【建設】建設業に求められる「透明性」とは何か?(5)―ヒト情報の透明性(2003-02-13)

 “透明性”というキーワードで建設業の現状をみてきたが、いよいよ「ヒトの情報」の透明性に論点を移そう。実は、建設業者の供給過剰問題の根本的な原因は「ヒト」の問題にあるのでは?と疑っているのである。「ヒトの情報」の透明性という問題意識は、国土交通省も建設業界もあまり持っていないのではないかもしれない。いや、仮に持っていたとしても、この問題をあまり取り上げたくないかもしれない。国土交通省の技術官僚やゼネコンの経営者たちにとって、建造物の品質や仕上がりが、現場の監督や職人の技術や技能の違いによって大きな違いが生じるという「現実」を表立っては認めるわけにはいかないからだ。

同じ建設業者で建設構造物の品質は均一なのか?

 自動車や家電製品などの工業製品であれば、品質の均一性はかなり確保されており、100台の「カローラ」の中から仕上がりの良い1台を選ぶ必要はほとんどない。同様に、建造物の品質や仕上がりでも自動車並みの均一性を実現できていると言えるのだろうか?

 戦後、建設のモノづくりの現場でも工業化が進められてきたのは確かだ。一戸建て住宅の分野では、戦後住宅不足が深刻化するなかで大量供給が必要となり、職人不足の解決策としてプレハブメーカーが生まれ、工業化された住宅が供給されてきた。

 ゼネコンやハウスメーカーなどの元請け業者は、請け負った建設工事が担当者によって品質や仕上がりに大きなバラツキが生じることは基本的に認めないはずである。品質や仕上がりにバラツキが生じないように、会社としてキチンと管理していることになっており、同じ建設会社やハウスメーカーに仕事を依頼すれば、一定レベルの品質、仕上がりの建造物が完成することを前提に請負契約が結ばれているはずである。

現場の技術・技能に左右される建設構造物の品質

 「住宅の出来は、7、8割がた、大工の腕で決まる」―この言葉は、大工の棟梁だった私の親父が、ことあるごとに言っていた。大工の腕には、“経験”や“段取り”の良し悪しも含まれる。私にとってはDNAに刷り込まれてしまっている言葉なので疑いようもないのだが、これを裏付けるような証言は枚挙に暇がない。

 「一流ゼネコンの三流所長より、二流ゼネコンの一流所長の方が断然、良い仕事ができる」―日本を代表する大手設計事務所で大型工事をいくつも手がけてきた私の友人が良く言っていた言葉だ。設計者にとって、いくら良い図面を引いたところで、施工者の良し悪しに建物の出来が左右されるだけに切実感がある。

 「A社とB社がそれぞれ両端から掘り進んでトンネルが開通したら、つなぎ目のところで違いがはっきりと判ってしまうような仕上がりとなってしまい、トンネル開通記念式典で両方の工区を担当していた役所の監督官が複雑な表情をしていた」―この話は、あるゼネコン首脳から聞いた。コンクリートの施工品質にも大きな差が出ることは、数多くのコンクリートの崩落事故が証明しており、その違いは現場所長や職長などの品質管理能力に拠るところが大きいと聞く。

 「プレハブだから欠陥住宅が少ないというわけではない。ほぼ同じような確率で欠陥住宅の相談が寄せられる」―これは、欠陥住宅問題に取り組んでいる弁護士の話。プレハブだから欠陥住宅が必ずしも少ないわけではない。多少、例えは不適切かもしれないが、同じプラモデルでも作る人によって仕上がりに大きな差がでるのと似たような話である。

品質に影響するヒト情報をどう管理するか?

 建造物はいくら工業化が進んだと言っても、それを作るヒトによって未だに品質や仕上がりに大きな差が生じてしまう“商品”であることは間違ない。しかし、商品にそれだけ大きく影響する要素「ヒト」に関する情報を直接、消費者が得ることは非常に困難だ。

 いったい、どこに優秀な現場監督や腕のよい職人がいるのか?非常に高額な商品を注文するのに、消費者が最も知りたいはずの情報を得ることが極めて難しい。

 設計事務所を主宰する大学時代の後輩に「どうやって腕の良い施工業者を見つけているのか?」と聞いたことがある。「建築事務所の仲間で情報交換したり、建築専門雑誌などに紹介される建物を担当した工務店は腕の良い職人を抱えている可能性が高いので実際に建物を見に行って仕上がり状況などを確認したりして情報を集めている」―建築の専門家たちですら苦労しながら情報収集を行っているのが実情である。

元請業者の技術力を判断するにも「ヒトの情報」は不可欠

 元請業者であるゼネコンや工務店は、こう反論するかもしれない。「消費者や設計事務所が直接、優秀な現場所長や腕の良い職人の情報を知る必要はない。元請業者に任せてもらえば、こちらの方で優秀な技能者を集めてキチンと施工するので何ら問題はないはずだ」と。

 確かに、元請業者の競争力の源泉は、優秀な現場所長と優秀な下請け業者や腕の良い職人をいくら抱えているかである。長い時間をかけて協力会を組織し、技能を磨きながら人的な結束を図ってきただけに“組”意識がいまだに強烈な業界である。

 しかし、裏を返せば、優秀な現場所長や下請け業者に逃げられてしまえば、元請業者の施工能力は大幅に低下することになる。元請業者の施工能力の現状について「ヒトの情報」をほとんど知らされていない現状では、元請業者の技術力を客観的に判断することも難しい。

 国土交通省が行っている建設会社の格付け「経営事項審査」における技術力の評価方法も、いまだに一級建築士など有資格者の人数がベースだ。有資格者であれば、全員がほぼ同等の技術力、スキルを持っているという前提で人数を基準とした評価をしているわけだが、それは常識的にはありえない話である。

 最近、週刊誌などでも、現代の名医100人とか、ガン治療のスペシャリストとか、病院ではなく、医者個人を取り上げる特集が目立ってきた。内科医といっても、全ての内科疾患に対応できるわけではなく、医師によって技量に大きな差があることを一般消費者もはっきりと認識するようになったからだろう。いくら「ゼネコン=総合建設会社」と言っても、どんな種類の工事でも得意というわけではないはずである。
つづく