【建築】景観の修復でまちは甦るか―小布施町(長野県)を歩く(下)(2010-10-12)

s-IMG_3533.jpg 「修景」によって町並みの整備を進める小布施町(長野県)を、10月三連休の初日9日に歩いた。今にも雨が降り出しそうな天気だったが、朝早くに北斎館周辺を散策。川向教授の本によると、この地域が景観を修復して小布施町らしい町並みに再生した「修景地区」=写真6=と呼ばれるところである。

s-IMG_3529.jpg 北斎館が完成した頃は、回りは水田が残っていて、他に観光施設もなかったらしい。その後、近くに北斎を小布施に招いた「高井鴻山記念館」=写真7=が建設され、老舗の小布施堂が江戸時代の土蔵を改装して「鴻山館」として開放したり、茶店を出したりして徐々にまちなみの整備が進められてきた。

s-IMG_3495.jpg 北斎館と高井鴻山記念館を結ぶ歩道としてつくられた「栗の小径」=写真8=は、小布施の修景事業を代表するまちなみで、記念撮影をしている多くの観光客を見かけた。小径は途中でクランク状に折れ曲がっているところがあるが、塀の切れ目に「小布施オープンガーデン」のプレートがかかっている。遠慮がちに中に入ってみると、見事な庭=写真9=が広がっていた。これも小布施s-IMG_3501.jpgのまち歩きの楽しみである。

国道403号線にあふれる人と車

s-IMG_3535.jpg 前の夜はあれだけ静かだった小布施町が朝になると、一変していた。まち歩きをしていても、次々に観光客が押し寄せてくるのが分かるのだ。修景地区近くの駐車場はすぐに満杯になり、道路には駐車待ちの車の列。人気の栗菓子の店の前にも、行列ができて、歩道から人があふれるぐらい=写真10=になる。秋限定の栗のスイーツは、開店前から並ばないと売り切れてしまうそうだ。

 東京理科大学・小布施町まちづくり研究所で、国道403号を人が歩きやすい道へと整備するための研究を始めた意味が、人であふれかえった403号の状況を見て、よく理解できた。国道を通る車がクラクションを鳴らしながら通り過ぎていくのは、観光地には似つかわしくない光景である。

s-IMG_3542.jpg 403号線の歩道を拡幅するのに合わせて、古い茅葺屋根の民家=写真11=を曳家(ひきや)で移動し、新しい店舗に改装する工事が行われていた。昔のままの姿で保存するだけの考え方では“まちなみ”に手を加えにくいが、小布施町では日常的に「修景」のための工事が行われている。工事中の民家には“かんてんぱぱ”で業績を伸ばしている伊那食品工業が2011年春に店舗をオープンする予定だ。

s-IMG_3547.jpg 工事を担当しているのは、長野県トップのゼネコン北野建設が、伝統的な日本家屋を修復するなどの工事を行うために設立した、その名も「修景事業」という会社だ。母屋と土蔵など3つの建物を小布施町が買い取り、それを伊那食品が賃貸し、改装工事を進めているところで、現場の方にお願いすると、中に入って写真も撮らせてくれた=写真12=

人を惹きつけるまちづくりの秘密とは?

 小布施町には、全国からまちづくり成功の秘密を探ろうと、自治体関係者はもちろん、研究者や学生なども数多く集まってくる。その中で、新しい修景のためのアイデアも生まれ、小布施らしい町並みを保ちながら、少しづつ町が変化し続けている。それが町に活力を与えて、多くの観光客を呼び込んでいるのだろう。

 東京・丸の内のオフィス街の再構築を進める三菱地所も、一気に街をつくり変えるのではなく、時間をかけて変化し続ける街を演出している。大都市でも、地方の小さな町でも、人を惹きつけるまちづくりの秘密は共通するところがありそうである。

富士通の企業城下町だった須坂市は…

 小布施町だけでなく、須坂市も訪問したので少し紹介をしたい。須坂市は、人口5万3000人の都市で、昭和初期から富士通の企業城下町として発展してきた。江戸時代は須坂藩の領地だったが、館があっただけで城はなかったという。江戸末期から明治時代には生糸生産で栄え、生糸で財を成した人たちによって多くの蔵が建てられた。駅や市役所に貼られていた観光ポスターにも「蔵のまち」と書かれている。

 「蔵のまち」と言っても、倉敷市のように蔵が密集した地区があるわけではなく、多くは市内に点在しているという。その中で、蔵が比較的多く建っている通りがあるというので、市役所からの帰りに通ってみた。ちょうど歩道を拡幅して観光客が散策しやすいようにする道路工事が行われ、蔵を改装したお洒落なショップも少しづつ増えているようだ。

 須坂市のシンボルと言えば、市の中心部にある「臥竜公園」だが、隣接する須坂市動物園にいた“おやじカンガルー”のハッチがテレビ番組などで取り上げられて、一時は何十万人もの観光客が訪れた。そのハッチも2009年11月に老衰で死去。富士通も、国内生産の縮小で須坂市から撤退して、工場跡を整地する工事が行われていた。

 果たして須坂市が今後どのような自治体経営を進めていくのか―。興味深いところである。

おわり)→(上)にもどる