「なぜ、家をつくるのですか?」そう質問をされたら、どう答えますか?

「賃貸住宅に住む家賃を払うのがもったいないから…」
「家賃並みで住宅ローンを借りることが可能だから…」
「自分で好みの家が持ちたいから…」
「マンションを買うより、土地付き一戸建ての方が資産価値が高いから…」

 それぞれにいろいろと理由はあるでしょう。「親の介護をしなければならなくなったから…」という方もいるかもしれません。いずれにしても、住宅ローンを借りられることを含めてある程度の資金力があれば、「家を建てるのは当たり前のこと」と考える人は多いのではないでしょうか?

 最近では雇用情勢が厳しくなるなかで“賃貸派”と呼ばれる人も増える傾向にあると言われています。しかし、好きに家をつくることは、誰にとっても大きな夢であるわけですから、経済的な環境さえ許せば“賃貸派”という人も大幅に減るでしょう。「家をつくる」の前提条件には、家をつくることが可能な「経済的な環境」があるのは間違いありません。

日本人の持ち家志向はいつ生まれたのでしょうか?

 現在、日本では約6割の人が持ち家に住んでいます。もともと農村部では持ち家比率は高く、昭和30年代後半には持ち家比率は全国平均で6割に達していましたが、高度成長期を経て4割程度だった都市部でも持ち家比率が高まり、今では55%程度にまで達しました。しかし、歴史的に見て、都市部で半分以上の住民が住宅を所有していることなどあったでしょうか?

 江戸時代は、一般庶民の家は落語に出てくる八さん、熊さんの長屋だったでしょうし、今から140年前の明治維新を機に日本でも産業革命が起こり、農村から都市への大量の人口流入が発生した時点でも賃貸住宅が主流だったと考えられます。都市部で「家をつくる」ことができたのは、地位や権力、さらに富をもった特権階級の人たちであり、“宵越しの銭を持たない”江戸庶民にとって持ち家など考えたこともなかったかもしれません。

 一般庶民が、自ら「家をつくる」ようになったのは、戦後、わずか50年という短い間のことと言えるでしょう。それが可能になったのは、国民の所得が増え資金力が高まったからですが、国も農地解放などの施策を通じて、いわゆる“持ち家政策”を推進してきたからだと言えます。

 世界のどの国でも住宅政策は、基本的には社会福祉政策と位置付けられています。国が国民に住む場所である住宅を供給することは、最低限の生活保障であるわけですが、戦後、日本政府は、産業振興と鉄道や道路などの社会資本整備を優先、繊維や鉄鋼、造船などの基幹産業の再生に資金を集中、住宅整備に回す資金は全く不足していました。

いつまで持ち家政策は続くのでしょうか?

 そこで、苦肉の策(?)として考え出されたのが“持ち家政策”だったと言う人もいます。終戦から5年後の1950年には住宅金融公庫を早くも設立。国が主導で住宅を整備する日本住宅公団(現・都市基盤整備公団)に設立されたのはその5年後の1955年ですから、国はまず国民に住宅ローンを背負わせて「家をつくる」を始めさせたわけです。

 一方で、住宅の工業化も積極的に進めてきました。建築に関する素養も知識も乏しい一般庶民に「家をつくる」という無謀(?)な行為をさせるわけですから、素人でも簡単に建てられて、かつコストも下げるのが狙いだったのでしょう。また、熟練した職人でなくても建てられる構造とすることで、生産性を高め、短期間に膨大な数の住宅を生産できる体制を敷き、ハウスメーカーという日本独特の住宅産業も育成してきました。

 日本初の工業化住宅と言われる「ミゼットハウス」が発売された1959年は、新設住宅着工戸数は年間50万戸にも満たない状況でしたが、東京オリンピックの翌年の1965年には約100万戸へと急増。列島改造ブームが沸き起こった1973年に191万戸という空前の数字を記録するまでになったわけです。

 一般庶民が「家をつくる」―国は、それを実現できる「経済的な環境」を整えるための様々な施策を展開し、国民はそれに“踊らされてきただけ”なのかもしれません。それが間違っていたとは言えないでしょうが、いつまでも踊らされたままで良いという「経済的な環境」ではなくなりつつあるようにも思うのです。

つづく

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