【建設】機能再編を再考する―建設業の将来像をどう描くか(2010年1月1日)

 建設業界にとって2010年は「再編・淘汰の年」となるのだろうか―。2007年4月に未来計画新聞に掲載したコラム「建設業再生のシナリオを考える―ゼネコン再編の第二幕は始まるのか?」のなかで「大手ゼネコンの再編が始るとすれば2010年頃か?」と書いた当てずっぽう(?)な予測を当てたいわけではないが、建設需要の急激な落ち込みによる需給ギャップの拡大は如何ともし難い。本来なら企業ごとに明確な戦略を持って再編に備えるべきだが、建設業の地盤沈下を食い止めて産業の再生につながるような将来像を描く必要もあるのではないか。過去の事例を振り返っても、ゼネコン同士が単純に合併しても成功するのは難しい。2001年に執筆した「私見ゼネコン再編論」の中で「ゼネコンの再編は“企業再編”よりも“機能再編”で考えるべき」と書いたが、改めて“機能”という視点から建設業を考えてみる。

会社を「機能」で語りたがらない日本企業

 「日本企業は、会社を”機能”で語ろうとすると、猛烈に反発する。会社を機能ごとに分割すると思ってしまうようだ。しかし、世界で生き残っていくには、自らの役割と機能を明確に相手に示すことが不可欠だ。”何でもやれる”と考えている間は、世界に出ても戦えない」―最近、ある大手外資系企業の幹部とのインタビューの時に「なぜ日本企業は世界市場で戦えないのか?」という話題になった。

 国内市場と海外市場で最も違う点は、国によって文化や政治、宗教、商慣習が多種多様であるということだ。いくらグローバル化が進んだ時代とは言え、同じやり方がどの国でも通用するはずはない。外国の企業や人間を受け入れてもらうためには、その国が最も必要としているものを、その国に適したやり方で提供することだろう。

 しかし、そうしたやり方を単独で習得するのは簡単ではないし、時間もかかる。やはり地元の有力企業や政府、公益法人などとコラボレーションするのが成功への近道となるのだが、日本企業は外国企業とのコラボレーションがあまり上手くないという。その大きな原因が、自らの役割や機能を明確にしたがらない日本企業の考え方にあるというのだ。

 確かに相手に信用されて安心してパートナーを組んでもらうには、相手を尊重する姿勢を示すことが不可欠だろう。自らの役割と機能を明確にするということは、それ以外は相手を信用して任せるという意思表示に他ならない。隙あらば相手の領域をも奪いかねない相手とは、安心してパートナーを組めないのは道理である。

「擦り合わせ」と「組み合わせ」

 なぜ、日本企業は自らの役割や機能を明確にしたがらないのか―。日本人のメンタリティの問題もあるかもしれないが、“ものづくり”の世界で議論されてきた「擦り合わせ」と「組み合わせ」の考え方の違いが、日本企業の経営のあり方にも大きな影響を及ぼしているのだろう。

 「擦り合わせ」と「組み合わせ」は、東京大学大学院の藤本隆宏教授の著書「日本のもの造り哲学」(2004年6月)で注目された考え方だ。インターネットで調べてみると、ジャーナリストの池田信夫氏が1997年に公表した論文「情報通信革命と日本企業」の中ですでに同様の考え方を提唱し、東京大学大学院の奥野正寛教授との共著「情報化と経済システムの転換」(2001年9月)を発表。その後、スタンフォード大学教授で独立行政法人経済産業研究所所長の青木昌彦氏らの著書「モジュール化」(2002年2月)が脚光を浴び、経済産業省が2004年5月に公表した「新産業創造戦略」にも、擦り合わせと組み合わせの考え方が取り入れられている。

 私も2006年8月に建設業と情報サービス業の産業構造の類似性が高いことに着目してレポート「産業比較:情報サービス・ソフトウェアvs建設」を執筆。ものづくりにも、製品の性能や品質を向上させるために部品レベルから造り込んで専用化するやり方(擦り合わせ)と、製品のコスト削減や柔軟性を向上させるために部品を標準化し共有化するやり方(組み合わせ)の大きく2通りがあることを指摘した。

 実はレポート執筆時には、擦り合わせと組み合わせという有名な考え方があることを恥ずかしながら知らなかった。建設業と情報サービス業が産業構造の類似性が高く、自動車産業などの製造業とは違いが多い理由を何とか説明しようと捻り出した理屈である。そうした意味では、多くの人たちがいろいろな場面で気が付いて研究されてきたテーマであり、社会的にも広く認知されている考え方と言って良いのだろう。

「擦り合わせ」思考が日本企業に及ぼした影響

 レポートでは、建設業や情報サービス業は、本来は製品の特性から組み合わせ型産業であると指摘した。その一方で、日本企業の特徴である擦り合わせ思考がいろいろな部分に入り込んでいるとも分析。それによって建設業、情報サービス業ともに、欧米とは異なる日本独特の産業構造が形成されきたという仮説を立てた。

 擦り合わせ型のものづくりでは、どうしても緊密なコミュニケーションが必要となる。部品と部品の擦り合わせ、工程と工程の擦り合わせ、部品と製品の擦り合わせ…。あらゆるレベルでの擦り合わせ作業が必要となるので、最終的に完成した製品は品質、性能ともに高いものが出来上がるが、時間と労力がかかるやり方である。

 この擦り合わせをできるだけ効率的に行おうとすると、擦り合わせが済んだ「機能」をどんどん内部へと取り込んでいくことになる。部品メーカーを系列化したり、協力業者として囲い込んだり、子会社化したり…。日本には、ゼネコン=総合建設、総合不動産、総合電機、総合商社など“総合”とつく業態が多いのも無関係ではないだろう。

 しかし、内部に取り込まれた「機能」単体を改めて取り出して、外部の「機能」と組み合わせようとしても、上手く機能しないことは容易に想像できる。日本企業が自らの役割と機能を明確にしたがらない理由はここにあるのだろう。いろいろな「機能」を持っていても、それ単体では売り物にならないと分かっているから、自らの役割・機能を明確にできない。それが実態なのではないだろうか。

ゼネコンは“擦り合わせ装置”なのか!?

 日本のものづくり力は、擦り合わせ済みの「機能」が組み合わさって初めて発揮されるものであり、ゼネコンという業態は、巨大な”擦り合わせ装置”と考えて良いのかもしれない。そう考えると、日本のゼネコンが技術的には非常に優秀だと言われながらも、海外工事で国際競争力をなかなか発揮できない理由も説明できる。海外の多くの国では日本の精密な”擦り合わせ装置”は必要としていないからである。

 ゼネコンを擦り合わせ装置と考えると、ゼネコン同士の合併が進まず、合併しても成功できない理由も説明しやすい。擦り合わせ装置同士を擦り合わせたところで、さらに効率的な擦り合わせ装置ができるはずはなく、むしろ効率は低下してしまうだろう。同じ規模のゼネコンが対等合併しようとしても、擦り合わせ装置の主導権争いによる混乱が生じるのは避けれないかもしれない。

 では、ゼネコンから「機能」と取り出そうとすると、どうなるか。あるゼネコンが2年ほど前に内部で機能分割の可能性を検討したと聞くが、結論は「機能を分割するのは不可能」。どのゼネコンでもかなりの数の設計スタッフを抱えており、独立させても十分に競争力があると思えるのだが、「ゼネコンの設計部門の強みは施工部門を抱えていること。独立させると、むしろ強みが失われる」と否定されてしまったようだ。

 ゼネコンだけでなく、総合○○という業態に限って「総合力は強み」という発想から抜け出せない。しかし、グローバル市場で勝ち残れるのは、総合力ではなく、世界でもトップクラスの製品やサービスだけである。単体で勝ち残れないような「機能」を寄せ集めて「総合力で勝負」と言ったところで、“擦り合わせ”が通用しない国でどうやって戦うのか。「機能」単体で勝負できるぐらいの力がなければ、世界では戦えないのである。

建設業のビッグピクチャーをどう描くのか?

 日本の建設業はこれからどこへ向かうのか―。前原誠司国土交通大臣は「大手ゼネコンは海外進出で生き残れ!」と言うが、国内市場では相変わらず“擦り合わせ装置”の役割を続けながら、売上高の1割程度の海外部門だけで世界市場で戦えるのか。優れた「機能」を持った建設会社が勝ち残って成長できる市場環境を国内でも整備していくべきではないのか。このまま何もしなければ、国内市場規模に合わせて縮小均衡へと向かっていくだけである。

 建設業を覆っている閉塞感を打ち破るためにも、従来にない発想で新しい業界のビッグピクチャー=大きな物語を描くことが必要ではないだろうか。2009年のベストセラー内田樹著「日本辺境論」でも近年、日本ではビッグピクチャーを描く知識人が減ってしまったと指摘する。これまでも新しい発想で建設業界を大きく変えようという試みはいくつかあったが、成功した事例は少なく、業界全体を大きく変えるまでには至っていない。それはビッグピクチャーが描かれていなかったからではないのか。

 40兆円を超える巨大な産業を動かすには、余程の大風呂敷を広げることが必要かもしれない。建設業界だけでなく社会全体でビッグピクチャーを共有しながら、個別具体的なプロジェクトを同時多発的かつ連鎖的に仕掛けていかなければ、産業構造の転換など、そう簡単に実現するものではないだろう。問題は、そのビッグピクチャーをどう描くのか。今年は多くの建設人、知識人への取材を通じて、建設業がめざすべき将来像に迫りたいと考えている。