私の母校である東京理科大学では、2005年に長野県小布施町に「東京理科大学・小布施町まちづくり研究所」
=写真1=
を開設している。所長は理工学部建築学科の川向正人教授で、研究所は町役場の正面玄関を上がって2階のすぐ角、町長室と同じフロアにある。小布施町と言えば、江戸時代の天才画家、葛飾北斎と栗菓子で有名だが、人口1万2000人の小さな町に、年間120万人もの観光客が訪れるようになったのはなぜか?10月の三連休の初日、小布施町を歩いてみた。

新潮新書「小布施まちづくりの奇跡」を出版

 川向教授は、私の卒業後に着任したので面識はないが、理工学部建築学科の同窓会「野田建築会」の会報制作を手伝うようになって、小布施町に研究所を設立したユニークな教授がいることを知った。今年3月には、新潮新書から「小布施まちづくりの奇跡」=写真2=を出版。ちょうど本を読み終わろうとしていた時に、タイミング良く、総務省関連で、小布施町の隣の須坂市役所を取材する仕事が舞い込んできた。

 仕事の方は上手く日程調整してもらって8日(金)の午後に須坂市の取材を入れ、夕方には小布施に移動し、小布施まちづくり研究所を訪問。一泊して、9日(土)に小布施町を歩く計画を立てた。川向研に問い合わせると、小布施まちづくり研究所には、博士課程の学生も常駐しており、研究所の活動についても説明してもらえるとのことだった。

町役場の中に大学の研究所を設置>>

 長野電鉄の小布施駅には夕方5時前に到着した。長野市からは電車で40分ほど、隣の須坂市からは10分ほどで着く。まさに田舎の駅という風情で、改札を出るのに線路の上を渡らなければならない。駅前に出ても、とても名の知れた観光地とは思えない風景=写真3=。シャッターの閉まった店、店舗の外に部品が雑然と積み上げられたようなバイク店などが並ぶ。

 町役場は、駅から右方向に5分ほど歩いたところにあった。3階建てで平面図でみるとL字型の建物で、中央のつなぎ目のところに玄関と階段室が配置されている。東京理科大学・小布施町まちづくり研究所=写真4=は、中央階段を上がって町長室に向かう廊下のすぐ右脇にあった。

 室内には、研究所での取り組みを紹介するパネルが展示され、毎年の活動報告パンフレットがテーブルの上に置いてある。廊下側の壁もガラス張りに改装して、誰もが見学できるオープンな雰囲気だ。当初は、研究所を役場の外に設置する予定だったが、川向教授の強い要望で、物置状態となっていた部屋を借りることになったという。

まちづくりシンポジウムやまちづくり大学を企画・運営

 まちづくり研究所では、毎年11月に町役場に隣接した北斎ホールで、まちづくりシンポジウムを開催しているほか、3年前に小布施町主催で開校したオープンレクチャー方式の「まちづくり大学」の企画運営をサポート。小学生を対象に土壁をつくるなどのワークショップを実施したり、農村部などに残る里道=写真5=を調査して復活させるプロジェクトを進めるなど、活発な活動を展開している。

 2009年度からは小布施町の重要な幹線道路である国道403号線の歩道整備計画についての研究活動をスタート。自動車交通を優先してきた国道に、歩行者が歩きやすい空間をいかに整備していくか、という難しいテーマにも取り組んでいる。今年11月20日開催される「まちづくりシンポジウム2010」のテーマも「国道403号を考える〜車から人へ」とし、この課題を取り上げることにしている。

人気観光地とは思えない駅前と夜の静けさ

 さて、人気観光地と思えない小布施駅を出て、駅正面から延びる道を300メートルほど歩くと、国道403号線に突き当たる。このT字路交差点を右へと曲がり、約300メートルほど国道沿いが小布施町のメーンストリートである。栗菓子などの店舗が並ぶ道を日がとっぷりと暮れてから歩いたが、暗くて人通りも少なく、驚くほど静かだ。

 国道沿いに約300メートルほど歩いて、左へと路地を入ったところに、中心的な観光スポット「北斎館」(1976年設立)がある。案内板を頼りに夜道を歩いてきたが、向かいにあるレストランの光がぼんやり見えるだけ。もう少し、賑やかなところを想像していたが、観光客の多くは、温泉に入る猿で有名な湯田中温泉などの温泉地に泊まってしまうからのようだ。

つづく

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