【コラム】宮沢元首相が公的資金投入を実行できなかったのはなぜか?(2007-06-28)

 宮沢喜一元首相が6月28日に死去した。1年前の7月1日に橋本龍太郎元首相が死去して、未来計画新聞でも「故・橋本元首相が見抜いた日本の金融機関の実力」と題するコラムを掲載した。残念ながら、宮沢元首相にお会いしたことはなかったが、1992年の不良債権処理のための公的資金投入問題のとき、私は現役記者として日本銀行の記者クラブに在籍していた。なぜ、公的資金投入は実行されなかったのか?

手も足も出なかった日銀記者クラブ時代

 当時、私は30代前半。IT担当記者としてそこそこの実績を残してきたつもりだったが、各メディアのエースが集まる日銀クラブに名ばかりのキャップとして叩き込まれ、「手も足も出ない」という状況を味わった。着任したのは、91年2月1日で、バブル経済が崩壊したと言われる直後。その前日に、NHKが公定歩合利下げの観測報道(実際に第1次利下げが実施されたのは6カ月後の7月1日だったが…)を流したことで、完全に記者たちが”戦闘モード”に入っていた戦場に、武器も持たずに突撃したようなものだった。

 早々に大失態を演じた。三重野康日銀総裁の会見記事を書いたら、私だけが他社の記事と中身が違っていた。「国会の解散と公定歩合だけはウソをついても問題ない」というのが記者の常識で、総裁の建前発言を真に受けて、そのまま書くような記者は他にはいなかったからだ。

 朝日新聞の日銀キャップはテレビなどでも活躍している山田厚史氏、日本経済新聞は長い間、日経ビジネスの編集長だった原田亮介氏(現在は日経本紙の金融部長に復帰していると聞いたが…)という錚々たる顔ぶれ。私はキャップのなかでは最も若輩だったこともあり、先輩方からはいろいろと教えていただいた。

不良債権額100兆円との数字が飛び交い…

 バブル崩壊に対する危機感は、それほど高まっていたわけではなかった。三重野日銀総裁も、利下げ観測に対して「経済のインフレなき持続的成長のために」とか、「ソフトランディング」という発言を何度も繰り返し、当時蔵相だった橋本龍太郎元首相からの政治的な圧力に対して利下げを先延ばししているとの見方もあったほどだ。

 当時、企画局長だった山口泰氏(前日銀副総裁)に、こんな素朴な疑問を何度がぶつけてみたことがある。

 「過去の日銀短観の景気判断指数のグラフを見ても、”山高ければ谷深し”だ。三重野総裁はソフトランディングさせると言うが、バブル経済をソフトランディングさせることなど可能なのか?」

 そんな質問をされたところで、山口さんも「できない」とは答えられるはずもない。何とかソフトランディングさせるべく、努力をしていたのだろうが、バブル崩壊による不良債権額は100兆円に達するといった驚くような数字も飛び交うようになっていた。

 この100兆円という数字、当時は出所が判らずに、誰がそのような試算をしているのか?と大いに頭を悩ませていた。その後、建設省(現・国土交通省)担当で不動産業界を取材して、その疑問が解決した。日銀本館のすぐ隣にある不動産最大手の三井不動産の坪井東会長(96年7月5日に逝去)が、バブル当時に行われた不動産投機の金額から計算して100兆円という数字をしゃべっていたというのである。確かに、当時は不動産協会の会長で、土地取引の実態を最も良く知っていた人物である。

 91年7月の第一次利下げから日銀が立て続けに利下げを実施するなかで、金融機関の不良債権問題が大きくクローズアップされてくる。92年に入ると、予想される不良債権額から見て金融機関の力だけではとても処理しきれないという認識が芽生えていた。そこで当時の宮沢首相から「公的資金投入発言」が飛び出したのである。

メディアは反対、経済界も尻込み

 私の個人的な印象ではあるが、宮沢発言に対する当時の日銀記者クラブにいた記者たちの評価は、決して悪くはなかった。日々、不良債権問題の取材に奔走するなかで、各新聞社のキャップと話をしていても大半の反応は「公的資金投入も止む無し」で、前向きに評価する声もあったほどだ。

 そのなかで真っ先に「反対」の論陣を張ったのが、朝日新聞。キャップの山田さんの論旨は明快だった。「公的資金を投入するなら、まずは金融機関の経営者らの経営責任を明確にするのが先決」であると主張したのである。すると、他紙の論調も、いっせいに「公的資金投入は反対」へと変わっていった。

 傍から見ていて、思わず口をあんぐりするような出来事だった。もちろん、公的資金投入という重要な問題について一般紙が論じる場合には、日銀の現場記者だけでなく、さまざまな判断が働いて記事が作成されることは承知している。しかし、新聞紙面だけを見れば、朝日新聞の論調に、他のメディアが追随したとの印象は否めなかった。

 当時の経営者たちには「バブルに乗ったのは自分だけではない。メディアだって、散々バブルを煽っていたはず」との思いが強かった。自ら煽っておきながら、間違いだと判ると、突然に犯人探しに転じるメディアの厚顔無恥ぶりは毎度のこと。問題の本質を究明するよりも、犯人探しに奔走してしまうのは日本のメディアの特性かもしれない。ところが、「経営責任」が前面に出てきたとたんに、金融・不動産、さらに土地投機に走った一般企業も含めて経済界が公的資金投入に完全に尻込みしてしまった。

公的資金投入の撤回は宮沢元首相だけの責任か

 宮沢元首相が死去したあとのテレビ報道などでは、「不良債権問題で公的資金投入の必要性を真っ先に認識していながらも、政治力がなかったために実行できなかった」との論評が多かった。宮沢さんが優柔不断で実行力がなかったために、日本の不良債権処理が遅れてしまったと断定する論調もあった。

 しかし、92年と2002年とでは公的資金投入を取り巻く環境は全く違っていた。2002年でも公的資金投入には相当の抵抗があったが、92年の時点で公的資金投入は小泉首相だったとしても実現できたかどうか。すでに死去してしまった宮沢さんを知る人たちが彼には実行力がなかったと言うのならそれは確かなのだろうが、それ以上に当時は金融機関などの経営者やメディアなど周りに危機感が欠落していたと言うべきではあるまいか。

 最近は大きな事件が発生しても、誰か1人に責任を押し付けて、幕引きが図られるケースが少なくないように思える。辞任したり、自殺したり、さらには「責任は私にある」と言い切った時点で関係者を含めて免責され、問題が追及されにくくなるとの思惑が働いているのか?安易な責任追及は、時として問題の本質を覆い隠してしまい、根本的な解決に至らない場合もあるように思えるのだが…。