三菱自動車が軽自動車4車種で燃費の不正表示を行っていたことが20日に明らかになった。同社から軽自動車「デイズ」の供給を受けていた日産自動車の指摘で発覚した。2000年以降に発生したリコール隠し問題で深刻な経営危機に陥った同社は、2014年に16年振りに復配して経営再建を果たしたはずだった。それから2年、やはり企業体質はそう簡単に変わらないのか。筆者は復配した年の暮れに東洋経済オンラインで、三菱自動車の経営の歯車が狂い始めた中村裕一(ひろかず)社長(社長在任期間:1989〜1995年、2012年死去)時代のエピソードを記事に書いた。元原稿が少々長すぎたのでカットされた部分もあるので、改めて未来計画新聞に元原稿を再録する。(元原稿執筆は2014年11月22日執筆、東洋経済オンラインのリンクは下記に)

■【東洋経済】知られざる、もう一つのカー・オブ・ザ・イヤー―自動車業界も注目した「あの日」を回顧(2014-12-27:東洋経済ンオンライン)

 年末になると自動車業界ではカー・オブ・ザ・イヤーの話題で盛り上がる。2014年度は日本カー・オブ・ザ・イヤー(COTY)をマツダの小型乗用車「デミオ」が、RJCカーオブザイヤーはスズキの軽自動車「ハスラー」がそれぞれ受賞した。ちょうど20年前、一般紙などの経済記者によって選ばれた「自工会クラブ版カー・オブ・ザ・イヤー」という賞があった。このことは限られた関係者以外は知らないはずだったが、週刊新潮にスッパ抜かれたために図らずも表沙汰になってしまった。実は「自工会クラブ版カー・オブ・ザ・イヤー」を始めるキッカケを作ったのは、三菱自動車だった。事務局だった筆者しか知らない事の顛末を記録しておく。

自動車担当記者が所属する自工会クラブとは?

 日本工業新聞(現・フジサンケイビジネスアイ)の現役記者時代、日銀から自動車に担当替えとなったのは1993年7月だった。先の民主党政権時代に「閉鎖的だ」との批判が高まった記者クラブ制度だが、自動車業界にも日本自動車工業会(自工会)が開設していた通称「自工会クラブ」という記者クラブがあった。

 記者クラブには、国会や役所、日銀のほかに、当時は民間の業界団体が設置しているものがあった。日本経済団体連合会(経団連)のある経団連会館(建て替え前の古いビル)には、財界クラブ、エネルギー記者会(電力・ガス)、重工クラブ(鉄鋼など)、機械クラブ(電機・自動車・一般機械ほか)の記者室が設けられていた。なかでも機械クラブは所属記者数に対して部屋が非常に狭く、クラブ内で重要な緊急会見が行われた時など記者が部屋に入りきらないこともあった(現在では機械クラブは廃止されている)。

 自工会クラブは、経団連機械クラブの分室として、当時は自工会が入居していた大手町ビルの一角に自動車担当記者専用のクラブとして開設された。常駐記者は日本経済新聞が5人(担当記者数はもっと多かったように思うが…)、日刊工業新聞と日本工業新聞が3人、産経新聞、共同通信、時事通信が1人、さらに自動車業界では唯一の業界紙である日刊自動車新聞が3〜4人だったと記憶している。ほかに朝日、読売、毎日、NHK、東京新聞、中部経済新聞などの記者が自工会クラブのメンバーとなっていた。

自動車オンチが自動車担当記者になる

 自動車担当になった当初の筆者は、全く自動車には興味を持っていなかった。知っている車名は、実家で乗っていた日産のブルーバード、結婚後に女房が買ったトヨタのカローラぐらい。もちろん運転免許は持っていたが、用事がなければ運転はせず、ドライブを楽しむこともなかった。

 余談だが、10年ほど前に、免許の書き換えを忘れて失効してから、当然のことながら一度も自動車は運転していない。元号で書かれている有効期限を思い違いしていて、免許更新で警察署に行って初めて1年前に期限が切れていることに気が付いた。人間、誰しも勘違いすることはあると思うのだが、その場で私のゴールド免許は没収された。

 再び免許を取得するには、自動車学校に行くか、試験を受け直さなければならないと言われた。20年間で駐車違反が1回のドライバーが簡単に免許を取り上げられて、また金を払って自動車学校に通うのかと考えたら、あまりにバカバカしいので、自動車の運転は止めることにした。その後、日常生活でとくに困ったと思ったこともない。

 そんな自動車オンチの人間が、自動車担当記者になったわけだが、自工会クラブに所属する記者は基本的に経済記者である。いわゆるモータージャーナリストのように、自動車そのものの走行性能や乗り心地に関する記事を書くわけではない。いくら走りが優れたクルマだとしても消費者に支持されて売れなければ意味がないわけで、あくまでも経済的な視点で自動車を評価することになる。

カー・オブ・ザ・イヤー受賞で接待攻勢?

 ちょうど20年前、1994年暮れに発表された第15回日本カー・オブ・ザ・イヤー(COTY)を受賞したクルマを記憶しているだろうか。覚えていたら、相当の自動車通だろう。この年のCOTYは、三菱自動車のスポーツクーペ「FTO」である。

 FTOは、三菱自動車のリコール隠し事件が発覚した2000年に生産中止となっており、ウィキペディアによると7年間の累計生産台数は約3万8000台。COTY受賞翌年の1995年は約2万台売れたが、その後はジリ貧だった。ちなみに同じ年のRJCカーオブザイヤーは本田技研工業を国内販売不振から救ったミニバン「オデッセイ」である。

 今でこそ、COTYの選考は透明性が高く、選考委員の誰が、どの車に何点入れたのかまで全て公表されているが、当時は選考過程がほとんど公表されていなかった。COTYは1980年に設立されたが、1991年に「より透明性が高く公明正大なイヤーカー選びを実現するため」に新たにRJCが発足したぐらいだから、当時はかなり不透明な印象だった。イヤーカー選びなどにはあまり関心のない自工会クラブの記者の耳にもいろいろな噂が届いていた。

 「三菱自動車がFTOでCOTYを取ろうとなりふり構わぬ接待攻勢をしているらしい」―自動車各社の広報担当者に聞けば、そんな情報はいくらでも耳に入ってくる。この年、三菱自動車ではミニバン「デリカ」の新モデル「スペースギア」を発売していた。しかし「開発部門出身の中村社長から、FTOでCOTYを取るように厳命が出ているようだ」との事前情報が伝わっていた。そして、フタを開けてみると、前評判の通りの結果になった。

 COTYの歴代受賞車を見ると、四輪駆動オフロード車やミニバンなどのRV(レクリエーショナル・ビークル)はほとんど選ばれておらず、走りを重視したセダンやクーペがほとんどだ。当時、人気が高かったオデッセイやデリカ・スペースギアではなく、FTOを選んだのは車好きの審査員としては当然かもしれない。別にその選考結果にとやかく言うつもりはないが、経済記者から見ると、FTOは一般消費者にとってはマニアックな車で、1994年を代表する車としてFTOを記事にするには違和感があった。業界からも三菱自動車の強引なやり方を批判する声も聞こえていた。

三菱批判から生まれた自工会クラブ版カー・オブ・ザ・イヤー

 自工会クラブの記者は、日頃は抜いた抜かれたのスクープ合戦を繰り広げながら、クラブ内では他紙の記者と談笑することしばしばだ。当時、日本工業新聞の自動車キャップのMさん(現・産経新聞)と、日刊工業新聞キャップのKさんはともに気さくな人柄で、仲が良かった。ある日、2人でCOTYの話題で盛り上がったらしい。「おい、千葉、ちょっと来い」と2人に呼ばれて、とんでもない仕事を言い付けられた。 「自工会クラブでカー・オブ・ザ・イヤーをやろうと思うんだ。あとはお前に任せるから、よろしくな」―どうして、そんな話になったのかは判らないが、イヤーカー選びに狂奔する三菱自動車および自動車業界を少し皮肉ってやろうと思ったのだろう。毎年の年末に開かれる自工会クラブの納会でその結果を公表することになった。

 さっそく投票用紙を作成し、1位5点、2位3点、3位1点で、今年を代表するクルマ3車種を選び、選定理由も記入してもらった。経団連機械クラブに在籍する自動車担当記者も含めて、ほぼ全員が協力してくれたと記憶している。さらにワープロを使って表彰状を作成し、ご丁寧にも大判の消しゴムをカッターで彫って「自工会クラブ」の印鑑も用意した。

年末の納会の“余興”のつもりだったのに

 自工会クラブの納会は、記者と自動車各社の広報担当者がそれぞれに年末の挨拶を行うのは大変なので、自工会クラブがビールと食べ物を用意し、各社の広報に出向いてもらって懇親する恒例行事だった。記者クラブで報道発表する自動車メーカーの広報担当はほぼ全員が出席するので、納会の場で発信された情報は間違いなく自動車業界全体に知れ渡ることになる。

 とは言え、自工会クラブ版カー・オブ・ザ・イヤーは別にCOTYやRJCに対抗するわけではなく、あくまでも「パロディー」版である。イヤーカーは、クルマそのものの走りや性能の良さなどを評価して選ぶものであり、私のような自動車オンチがイヤーカー選びをするなど“おこがましい”ことは百も承知。選定基準もあくまでも経済記者としての判断に任せた。ただ心配したのは、クルマの評価で選んだわけではない自工会クラブ版カー・オブ・ザ・イヤーの情報が外部に漏れると独り歩きして、一般消費者に誤解を招く可能性があることだった。

 「自工会クラブ版カー・オブ・ザ・イヤーは、あくまでもクラブ納会の“余興”です。自工会クラブで対外的に結果を発表することはありません。その場限りの話題提供ですから、外部には絶対に情報を漏らさないでくださいよ」―事前に自工会クラブの記者はもちろん、自動車各社の広報にも念を押した。年末の忙しい時期に、筆者がひとりで準備に追われていたのだが、当初の意図に反して自動車業界内では自工会クラブ版カー・オブ・ザ・イヤーに対する注目が高まっていたのだった。

つづく

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