【建設】建築界に明日はあるか―日本建築学会の機関誌12月号に寄稿(2009-10-12)

 掲載前の記事の予告は普通はしないものだが、日本建築学会の機関誌「建築雑誌」12月号(12月10日発行)に記事を寄稿した。「建築界に明日はあるか」をテーマに、九州大学の谷本潤教授から原稿執筆を依頼されたのは昨年12月のこと。今月の締め切り間際まで、何を書くか悩まされ続けたが、私がこれまで書いてきた建設産業・建設市場の構造変化に関する記事を引用しながら、改めて全体的な流れをまとめた。本来なら私みたいな記者ではなく、建築学会のようなアカデミックな場で建設産業論、建設市場論を議論してもらいたいと考えたからだ。記事は2ページ程度にコンパクトにまとめており、そこで引用したうち現在は入手できない記事「新型発注者『投資家』への対処法」(2001年3〜4月)をMKSアーカイブに再掲載する。
<以下、記事の主な内容>
・産業構造問題に関心が薄い(?)エリートたち
・かつての「産業論」は市場主義経済の拡大とともに衰退
・失われた20年で進んだ国内産業のガラパゴス化
・「産業論」の復活が日本経済を救う!

「新型発注者『投資家』への対処法」

産業構造問題に関心が薄い(?)エリートたち

 「新型発注者『投資家』への対処法」は、私が新聞社を辞めてフリーになった直後に建設業向けウェブサイトに寄稿した。J-REIT(日本版不動産投資信託)も誕生したばかりで、上場する前。”ノンリコースローン”なんて言葉も、建設業界ではほとんど知られておらず、途中で、ノンリコースローンの解説まで急きょ書かされるはめになったが、そのままで掲載する。

 当時、記事の内容を建設業界で正確に理解していた人は少なかったかもしれない。「最初に読んだときは、何を言っているのかチンプンカンプンだったけど、今は骨身に染みてよく判るよ(苦笑)」と、記事を読んだことがあるゼネコン関係者に3年ほど前に言われたことがある。これまで不動産証券化の導入が建設業に与える影響など、誰も考えていなかったように思う。

 値引き競争がエスカレートするのは、ゼネコンの数が多すぎて過当競争になっているのが原因であるのは確かだが、だからと言って、ゼネコンの数だけを調整すれば建設業界が抱える構造問題が解決するとは考えにくい。建設現場の職人たちの高齢化や人材不足はますます深刻になっていると聞くし、3K職場なのに給料が下がって優秀な若い労働力もなかなか入らなくなっている。

 しかし、有名建築家や大学教授など建築界のエリートと呼ばれる人たちには、そうした問題に対する危機感が薄いという印象がある。最近も、ある大手設計事務所の役員と懇談しているときに「建築界に明日はあるか」という問題提起について意見を聞くと、「地球温暖化への対応など取り組むべき課題も出てきているし、大丈夫じゃないの」との答えが返ってきた。彼らの関心事は、良い設計や良い研究をクライアントに提供することだけで、自分たちが設計したのものを実際につくり込む建設現場が疲弊し切っていることには無関心と思わざるを得ないのである。

かつての「産業論」は市場主義経済の拡大とともに衰退

 私が在籍していた日本工業新聞は、産業界を横断的に取材する新聞だった。高度成長期を通じて通商産業省(現・経済産業省)の影響が色濃かったとも言える。80年代ぐらいまでは、産業界ごとのあるべき姿を盛んに「産業論」として議論されていたように思うが、市場主義経済の拡大とともに、産業政策の意義が徐々に薄れ、テレビドラマ化された、あの「官僚たちの夏」に描かれていた時代は遠い昔となった。

 もともと通産省がカバーしていない建設業をはじめ、農林水産業、運輸業、金融・保険業、医療・福祉では、ほとんど「産業論」が議論されてこなかった。多少、通産省が首を突っ込むようになった住宅産業や医療機器産業を除けば、産業としての”あるべき姿”を議論する意識が薄かったように思える。建設業の場合も、最大の建設工事発注者である国や地方自治体が自らの発注業務に都合が良いように業界を指導してきただけと言っても過言ではないだろう。

失われた20年で進んだ国内産業のガラパゴス化

 1990年のバブル崩壊後、失われた10年が、失われた20年となりつつある日本経済の状況を考えると、人口減少、少子高齢化が進む中で、経済成長率の低下は避けられないとしても、新たなリーディング産業の登場や、企業の新陳代謝などがほとんど起こらなかった。経済の「国際化」が叫ばれ続けてきたなかで、国内市場では携帯電話産業だけでなく、実に多くの産業で”ガラパゴス化”と呼ばれる現象が進行してきた。

 日本社会を覆う閉塞感には、国内市場、国内産業の停滞が大きく影響しているといのが私の見解である。最近では、著名なエコノミストや大学教授らが「日本の経済システムの抜本的な変革が必要だ」と言っているのをよく聞くが、マクロ経済や金融経済の視点ばかりで、個別産業まで具体的に言及しているのをほとんど聞いたことがない。

 ここに来て、環境問題に関連して発・送電分離まで踏み込んだ電力自由化の議論がチラチラと見かけるようになったが、相変わらず電力業界の反発は強い。高速道路の無料化や空港整備特別会計見直しは、運輸産業のあり方を抜本的に議論する良い機会になると思うが、業績が好調なJR東日本やJR東海などは嫌がるかもしれない。

「産業論」の復活が日本経済を救う!

 産業新聞という特殊な新聞に在籍していた経験から言うと、「産業論」が論じられなくなった背景には、既得権益を持った大手企業にとって”産業のあるべき姿”を公の場で議論されるのは迷惑千万という思いがあったからだろう。彼らにとって煙たい存在であった政治家には政治献金をばら撒いて”族議員”だらけにし、産業新聞や業界新聞には広告宣伝費などで露骨に圧力をかけて”ちょうちん記者”(もちろん私自身もそうなのだが…)ばかりにしてきたのである。

 人も企業も成長するには、時に耳に痛い話も必要だ。現時点で、市場原理主義に代わる効率的な経済システムがあるとは聞かないし、それを捨てるわけにもいかないだろうが、この失われた20年間、「産業論」が衰退の一途を辿ってきたことも、日本の産業の停滞を招いた一因なのではあるまいか。我田引水と言われるのを承知で、政権交代も実現して族議員が死滅しつつある今こそ、改めて産業のあるべき姿「産業論」を議論すべき時期に来ていると思うのである。