エイチアイ(HI)にとって最初の独自製品となる3Dエンジン「マスコットエンジン」の開発をスタートした1994年は、ゲーム業界にとってまさにエポックメーキングな年だった。次世代ゲーム機と呼ばれたソニー・プレイステーション、セガサターンがその年のクリスマス商戦前に相次いで発売され、ゲームソフトはいよいよ3D時代に突入した。

 マスコットエンジンは、95年からゲームソフトへの採用が決まり始め、それに伴ってHIではゲームソフトの受託開発の仕事が急増。既存の受託開発事業に加えて、ゲームソフトの開発にも積極的に取り組んだ。

社員の成長速度に合わせて事業を拡大

 「会社設立時からこだわってきたヒューマンインターフェースが最も優れていている分野がゲームとの認識があった」

 現在の主力製品である「マスコット・カプセル」は96年に完成。パソコン向けのディスクトップキャラクターを開発してライセンス供与したり、昆虫採集やハムスター育成などのゲームソフトも自社ブランドで発売した。

 既存の受託開発の受注も順調に増えて、HIは拡大期に入る。川端は採用を増やし、社員数も一気に50人まで増やした。ところが、しばらくすると受託開発案件で赤字が発生するなどのトラブルが頻発した。会社の成長にマネジメントレベルが追いつかずに、管理が甘くなっていたためだ。

 川端はすぐに採用をストップ。受注量も調整しながら、社員の成長を待つ時期が3年続いた。

 「販売会社なら、仕組みさえ出来れば拠点を増やすなどで売上高を伸ばすことができる。しかし、開発会社は社員の成長速度を超えて事業拡大をしたら事故る」

 川端にとって企業経営の難しさを学ぶ貴重な経験だった。そんな時期に野村證券から声がかかった。当時はマザーズやヘラクレスなどの新興市場が整備されていない時期だったが、店頭市場(現・ジャスダック市場)銘柄として期待できそうな企業を探していたのだ。証券会社との付き合いで、川端は自己流の企業経営から脱皮して、株式上場を意識するようになった。

受託開発を捨てプロダクトビジネスに集中

 HIに最大の転機が訪れたのは2000年だった。携帯電話の高性能化が進んだことで、パソコン用に開発した「マスコット・カプセル」が携帯電話にも搭載できるのではないかと気が付いたのだ。

 「マスコット・カプセルをインテルのマイクロプロセッサーi486で動くようにコンパクトな構造で開発していたのが良かった」

 01年には”写メール”で一世を風靡したJ-フォン(現・ソフトバンク・モバイル)の携帯電話SH07(シャープ製)に搭載されて発売。一気に携帯向けのライセンスビジネスが拡大した。翌年には最大手のNTTドコモへの採用も決まった。

 川端は思い切った決断をする。「ここが勝負!」と見て、既存の受託開発事業から撤退して、会社の経営資源を全てプロダクトビジネスに投入することにした。

 「すでに着手していた受託開発も、03年から05年にかけて発注先に事情を話して解約させてもらった。着手金返還や違約金支払いなどかなり痛かったが…」

 受託開発にいた人材も、J-フォンのライセンス料も、全て携帯電話向けコンテンツなどの開発に投入した。キラーコンテンツによって利用者の拡大を図る作戦で、バンダイの待ち受け画面を3D化したり、すでにコネクションのあったゲーム会社と組んで携帯向け3Dゲームソフトの開発を進めた。さらに海外にも進出し、韓国や欧州の企業へもライセンス供与にも取り組んだ。

 「受託開発はある意味、足し算のビジネスだが、製品ライセンスは掛け算。ビジネスとしても面白い」

 経営の面白さに目覚めた川端は、さらなる飛躍をめざしてHIの株式上場を進めた。「社歴が長い分、上場企業に適した組織体制に変えていくのが大変だった」と苦労しながら、今年4月ジャスダック市場に念願の上場を果たした。

 「次に来るのは、家電製品のヒューマンインターフェースだろう。インターフェースの良し悪しが家電製品の売れ行きを左右する時代はもうすぐだ」

 HIはすでに携帯電話の次を見据えて動き出した。今年9月には家電向け半導体のシェアが高いルネサスソリューションズともライセンス販売契約を結んだ。

 「あらゆる分野でもっと使いやすいヒューマンインターフェースの開発を進めたい」―川端の夢はいま大きく広がっている。

つづく

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