不動産仲介の両手取引禁止について、建設・不動産市場の「全体最適化」の視点から執筆した記事「建設業の将来ビジョンを考える―建設2次市場をどう育てるか?(2009-03-14執筆)」を掲載する。竹中工務店の社内報2009年4月号に寄稿した。7月に未来計画新聞に掲載したコラムでは、両手取引禁止を強調しようと利益相反だけの話を書いたが、単に両手取引禁止だけを考えているわけではない。地価の低い地方の不動産業者の経営が立ち行かなくなる可能性も考慮して、仲介手数料の上限(取引価格の3%+6万円)撤廃を認め、その代わりに数十万円、数百万円もする高額なサービスをパーセントで決める不明朗な商習慣を改め、事前に見積明細書の提示を義務付けるとのアイデアを示した。不動産流通コストの透明化を図ることで、消費者にとってより良いサービスを実現するのが狙いである。以下に記事を再掲載する。(2009-10-05に記載)

建築とは何か?

 Architectureとは何か?―そんな疑問を、経済記者として考えるようになったのは20年以上前のことです。私のプロフィール(大工の息子で、東京理科大学理工学部建築学科卒)が大きく影響しているのも確かなのですが、それだけが理由ではありません。駆け出しのコンピューター担当記者時代に言われた一言に衝撃を受けたからです。

 「日本人にArchitectureは作れない!」

 その言葉を発したのは米IBMのコンピューターエンジニアでした。

 建築以外にITの世界でも、Architectureという言葉が良く使われているのをご存知でしょうか?コンピューターの基本設計や設計思想を意味する言葉です。IT以外にも造園や造船などの世界でも使われていますし、90年代には政府・地方自治体、企業などの組織の最適化を行うための計画立案手法「Enterprise Architecture(EA)」が注目されました。

 建築人にとってArchitectureは、明治時代にその訳語として”建築”という言葉が誕生したわけですから、建築そのものを意味するのは自明のことです。ただ、建築という日本語は、狭義には建築物(Building)を指す言葉として使われてきました。広義に解釈しても建築物をつくる行為、プロセス、建築様式を意味し、BuildingあってのArchitectureです。

 しかし、ITの世界ではニュアンスがかなり違っています。アプリケーションやネットワークを考慮したコンピューターの「(全体)構成」という意味に近く、コンピューター単体の構造をArchitectureとは言いません。将来の技術革新や社会の変化に対応できるシステムの拡張性や戦略性を含めてArchitectureなので、同じ言葉でも、社会の仕組みや制度に対する影響力が大きく違っているのです。

 「日本人にArchitectureは作れない!」との発言は、日本のIT企業がコンピューターや周辺機器など単体製品では国際競争力のある商品をつくることができても、Architectureの基盤となる肝心の基本ソフトは、IBM、マイクロソフト、インテルなどの米国企業に抑えられたまま、手も足も出ない状況であることを指摘したものでした。しかし、私にはBuilding単体では世界的に評価される作品をつくる力を持ちながら、都市としてはデザイン的にも機能的にも雑然とした計画性に乏しいものしか作れない日本の建築界の実情を言い表した言葉のように思えたのです。

Master Architectの必要性

 日本の建築界には、確かに優秀なBuilding Architectは数多くいます。しかし、良い建築や都市をつくるためのArchitecture(社会的な仕組み)を設計してきた建築家がいたでしょうか?ものづくりの仕組みや建設業のビジネスモデルまで、何から何まで法律で規制されなければ自律できないような業界は他にないと思うのです。

 本来なら欠陥建築が発生しないような建設生産システムも、より良い景観が形成されるような街づくりのあり方も、建設業界が社会に対して提供していくべきものでしょう。それが建設業界の社会的責任であり、そうした役割を果たす人たちこそが「Master Architect」と呼べるのだろうと思います。もし、ものづくりの現場に精通し、経済・社会への影響を考慮できる優秀なMaster Architectがいたならば、先の姉歯事件のような問題も、改正建築基準法による官製不況も生じなかったかもしれません。

 私は、1997年のいわゆるゼネコン危機の頃から建設業の構造問題について取材を続けてきました。政界との癒着、談合問題から、下請けいじめを生む重層下請構造、建設コストの不透明性、さらに住宅問題、不動産証券化、建設行政まで含めて、さまざまな角度からこの問題を考えてきましたが、建設業界という狭い範囲で考えても問題解決は難しいのではないかと考えるようになりました。建設業界の構造問題を生み出してきた社会的な背景や原因を自らが究明し、その是正を社会に訴えていかない限り、解決への糸口を見出せないように思うのです。

 しかし、建設業界の内部にもさまざまな対立構造が存在し、建設業界のあるべき姿を示すことができない状況にあるのも確かです。明治時代に近代建設産業が確立されたとき、人を容れるための「空間」をつくるArchitectureと、それ以外の空間をつくるCivil Engineering(土木)が完全に分離されてしまったことに遠因があるかもしれません。その両者の橋渡しの役割を期待された都市工学も、建築寄りに独立した領域を形成しただけで、それぞれが縄張りをつくって互いを寄せ付けないのでは、建設業界の将来ビジョンを打ち出せないのも当然でしょう。

 行政側にも問題は山積みです。中央省庁では道路、河川、港湾、鉄道、都市、農村、住宅・建築、営繕の縦割り行政が続き、国と地方との二重行政も調整できずに、無駄を生み続けてきました。電子政府の総合窓口「e-Gov」の法令データ提供システムで建設に関連するキーワードで憲法・法律(政省令等は除く)を検索すると、いくつヒットすると思いますか?「建設」で455件、「建築」で289件、「住宅」で201件、「土木」で66件、「不動産」で342件という結果でした。もちろん重複があり、上記の「建設」から「不動産」までの5つで検索すると805件。実に多くの法律によって建設活動は規制されてきたのです。

 建設業界もそうした規制に慣れてしまって、既存の枠組みを破ろうとしてこなかったのも事実です。請負業者という立場に甘んじ、契約時・中間時・竣工時「10%・10%・80%」といった劣悪な支払条件でマンション工事を請けて共倒れしたり、裏金まで作って政治家やブローカーに金をばら撒いたりすることをいつまで続けるのでしょうか?

 現状の枠組みのままで、建設業の未来を論じても限界があるのは明らかです。建設業界は、真のMaster Architectを育て、建設・不動産業のあるべき姿を議論し、社会における建設業の地位を向上するためにもっと努力すべきです。建設業界で働く技術者、職人、労働者が、適正な報酬でプライドを持って働くことができなければ、建設業に未来はないと思うのです。

「部分最適」から企業・業界を超えた「全体最適」へ

 21世紀に入ってブロードバンドインターネットが急速に普及したことで、社会にさまざまな変化が表れてきました。インターネットを通じて世界中から情報を検索したり、集めたりできるようになり、これまで判らなかった事実を「見える化」する動きが活発化してきたのです。商品の価格を比較したり、リアルタイムで電車や飛行機の乗り継ぎをナビゲーションしたり、車のプローブ情報を使って交通渋滞情報を提供したり…。今後も正確な情報が集められる仕組みを作ることで、あらゆる分野で「見える化」は進んでいくでしょう。

 企業でも、事業活動に関するあらゆるデータを集めることで、経営の「見える化」に積極的に取り組んできました。「見える化」によって事業の中に埋もれていた無駄や無理が明らかになり、“最適化”を図ることでビジネスの効率を高めていこうというわけです。

 企業はこれまでも、さまざまな方法で事業の効率化に取り組んできましたが、一部の業務や部門ごとの効率化に止まっていました。ゼネコンでは、工種ごとに専門工事業者を外注することで効率化を図ってきたわけですが、安易な下請け叩きを繰り返したことで、下請けの重層化が進み、建設業全体でみると非効率で利益を生まない事業構造ができあがってしまいました。

 「見える化」が重要なのは、事業の効率化をこれまでの「部分最適」ではなく、「全体最適」で考えられるようになることです。部門を超え、企業を超え、業界を超え、さらに国を超えて、事業活動の全体を見通すことで、社会にとっても、地球環境にとっても、効率的な経済活動を実現していかなければならない時代を迎えています。

 企業は、限られた経営資源をいかに有効に活用するかで、収益力を高め、国際競争力を勝ち抜こうとしています。複雑で無駄が多いと言われてきた日本の流通機構にも「サプライチェーン」の考え方が導入され、小売業界では企業再編も含めて劇的な変化がもたらされています。建設分野でも、建設資材の調達・物流で複数の工事現場を合わせて効率化する試みや、専門工事業者と協力して建設コストの「見える化」を行うことで効率化をめざす試みも行われてきました。

 ただ、一口にサプライチェーンと言っても、どの範囲をカバーするかは見方や立場によって変わります。ゼネコンの立場なら、建築主から工事を受注して竣工物件を引き渡すまでがサプライチェーンの範囲かもしれません。しかし、建設工事を発注する企業や消費者など一般ユーザーの立場は、土地がなければ建物は建てられませんし、建物ができても機械設備や家具などを置いて利用し、その後も維持管理していくわけですから、土地・建物を合わせた「不動産」として投資効率を考えるのが当然でしょう。つまり、一般ユーザーにとって建設生産の効率化は“部分最適”に過ぎず、土地・建物・設備・維持管理を含めた「不動産」としての“全体最適”こそが求められています。

 それは本来、不動産業界が考えるべき問題かもしれません。しかし、建設生産の効率化はこれまでも散々、議論されてきましたが、不動産流通の効率化は私の知る限り、ほとんど話題になったことがありません。もちろん、ゼネコンの再編淘汰を含めて、今後も建設生産の効率化を進めていくことは必要でしょう。しかし、不動産流通を含めた「不動産」の効率化こそが消費者の望んでいることです。2年前に寄稿したコラム「建設2次市場とサービス化への対応」では、建設業の立場から積極的に建設2次市場(中古市場や証券化市場)に関わって、育てていくべきだと書きましたが、不動産流通の効率化の実現に向けて努力することも建設業の役割であると思うのです。

不動産における建物と土地のバランスを考える

 これまでも不動産証券化の導入が、建設生産システムに与えた影響を分析し、一括請負方式というゼネコンのビジネスモデルが利益を出しにくい構造になっていることを指摘してきました。今回は不動産ビジネスそのものに焦点を当てて考えてみることにします。不動産流通システムについても検討すべき問題が数多くあると思うのです。

 真っ先に考えるべき課題として、地価の問題があります。常識的に考えて、日本の地価は高すぎるると思うのです。不動産業界は、正当な土地取引によって形成されてきた価格と主張するでしょうが、日本郵政のかんぽの宿売却問題ではありませんが、過去に行われてきた土地転がしの実態を考えると、適正に価格が形成されてきたという確たる証拠はないと私は考えています。

 そもそも土地の値段は、何を根拠に決まってきたのでしょうか?建築物であれば、資材価格と設計や施工などの労務費などの総和として客観的に算出することができます。土地も、道路や上下水道などインフラ整備のためのコストはかかっていますが、それらの総和で価格が決まるわけではなく、基本的には需給バランスで決まってきました。だから「日本は国土が狭く、平地も少ないので、相対的に地価が高いのは仕方がない」との供給者側の論理で納得させられてきたわけです。

 しかし、消費者の立場で考えると、欲しいのは快適で利用価値の高い“空間”であって、土地そのものではありません。空間を目的に応じて有効に活用するために、建物や設備、家具などに十分なおカネをかけたいと思っているはずですが、日本では土地を購入した残りのおカネで、何とか建物を建てているというのが実情でしょう。

 日本では、不動産(土地・建物)に占める土地価格が5割以上を占めると言われます。マンションデベロッパーの一般的なビジネスモデルが、総事業費の2割を営業利益として確保したうえで、土地代4割、建築費4割の配分で事業を行っていると聞きますから、土地代が5割以上というのも大げさではないと思われます。しかし、私が知る限り、欧米の先進国でそうした事例をほとんど聞きません。

 年収700万円の平均的な世帯がマンションを購入する場合、マンション価格は年収の5倍の3500万円が限度と言われてきました。先ほどの比率で考えると建築費は1400万円以内。広さ90平方メートル(約27坪)を確保しようとすると、建設坪単価は51万円以内という計算です。もし、建物7、土地3ぐらいのバランスで投資できる環境だったなら、随分と日本の建築も変わっていたのではないでしょうか?住宅の平均寿命がわずか30年とはならなかったでしょうし、政府が推進する200年住宅のような高品質な住宅も、とうの昔に実現していたと思うのです。

 金融危機の影響で日本経済も急激に悪化し、経済再生に向けた取り組みがいろいろと検討されています。内需拡大に向けて、住宅・建設分野への投資も期待されていますが、土地だけをいくら転がしても経済波及効果はほとんど生まれないでしょう。手数料がピンはねされるだけのことです。いかに社会におカネを回すかが重要なのですから、そうした視点からも改めて日本の地価問題を考える必要があると思うのです。

建設・不動産ビジネスの全体最適とは

 別に建設業と不動産業のどちらに肩入れしているわけではありませんが、建設会社の工事総利益率が建築部門で4%、5%に落ち込む一方で、不動産の仲介手数料が相変わらず両手で6%強(片手では3%+6万円)の上限に張り付いたままであることに、違和感を覚えるのは私だけでしょうか?どう考えてもバランスを欠いているように思えるのです。この問題は、政治的にかなりデリケートなテーマのようですが、不動産取引の全体最適を考える上では避けては通れない問題だろうと思っています。

 不動産取引は、ご存知のように売主と買主がいて、宅地建物取引業者が仲介して行われるのが一般的です。売主から買主を探すように依頼された業者は、自ら買主を探すことができれば両方から3%+6万円以内ずつの報酬を得る“両手”取引となります。買主を探す(客付け)を他の業者が行った場合は、それぞれが3%+6万円以内で報酬を得る“片手”取引となるので、不動産業者はできるだけ“両手”取引を成立させようとします。

 現行の不動産取引で最も問題なのは、この両手の取引が認められている点でしょう。不動産業者は、売主と買主の間に入って媒介するだけと法律上はなっていますが、中立性が明確に担保されているわけではありません。自動車や金融商品などの取引であっても、買主が売主側のブローカーに手数料を支払うことなどあり得ない話です。

 2007年9月に不動産投資市場を整備するために金融商品取引法が施行されました。日本不動産ジャーナリスト会議の勉強会で講演した金融庁の証券課長も、法改正に当たって最も配慮したのは「利益相反」であると明言していました。なぜ、明らかに「利益相反」である両手の取引が不動産では認められたままなのか?大いに疑問があるところです。

 さらに、現行の取引形態では、売主側の業者はもちろん、買主側の業者にも、土地価格を引き下げるインセンティブが全く働きません。仲介手数料が上限に張り付いたままなので、土地価格を下げると報酬も自動的に下がってしまうからです。

 10年ほど前に私が住宅用の土地を取得するとき、買主側の業者を通じて価格の値下げ交渉を行おうと考えて、当初の仲介手数料を保証したうえで、値下げに成功した金額の10%を成功報酬で支払うことを思いつきました。例えば2000万円の土地があると、手数料を加えると支払い額は2000万円×1.03+6万円=2066万円。もし、200万円の値引きに成功した場合、2000万円−200万円+66万円+200万円×0.1=1886万円となるので十分にメリットがあると考えたからです。

 ところが、そのアイデアを国土交通省の不動産業課の幹部に話してみると、「それは宅建業法違反になりますね」とバッサリ。成功報酬も、仲介手数料に含まれるため、当初の仲介手数料66万円を60万円に引き下げても、成功報酬を加えるのは違反であると指摘されました。それを聞いたとき、日本の地価がバブル崩壊まで右肩上がりで高くなり続けた原因のひとつが、ここにある!と確信しました。不動産流通の段階において、地価を下げる方向の力がほとんど働かないのです。

両手取引禁止で中古住宅流通はこう変わる

 不動産流通のあり方をどう変えていけばよいのか?―不動産業界からの反発を覚悟して言うならば、「両手取引は禁止する。代わりに手数料の上限を撤廃する」という仕組みが最も効果的だろうと考えています。もちろん、手数料の上限を撤廃する代わりに、サービスの内容を明示する見積明細書の事前提示を義務付けます。建設業でも見積明細書を出すのは当然ですから、不動産取引でも明細書開示を義務付けても何ら問題はないでしょう。消費者も、見積もり合わせして複数の業者から選ぶことが可能になります。

 不動産取引のルールを変更することで、建設・不動産市場には次のような変化が起こるのではないかと予想しています。

 買主の立場で考えると、私が住宅用の土地を取得するときに最も心配だったのは、地盤の状態でした。中古マンションや既存ビルを買う場合には、建物の状態を最も気にするのではないでしょうか?実は中古住宅を購入しようとしている買主側のエージェントとして相応しいのは、不動産業者よりも、地盤や建物の状況を正しく診断することができる建設業者だと思うのです。これまで中古住宅流通に不熱心だった不動産業者に代わって、両手取引を禁止することで、建設業者が不動産取引の表舞台に登場しやすくなると考えられます。

 もし、建設業者が買主側のエージェントなら、どのようなサービスが期待できるでしょうか?地盤や建物をしっかりと診断した上で、根拠に基づいて建物価格の交渉が行えます。それによって、これまで不明朗だった建物の資産評価も適切に行われるようになることが期待されます。

 建物の購入段階で、リニューアル費用がどれくらいかかるかも建設業者に見積もってもらえるので、買主は最終投資額を見極めたうえで購入を決断できます。購入後は、診断に基づいてリニューアル工事を行います(またはCM=発注代行業者として発注)。最後に、品質保証と維持管理計画書を付けて物件を引き渡します。

 ここ数年、不動産業者が新しいビジネスとしてインスペクション(建物検査)サービスを提供し始めていますが、建設業者がパッケージサービスとして提供すれば、不動産業者が間に入るよりも安い価格で良いサービスが提供できると思うのですが、いかがでしょうか。

 インターネット時代の到来で、売主側の業者にとって客付けはそう難しくことではなくなりました。買主はインターネット検索で、自分の条件に合う物件を簡単に探すことができるようになっており、両手取引禁止で物件の業者による囲い込みが減って、情報がキチンと開示されるようになると、買主側のエージェントは建設業者でも十分に務まるようになるでしょう。消費者にとって、あちらこちらの不動産屋を回って物件を探す苦労がなくなれば、建物診断やリニューアル工事を含めた建設業者によるパッケージサービスが喜ばれると思います。売買契約のトラブル回避は、司法書士と提携したエスクロー(第三者預託)サービスを活用することで解決できるでしょう。

 大手ゼネコンとって不動産流通分野に進出する魅力はあるでしょうか?例えば、ある投資家が10億円+追加投資1億円で商業ビルを購入して運用するケースを考えた場合、従来なら3000万円が仲介手数料で不動産業者に、7000万円がリニューアル工事費で建設業者の取り分でした。それをパッケージ化することで、建設業者の取り分を多少は増やせるというぐらいの話なので、あまり魅力を感じないかもしれません。そうであっても、建設業として建設2次市場が健全に育っていくための仕組みづくりに積極的に関わって、新しいビジネスチャンスに挑戦するべきだと思うのです。

建設・不動産ビジネスにイノベーションを!

 国土交通省が、2008年7月に「不動産ID・EDI研究会報告書」をまとめ、公表したのをご存知でしょうか?欧米では不動産取引の標準的データコード体系が整備され、国際的な情報基盤も構築されつつありますが、日本では全く取り組まれていませんでした。急きょ08年1月から3月までに4回の研究会を開催して4か月後に報告書がまとまったわけですが、結論をひと言で言えば“時期尚早”。不動産にIDを付ける以前に「正確な不動産情報の整備が重要」という何とも情けない内容でした。

 当初から不動産業界は、不動産にIDを付けること自体に猛烈に反発したと聞きます。不動産流通の効率化にとって、IDを付けてEDI(電子商取引)できる環境を整備することは不可欠だと思うのですが、そうした認識を不動産業はまだ持っていないのでしょう。そう考えると、建設・不動産ビジネスにおいてイノベーションを起こせる可能性は、まだまだ数多くあると思うのです。

 日本は“ムラ社会”と言われ、それぞれのムラが互いの権益を尊重することで、無用な争いや軋轢を回避してきました。建設業も、バブル崩壊後は公共投資が好調でしたし、2000年から公共事業費の削減が進むと都市再開発やマンション建設でカバーしたり、中近東や東欧など海外事業を拡大したりと、どこかに“逃げ場”がありました。しかし、経済がグローバル化し、金融危機が世界を襲うなかで、建設の“ムラ”の中だけでは逃げ場がなくなってきているのは確かでしょう。

 他のムラに単純に逃げ込む(新規参入)だけでは、先住のムラ人の中で勝ち抜くのは簡単ではありません。あのトヨタ自動車ですら、住宅メーカーとしては中堅に甘んじています。他のムラに攻め込むのであれば、携帯電話市場に参入したソフトバンクのような思い切った戦略が必要でしょう。もちろん先住のムラ人とコラボレーションすることで、地歩を固めていく方法もあります。先行きが全く見えない時代、“選択と集中”という考え方よりも、多方面でビジネスを展開したり、フロー型ビジネス(建設1次市場)とストック型ビジネス(建設2次市場)をバランス良く分散させたり、いろいろな“逃げ場”を持っている企業が、これからの激動の時代を勝ち残っていけるかもしれません。

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