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 財団法人日本証券経済研究所の研究員を長年勤められた紺谷典子氏が、2008年11月に「平成経済20年史」(幻冬舎新書)に出版した。その中(236ページ)で未来計画新聞に掲載したコラム「

故・橋本元首相が見抜いた日本の金融機関の実力(2006-07-02)

」が引用された。紺谷氏とは面識がなく、まさかブログに書いた記事を引用していただけるとは思っていなかったが、ジャーナリストとして記録に残す重要性を改めて実感した。それを女房に話したら、一言。「あなたの記事を見つけてくださった紺谷先生が偉いのよ」

 ジャーナリスト活動をしていると、いろいろな問題や出来事に出会う。間近に政治家、企業経営者、官僚など社会に大きな影響を及ぼす方々に接して、何気ない言葉や表情から思わず本音が漏れることがある。しかし、それを記事として記録する機会は意外に少ない。

 最近の広報を通じた取材では、取材目的を明確にすることを求められることが多い。記事の企画趣旨を説明し、質問事項を文書で提出。取材した内容を何の記事に書くかも事前に言わなければならない。万一、取材して悪い形で記事に出れば、「取材に応じた広報が悪い」ということになるからだろう。

 昔は、企業側も取材に対して大らかだった。自動車工業会記者クラブに所属したとき、日産自動車の広報に最初に挨拶しに行くと、いきなり私の顔写真を撮られ、それと引き換えに日産自動車の会長以下、役員全員の自宅住所が書かれた名簿をくれた。いつでも役員に会ってもらって結構ということだ。

 フリーになると、未来計画新聞を通じてジャーナリスト活動の内容をこれだけオープンにしていても、取材を断られることが多くなる。経済記者として私が専門とする建設・不動産の大手企業の決算発表はできるだけ出席することにしているが、鹿島、大成建設、清水建設、三井不動産は快く対応してくれるが、大林組と三菱地所には出席を拒否されている(三菱地所は個別対応するとは言ってくれているが…)。

 話は横道に逸れたが、紺谷さんが引用してくれたコラムも、不動産協会の40周年記念誌にインタビューとして掲載するだけでは、決して記録されなかったエピソードだ。本題の取材が終わったあとの質問だったので、橋本さんも思わず本音が出たのかもしれない。非常に印象深い言葉ではあったが、記事に書く予定は全くなかった。

 ところが、未来計画新聞を立ち上げた当日に、橋本さん逝去のニュースが報じられた。取材した時「記者ならこういう話題をどんどん書くべきだ」とおっしゃった橋本さんの言葉を思い出し、追悼の思いでコラムを書いた。

 そのエピソードが「平成経済20年史」という本にも掲載されたことで、記録が”歴史”として残ることになった。記録を書き残した記者として大きな喜びである。

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