60年代の国民総背番号制度から今日の社会保障・税共通番号制度に至るまで、国民ID制度を導入する最大の目的は、課税の公平性を担保し、社会保障制度の効率化を進めるところにある。そうであるならば、明治時代から税制の根幹を成してきた土地・建物でも、統一IDによる管理は必要だろう。今後、深刻化するのは所得格差より資産格差との指摘もあり、昨年12月の税制改正大綱でも固定資産税の見直しを打ち出している。民間分野でも不動産EDI(電子商取引)や住宅履歴情報の整備にID基盤は不可欠だ。せっかく2005年に導入された「不動産番号」も活用しなければ宝の持ち腐れである。

土地は究極のプライバシー?!

 「究極のプライバシー情報である土地を、なぜ国がIDを付けて管理しなければならないのか!」―2008年7月に国交省が報告書をとりまとめた「不動産ID・EDI研究会」に対する不動産業界の反応は冷ややかだった。インターネット時代を迎えてEDI環境の整備は当然の流れと思っていただけに、予想外の反発だった。

 同研究会の目的は、不動産に関する情報基盤整備の一環として、不動産に関わる多種多様な情報を一元管理するための不動産IDと、投資不動産に関する情報の標準的データコードを統一して不動産EDI(電子商取引)の整備に向けた準備だった。すでに欧米では不動産EDIのためのデータコードの標準化が進んでいたからだ。しかし、研究会は現状把握と課題を整理しただけで終了。その後、業界内で具体化に向けた動きは出ていない。

 こうした動きとは別に、09年6月の長期優良住宅促進法の施行に向けて、住宅履歴情報の整備のために住宅ごとに共通IDを付ける取り組みも進められてきた。しかし、ここでも共通IDの普及に、大手ハウスメーカーを中心に顧客の囲い込みがやりにくくなるとして抵抗する動きが出ている。国民総背番号制度などの議論と同様に、土地・建物を共通IDで管理することも一筋縄では行かない話なのである。

不動産登記の不動産番号もID基盤として活用されず

 それだけ神経質な問題ではあるのだが、法務省が05年の不動産登記法改正に伴って導入した「不動産番号」はほとんど話題にならなかった。土地の筆単位、家屋番号単位に整理順に13桁の数字を割り当てられている。番号だけでは土地か建物かを識別できないほか、未登記の建物をカバーできないが、土地・建物のID基盤としての要件を最も備えているIDである。

 「不動産番号は不動産登記のオンライン化に対応して導入したもので、土地・建物のID基盤として活用することは想定していなかった。国土交通省など他省庁から不動産番号を利用したいという話はこれまでも出ていない」(法務省担当者)―土地、建物にすべて番号が付けられていても、現時点では不動産登記のための整理番号に過ぎず、だから不動産業界はもちろんメディアでもほとんど話題にならなかったのだろう。いくらID基盤を整備したところで、戦略的に活用しなければ何らイノベーションは起こらないのである。

日本の不動産市場の透明度は世界で26位

 世界的な不動産会社であるジョーンズ・ラング・ラサールが2年ごとに発表している国別の不動産透明度インデックス2008年版によると、日本の不動産市場の透明度は26位にとどまっている。透明度レベル「高」に位置づけられているのは9カ国で、カナダ、オーストラリア、米国など欧米各国が並び、日本はレベル「高」の下のレベル「中高」17カ国の中で最下位。香港(11位)、シンガポール(同)、マレーシア(23位)の下だ。

 日本の不動産業界は、2001年のJ-REIT市場の創設によって、日本の不動産市場は国際的にみても十分に透明性が確保されていると主張してきたのだが、海外からの評価は相変わらず低いままだ。そのギャップがなぜ生じているのか。以前から疑問に思っていたのだが、ID問題を考える中で、ある仮説が浮かんできた。

 「不動産について、プライバシーと公共性の境界線をどこに引くかで、日本と欧米では考え方に違いがあるのではないか」―つまり、日本では、土地の情報を囲い込む口実として「プライバシー」が都合よく利用されているのではないかという疑念である。「土地はプライバシー」と不動産業界が強調すればするほど、土地ID制度の導入が進まない理由が、国民総背番号制度の議論とダブって見えるのである。

日本で地籍が確定している土地は半分以下

 日本では、土地IDを整備する以前に、土地の境界や面積などを明確にする「地籍」の問題が残されている。国交省の不動産ID・EDI研究会の報告書でもID基盤を整備する以前に解決すべき課題として指摘されていたが、英国や韓国などの主要国では地籍が100%確定しているのに対して、日本は未だに48%。2009年大佛次郎論壇賞を受賞した広井良典氏の「コミュニティを問いなおす」でも、日本の住宅・土地制度が抱える重要な課題として地籍の問題を取り上げており、明治初期の地租改正と地籍の関係を判りやすく解説している。

 日本の土地は、1500年代の太閤検地で初めて実測されたが、国土全体の20数%の平地で行われただけで、7割以上の山林は手付かずだった。江戸時代は、検地に基づいて村(共同体)ごとに年貢や雑税が課せられてきた。しかし、明治6年(1873年)の地租改正で全国の民有地を全て測量し、その地価に基づいて100分の3を地租として現金で納付することになり、土地の私的所有が始まり、土地は市場取引の対象となっていく。

 明治政府にとって地租は当初、税収の8割を占める最も重要な財源だった。そのため地租改正を急ぐあまりに正確な測量が行われず、地租を安くするために実際よりも面積を狭く登録する「縄のび」が横行した。それでも金納が困難な農民層は土地を手放さざるを得ず、大地主と小作農の二極分化を招く。日本の土地制度は、江戸時代までの土地の共同体的所有から、一気に大土地所有へ移行し、第二次世界大戦後の農地改革で個人による土地所有が始ったわけだが、農地改革も農地だけが対象で、日本全体の地籍調査は実施されなかった。

土地に公共性の論理が働かない

 「農地改革で私的所有の絶対性が高まり、高度成長期の開発志向の流れに組み込まれる形で中ば“暴走”していったことになる。致命的だったのは、地籍の未整備という点や都市計画の弱さという点などに象徴されるように「公共性」の論理による規制が働かず、私的利益の追求が野放しで展開されたことだ」―広井氏は、日本の土地所有の問題点をそう指摘する。こうした経緯で、日本では課税対象の不動産が、プライバシーとなっていったのだろう。

 土地はプライバシーなのだから、説明する必要がない―日本の最高権力者と言われる人が不透明な政治資金の流れについて説明を拒み続けているのも、そんな心理が働いているように思えてならない。カネを土地に換えて転がすのも、相続税対策を行うのも、土地は便利な道具なのである。
つづく

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