「日本の金融機関の技術力が、国際的に見てこれほど低いと判っていたなら、金融ビッグバンなどやらなかった…」―7月1日に死去した橋本龍太郎・元首相が、インタビューでそう語ったことがある。
 経済・産業専門紙の記者としてはほとんど接点はなかったが、2003年1月に不動産協会の設立40周年記念誌を制作する仕事で1度だけインタビューする機会があった。
 この一連の取材では、当時は富士通総合研究所理事長だった福井俊彦日銀総裁にもインタビューを行った。80年代の不動産バブルの検証も含めて「ジャーナリスティックな視点で執筆してほしい」との依頼で引き受けた。
 しかし、原稿がほぼ仕上がったところで、協会の公式記念誌としては差し障りがある内容が多いという理由で、私の手を離れて03年3月に出版された。
 橋本元首相に登場してもらったのは、過去の不動産・金融政策の重大な局面に深く関わっていたからだ。80年代のバブル期に地価高騰するキッカケになったと言われる87年の国鉄民営化に伴う旧国鉄跡地売却問題のときには運輸大臣(現・国土交通省)。不動産バブル崩壊の決定打となった90年の不動産融資総量規制を導入したときには大蔵大臣(現・財務省)。そして不良債権処理を一気に加速した96年の金融ビッグバンを推進したときに総理大臣。バブル経済の最初から最後までに関わっていたと言って過言ではない。
 インタビューで、運輸大臣時代の国鉄跡地売却問題は、次のように語った。
 「当時は清算事業団にいかに土地を集めて高値で処分するかが全ての人の関心事。地価高騰が社会問題になり始めて(高値売却に)ブレーキをかけなくてはいけなくなった時は複雑な気分だった。あのときに土地の供給を増やせば地価があれほど高騰しなかったとの意見もあるが、実体経済のファンダメンタルズから乖離していた状況では意味を持たなかっただろう」。
 しかし、大蔵大臣のときの不動産融資総量規制については「いろいろ差し障りがある」とコメントを拒否。しつこく食い下がると「そのときに総理だった中曽根さんに聞けばいいだろう!」と、ぶっきらぼうに一言。
 首相時代の金融政策についても「『米国債を売却したい衝動にかかれることがある』と発言しただけで散々、叩かれたしなあ」と苦い思い出を語っただけだった。
 インタビューの最後に飛び出したのが、冒頭の発言である。
 自民党総裁選挙で小泉首相に破れ、あまり表舞台に出なくなっていた橋本元首相に、最近の金融・不動産市場について意見を求めると、突然、金融特許に関する英文のレポートのコピーを持ち出してきた。
 日本が保有している金融特許はわずか2件しかなく、それも日立製作所などの金融機関以外が保有している事実を指摘。
 「もっとメディアはこうした問題を取り上げるべき」との熱弁を振るったのである。
 金融ビッグバンに踏み切る段階で、本当に首相はその事実を認識しておらず、回りも指摘していなかったのだろうか?
 誰もが薄々気付いていても、その重大さを認識していなかったということなのか?
 未だに誰も面と向かって指摘しない事実を、元首相がズバリと言い切ってくれたことが強く印象に残っている。
 最近、新しい金融サービス事業をスタートさせた大手企業とベンチャー企業の経営者を続けて取材すると、異口同音に金融機関をこう批評した。
 「日本の金融機関は自分たちの権益を守ることばかりに汲々としている。何も新しいことを始めないばかりか、外部の人間が新しいことを始めようとすると”ムラの掟”を振りかざして妨害する」。
 不良債権問題に苦しんだ金融機関も、ゼロ金利政策で莫大な利益を挙げられるようになったが、果たして自らの実力で稼げるようになったのかどうか。もう少し様子を見る必要があるかもしれない。

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