そもそもプライバシーとは何か?―日本において十分に議論され、社会的コンセンサスが得られているのだろうか?との素朴な疑問が湧く。一般的には「個人の私生活に関する事柄(私事)が他から隠され、干渉されないことを要求する権利」(ウィキペディアから)とされるが、インターネット時代になると「自己の情報を統制できる権利」も含まれるようになった。個人にとって知られたくない情報は全てプライバシーなのかもしれないが、人は誰しも人や地域、社会とつながって生きている。土地がプライバシーであるのも、限られた都市の中でできるだけ多くの土地(自己の空間領域)を囲い込もうとする人間の欲求の表れなのだろう。しかし、一方でコミュニティの形成にも大きな影響を与えてきたのではあるまいか。

個人と公共との境界線をどこに引くか?

 日本国憲法では、プライバシー保護は明確に規定されているわけではないが、第13条の個人の尊重に基づいて認められた権利のようだ。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」―この条文を読む限り、プライバシーが非常に強い権利であることは間違いないと思われるが、プライバシーと公共の間に「境界線」が存在していることも確かだろう。

 さらに第12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」とある。ここにも権利と濫用の間に「境界線」があるはずだが、どこに境界線があるのかという話をほとんど聞いたことがない。

 「境界線」をどこに引くべきか―。それを決めるのは、もちろん国ではなく、国民である。民主主義国家において、国民が権利ばかり主張して納税などの義務を果たさなければ、国は間違いなく破たんする。日本の国家財政の危機的状況を生み出したのは、自ら「境界線」を引くことができなかった政治家と国民の責任なのだろう。欧米先進国では市民革命を経て地籍の確定が進んだと言われるが、市民革命を経験したことがない日本人が土地の境界線を確定できずにきたのも、致し方ないことだったのかもしれない。

ムラ社会で重要な役割を果たしてきた入会地

 日本人にとって土地問題は根深い問題である。お隣の中国では土地の私有は認められていないし、英国でも土地は基本的に国王のものとされてきた。それに対して、日本では土地の私有権は非常に強い権利として認められ、政府の公権に対抗しうるほどだ。日本人の土地に対する考え方は、鎌倉時代に武士が先祖代々の領地に命をかけた「一所懸命」の考え方まで遡って考える必要があると指摘する人もいる。

 そうは言っても、江戸時代までは土地は大名や旗本、寺社など一部の特権階級の領地であって、農民や町民など「個人」に現在のような私有権が認められていたわけではない。年貢や雑役も村(共同体)単位に課せられ、村=コミュニティには「入会地」(欧州では「共同地=コモンズ」)と呼ばれる土地が存在していた。村人は薪などの燃料や萱などの建築材料を得るための入会地を共同で管理し、コミュニティで上手に土地を利用する知恵を持っていたわけだ。

 しかし、明治時代初期に実施された地租改正では、土地を原則として「公有地」と「私有地」の2種類に分けて「境界線」を明確に分ける必要が生じた。農地や家屋などは家来や領民に分け与えられて「私有地」となったと考えられるが、「入会地」の取り扱いはどうしたのだろうか。当時の記録を調べられてはいないが、個人、共有、寺社などの名義で「私有地」にするか、市町村、財産区などの「公有地」として民法でも財産権として認められている「入会権」を設定するかのいずれかだったと考えられる。

入会地は、私有地か、公有地か?

 入会地がコミュニティにとって必要な土地であっても「私有地」となれば、原則として課税対象となる可能性が出てくる。明治時代に私有地となった入会地が課税されていたかどうかは判らないが、地租改正では「縄のび・縄ちじみ」と呼ばれる不正確な測量が行われ、いまだに日本では地籍が確定していない原因とされている。入会地を含めて、どこに「境界線」を引くのかで混乱が生じたのは間違いないだろう。

 私の友人が、神奈川県で入会地だった土地を購入し、住宅を建てて住んでいる。入会地は約40世帯の共有名義で所有してきたが、地籍を確定するときに約40世帯の登記簿の面積の合計が入会地全体の面積を上回ってしまい、最後は話し合いで境界線を調整したという。また、入会地の一部を公園として開放することにしたが、土地は共有名義のままで固定資産税は免除してもらっているとのこと。

 かつてコミュニティを維持するために必要だった入会地や里山も、戦後の高度成長と都市化によって、燃料や建築材料を得るといった昔の存在意義は失われ、宅地などとして開発が進んでいった。その一方で、戦後の農地改革によって個人の土地私有権が形成されていく過程で、日本人の中から土地の公共性という考え方が次第に薄れ、コミュニティそのものが衰退していく大きな要因になったのではあるまいか。

 2010年1月に最高裁が、地域の鎮守として祭られてきた神社が「公有地」にあるのは、政教分離の原則から憲法違反との判断を下したことが話題となった。この問題も、もともとはコミュニティの「入会地」のような土地に建てられていたであろう神社を、公有地か私有地のどちらかに分けざるを得なくなったところに、そもそもの原因があったと考えられる。コミュニティを維持していくためには、国や自治体で管理する「公有地」のほかに、コミュニティで共同利用できる「入会地」のような空間がやはり必要不可欠ではないだろうか。

マンションの共有スペースをいかに活用するか

 ここまで原稿を書いたところで、偶然にも日本不動産ジャーナリスト会議(REJA)会員で、マンション管理評論家・村井忠夫氏のブログに「マンションの中の喫茶店が話題になる・・・・:マンションの共用空間の新しい意味をもっと考えていいのではないか」というコラムが5月5日に掲載された。マンションに住んだ経験がないので思いつかなかったのだが、確かに大規模なマンションにはほとんど集会室のような共用スペースが設置されている。ある意味、現代の「入会地」といって良い空間である。

 しかし、実際には「分譲マンションの共用部分の使い方は極めて未成熟なままなのが実情である!」と、村井氏は指摘する。「共用スペースは利益を生まないという考え方が大前提にある」ため、コミュニティ活動にとって十分なスペースが確保されておらず、集合住宅における共用部分の存在について活発な議論も行われてこなかったという。

 コミュニティというと、人と人とのつながり、地域とのつながりをイメージするが、「つながり」そのものは目に見えない漠然としたものだ。コミュニティの崩壊というと、人と人とのつながりが希薄になったという意味で使われているが、人のつながりが濃密か希薄かは人それぞれに感じ方は違うだろう。「マンションのコミュニテイが何かにつけて議論されることが多くなってきたが、どうも、そこはかとない空々しさとむなしさを禁じ得ないことが多い」と村井氏も書いているが、人と人のつながりそのものをいくら論じても、コミュニティを活性化させるのは難しいように思える。

「新しい公共」を育てるためにも共有空間が必要では?

 村井氏のブログでは、マンションの集会所の活用策として毎月、日を決めて喫茶室とした京都市のマンションを紹介している。マンションの共有スペースを具体的にどう活用していくかを議論していく中で、コミュニティ活動が活性化したという事例だ。

 いまでも井戸端会議といった言葉が残っているように、コミュニティを形成するうえで、共同で利用する井戸や、入会地、神社、集会所のような共有空間が大きな役割を果たしてきたのは間違いないだろう。共有空間を具体的にどう管理・運営していくかという意識や活動を通じて、コミュニティは形成されていくのかもしれない。

 前回のコラムでも紹介した広井良典氏の著書「コミュニティを問いなおす」では、建築家の故・黒川起章氏の著作から次のような一文を引用している。「バラバラに自立し拡散する個人を都市につなぎ止めるのが共有空間である。…古典的なコミュニティ再生論を信じて、広場や公園といった公共空間を創出することだけでは、コミュニティの再生にはほど遠い。…都市空間の中に、ふと立ち寄れる身近な休息地や、地域や職場のそばにある安全なシェルターとしての公共空間・共有空間が、あまりに少ない」。村井氏も「増え始めた(マンションの)空きスペースを活用する方向でコミュニテイを語るべき時期が来ているのでは」と提言する。

 鳩山政権が「新しい公共」の考え方を打ち出したのも、従来の「公―私」だけの社会構造が上手く機能しなくなり、その中間に新しい公共を加えて「公―共―私」という新しい枠組みをつくりだそうという試みなのだろう。残念ながら、政府の「新しい公共」円卓会議のこれまでの議論では、土地や空間という視点が全く欠落している。確かに「新しい公共」の活動を活性化していくためには税制や金融制度などの支援も必要だろうが、活動の基盤となる土地や空間において「公(有地)―共(同地)―私(有地)」が形成されていくことも欠かせない条件だと思うのである。

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