【建設】建設業に求められる「透明性」とは何か?(6)―丸投げ禁止から見えるヒト情報の不足(2003-02-24)

 「丸投げだって、ある意味で1つの契約形態だと思うのですが、なぜ、丸投げはいけないことだと決められているのでしょうね」―大手ゼネコン幹部に、そんな疑問を投げかけられたことがある。建設業法の1953年の第1次改正で「一括下請負の禁止」が明記され、いわゆる“丸投げ”は禁止された。2001年4月に施行された「公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律(入札適正化法)」にも改めて丸投げの禁止が書き込まれ、施行体制台帳の提出などの規定も加えられた。新聞などでもたまに、丸投げ工事が摘発されたという記事を見かける。なぜ、丸投げが悪いことなのか?なぜ、丸投げが発生するのか?なぜ、丸投げをなかなか根絶できないのか?といった根本的な理由や原因について、納得できる説明を聞いたことがない。

丸投げは発注者の信頼を裏切る?

 92年の建設省通達によると、「一括下請負は発注者が建設工事の請負契約を締結するに際して建設業者に寄せた信頼を裏切ることになること等から禁止されている」と説明されている。しかし、元請業者が発注者からの信頼を裏切らないような下請業者を選定して品質を保証する形で丸投げする場合、信頼を裏切ったとは必ずしも言えないのではないだろうか。

 道路工事では、上請け問題がしばしば取り上げられるが、施工能力の低い地元業者が施工するより、施工能力の高い大手に上請けさせる方が発注者も内心、安心して任せているかもしれない。しかし、どのようなケースにおいても例外なく丸投げは禁止なのである。

ゼネコンが現場作業員を常用雇用しなくなった高度成長期

 かつてゼネコンでも建設現場作業員を直接雇用していた時代があった。「自分が入社したころ、まだ刺青を背負ったような作業員が社員に残っていて、現場でトラブルが発生するとスコップやつるはしを持って飛び出していったなあ…」―ある上場ゼネコンの現役役員からそんな思い出話を聞いたことがある。

 実際に、いつ頃までゼネコンでも現場作業員を社員として抱えていたかを詳しく調べてはいないが、昭和30年代はまだゼネコンもブルーカラーをかなり抱えていたようである。しかし、現在ではゼネコンのほとんどがホワイトカラー集団だ。

 建設業者1社当りの就業者数の推移を調べると、昭和30年代までは1社当りの就業者数は30人を超えていた。しかし、昭和40年代に急激に減少し始めて、昭和50年代には12、13人ぐらいとなり、現在までそうした状況が続いている。わずか10年間の間に、一社当りの就業者数がほぼ3分の1に縮小したわけだ。しかし、よくよく考えてみると、10年で3分の1はかなり異常な事態である。

【仮説】元請業者であるゼネコンが現場作業員を直接雇用しなくなったことが、そうした劇的な構造変化が起こった最大の原因ではないだろうか?

 当時は高度成長期にあって建設需要が急増していた時期であり、いくらでも仕事があったかもしれないが、受注産業の宿命として仕事が必ずしもコンスタントに入ってくるわけではない。期限内に消化しきれないほど仕事を抱えるときもあれば、全く仕事が入ってこないときもある。しかも、工事現場は点々と場所が変わる。建設業のように労働集約型の受注産業にとって、常時雇用はできるだけ抑制して、現場作業員は必要なときに必要なだけ調達できる仕組みが望ましい。

 昭和30年代から40年代にかけて、ゼネコンは建設需要の急激な増加に対応するために、自らは現場作業員を雇用せずに下請け業者を使って生産能力をフレキシブルに変動できる生産システムへと転換してきたと考えられる。現代風に表現すれば、アウトソーシングを積極的に活用する方向へ進んできたわけだ。

ゼネコンの商社化と丸投げとの境界線

 「建設コストの削減を進めるにしても、施工技術は下請け業者任せ。ゼネコンは“商社化”して、技術が流出してしまっていた」―97年の不良債権問題をキッカケにゼネコン各社が経営合理化に取り組み始めたころに、ゼネコン経営者からそんな反省の弁を良く聞いた。

 “商社化”が反省すべきことなのかどうかは別にして、「商社化したゼネコンが協力会社に工事を下請けに出すこと」と「丸投げすること」との差異が果たしてどれだけあると言えるのだろうか。元請業者が工事の施工に「実質的に関与」しているかどうかが判断の基準とされるが、その境界線はかなり微妙である。

 「一括下請負を容認すると、中間搾取、工事の質の低下、労働条件の悪化、実際の工事施工の責任の不明確化等が発生するとともに、施工能力のない商業ブローカー的不良建設業者の輩出を招くことにもなりかねず、建設業の健全な発展を阻害するおそれがある」(92年建設省通達)。

 中間搾取は、元下関係が重層化しても発生する問題であり、程度の問題と考えることもできる。“商社化”したゼネコンが本社経費などで工事費の1割を抜いて現場に投げるのも、丸投げの中間搾取とあまり大差はないかもしれない。工事の質や労働条件との因果関係も中間搾取の程度の差によるものであり、丸投げが直接原因とも考えにくい。

「ヒトの情報」不足を誰がカバーするのか?

 役所の通達では施工能力のない商業ブローカーの存在を完全に否定している。しかし、「ヒトの情報」を中心に建設業者の施工能力に関する情報が不足している状況において、情報収集能力に優れたブローカーが、工事に最適な下請業者や技能者を調達できるのならば、一概に悪いとは言えない。むしろ、ブローカーによって施工能力の低い建設業者が選別され淘汰される方が建設業の健全な発展につながるという理屈も成り立つ。

 もちろん、丸投げを認めれば、政治家が施工能力のないファミリー企業に受注させてピンハネするといったケースが出てくることが容易に想像できる。しかし、「丸投げ禁止」を確実に実行させるために、入札段階で建設業者に必要な施工能力が備わっていることを要求するとどうなるか。

 建設業者にとってはまだ受注できるかどうかも判らない入札に参加するためだけに、工事に必要な技術者を常時、抱えていなければならないことになる。

丸投げ禁止が建設業者の過剰供給構造の一因か?

 丸投げ禁止の目的を否定しているわけではない。しかし、丸投げ禁止によって建設業者が過剰な技術者を抱えざるを得えない産業構造となってしまい、結果として建設業全体のコストアップ要因になっているのではないかという疑問である。

 「工事を受注しようと思えば、必要な技術者を抱えているのは当然だ」―そう反論されるかもしれないが、工事が受注できたあとで必要な技術者を雇用したり、派遣してもらったりする方が建設業者は雇用リスクを大幅に低減できるし、経験豊富で優秀な技術者を確保できれば、何ら問題がないはずである。

 しかし、建設省通達によれば「現場に元請負人との間に直接的かつ恒常的な雇用関係を有する適格な技術者が置かれない場合には実質的に関与しているとは言えない」として、丸投げに当るとしている。

 つまり、技術者の能力やスキルを、ヒト単位(個人単位)で把握・管理するのではなく、Aクラス業者に所属している技術者という形で建設業者に担保させているわけだ。大手ゼネコンの三流所長の方が中堅ゼネコンの一流所長より必ず高く評価される仕組みなのである。

 「丸投げ禁止」や技術者の数によって技術評価を行う「経営事項審査」などによって建設業者に専任技術者を雇用し続けることを強いる仕組みが続く限り、建設業者の供給過剰を解消することは難しいのではないかと考えるのである。
つづく