事でも価格やサービス対応などで業者を自由に選べるオープンシステムを望んでいるのではないだろうか。

 大手ハウスメーカーが、共通IDそのものに強い警戒感を示しているのは、共通IDの導入によって情報連携が進み、否応なしに顧客の囲い込みが崩れ、住宅市場のオープンシステム化が一段と促進されることを恐れているからだろう。しかし、今後のストック型住宅市場において維持・管理や修繕、さらには新しい住生活関連サービスを効率的に提供していくためには、オープンシステム化は避けては通れない時代の流れと考えるべきである。

情報の連携によって生まれる価値創造

 日本建築学会の機関誌「建築雑誌」の2009年12月号に掲載された論文「建築界に明日はあるか」の中で、私も「建築界は、建築生産のオープンシステム化を積極的に推進すべきである」と提言した。2008年に出版した業界研究本「住宅」(産学社刊)の「はじめに」(未来計画新聞のコラム「住宅産業とは何ぞや?」の中に掲載)でも、誰もが音楽を気軽に楽しめる情報基盤を構築することで世界市場を席巻した米アップル社iPodを参考に、住生活に関する多様なサービスが簡単に手に入れられるような「iPod」型の住宅市場をめざすべきと書いた。

 住宅の維持・管理は、新築工事に比べて単価が安く手間のかかる仕事だ。元施工業者ごとに情報を囲い込んでバラバラにサービスを提供するのでは、どう考えても効率が悪い。共通IDによって住宅履歴情報が管理され、必要に応じてサービス事業者に情報を開示できるようになれば、元施工業者に関係なく、地域単位で維持・管理サービスを提供することも可能になる。マンション管理会社のサービスを、戸建住宅に提供することも可能になるだろう。そこに高齢者向け介護サービスなどを組み合わせることもできるかもしれない。

 欧州では、EUが加盟各国に対して住戸にコンピューター通信機能付きの電力計「スマートメーター」の設置を義務付けて導入を進める一方で、住宅を賃貸するときや売却するときには消費エネルギー量証明と必要エネルギー量証明の提示を義務付け始めている。日本でも家庭部門でのCO2排出量削減が叫ばれるなかで、ようやくスマートメーター導入に向けた検討がスタート。家計支出の7%を占めるエネルギー消費量をモニターすることで運用改善のアドバイスを行うサービスプロバイダーも出てくるだろう。

 さらにスマートメーターが導入されれば、省エネ改修による電気使用量の削減効果をモニターすることが可能になる。それらの実績データが蓄積していくことで、電気使用量の削減効果を事前に明示した形で省エネ改修の提案を行えるようになるかもしれない。消費者も安心してリフォーム投資が行えるようになり、家庭部門でのCO2排出量削減が一気に進むことも期待できる。

 共通IDは、こうした新しい商品・サービスを実現するための重要な社会システム基盤となるものだ。「顧客の囲い込みができなくなるような仕組みに、なぜハウスメーカーが協力する必要があるのか?」(住宅業界団体幹部)との立場も判らないわけではないが、日本社会にとって共通IDが必要なのかどうかという視点から、議論を深めていく必要があるのではないだろうか。

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