【建設】建設業再生のシナリオを考える―ゼネコン再編の第二幕は始まるのか?(中)(2007-04-13)

業界再編は、どのようにして起こるのか―。イメージ的には「地震」発生のメカニズムを考えれば良いのかもしれない。業界全体に様々な要因によって「再編エネルギー」が蓄積され、いよいよ限界になったときに、誰か(何か)が引き金を引くことで、一気にエネルギーが放出され、地殻変動が業界全体へと波及していく。建設業界の「再編第二幕」を考える上で、まずは自動車産業と金融業の業界再編の流れを検証する。


大型再編が起こるために必要な3つの条件
 
 企業再編が起こるのは、ある意味で、企業の間で「競争原理」が正しく働いている証拠でもある。産業が発展していく過程で、企業の間で競争が行われ、優勝劣敗が生じ再編・淘汰へと進むことは仕方がないことであり、むしろ望ましいとの考え方もできるだろう。

 企業再編が起こるためには、3つの条件が必要と考えられる。第1に企業再編が不可避となるような「外部環境」の変化、第2に企業が再編を選択するに至る「内部要因」の蓄積、第3に企業再編を決断する経営者や株主の「リーダーシップ」だ。最近では日本でもM&Aしやすい環境が整備されてきたが、大型再編となると、やはり3つの条件が整うことが不可欠だろう。

 日本の自動車産業も当初は、欧米自動車メーカーとの技術提携による部品輸入・組み立て生産からスタートした。転機になったのは、1955年の「国民車構想」だったと言われる。技術の国産化が進み、66年には日産サニー、トヨタカローラが発売され、日本にもモータリゼーションの波が訪れた。

 自動車再編の第一幕は、1965年の完成乗用車の輸入自由化と70年の自動車資本自由化という2つの「規制緩和=市場自由化」によってもたらされた。日本への外資本格参入に備えて、66年に日産自動車がプリンス自動車を吸収合併したのを最初に、67年にトヨタとダイハツ、68年に日産と富士重工業が提携。資本自由化後の71年には米クライスラーが三菱自動車工業に、米ゼネラルモータース(GM)がいすゞ自動車に、79年に米フォードがマツダにそれぞれ資本参加する形で業界再編が進んだ。

自動車再編のキーワードは「国際化」

 70年代は、国内販売シェアをトヨタと日産が30%台で激しく競り合う一方、米国市場での排ガス規制強化などを契機に、トヨタや本田技研工業など日本からの自動車輸出が急増し、世界最大の自動車輸出国へと成長していく。80年代に入ると自動車分野でも日米貿易摩擦が表面化、83年にトヨタとGMが米国での合弁生産子会社の設立で合意。日本の自動車産業の「国際化」が本格的に始まった。

 世界経済のグローバル化は、予想以上のスピードで進展していく。85年のプラザ合意で金融自由化の時代を迎え、89年のベルリンの壁崩壊、91年のソ連邦解体で自由主義経済圏が拡大。しかし、日本メーカーは円高に苦しみながらも貿易不均衡を解消できず、95年の世界貿易機構(WTO)の発足を前に日米自動車摩擦が勃発した。

 この問題解決を通じて日本企業の国際化は大きく進展するが、同時に世界規模の業界再編に巻き込まれていくことになる。98年の独ダイムラー・ベンツと米クライスラーの合併で、再編第二幕が開き、99年に仏ルノーと日産自動車の資本提携へと発展した。

 日産自動車では、国際化という「外部環境」の変化への対応が求められる一方で、70年代から深刻化していた労使対立や国内販売シェアの長期低落など「内部要因」の蓄積で経営が行き詰まっていた。それを打開するために、塙義一社長(当時)が強い「リーダーシップ」を発揮して、世界規模の企業再編が実現したと言える。

 自動車だけでなく、鉄鋼や紙・パルプなど他の製造業でも、近年の業界再編は国内事情よりも国際競争の中で展開されてきた。医薬品業界も、海外メーカーに対抗して巨額の研究開発投資を続けていくためには再編が不可避だったと聞く。

「金融ビックバン」がもたらした金融再編第二幕

 では、建設業界と同様に、主に国内市場を中心に活動を展開してきた金融業界はどうだったか―。

 金融業界は過去に何度も再編・淘汰を繰り返しており、為替変動相場制に移行するきっかけとなる「ニクソンショック」があった1971年に第一銀行と勧業銀行の合併(旧・第一勧業銀行、現・みずほフィナンシャルグループ)、73年に太陽銀行と神戸銀行の合併(旧・太陽神戸銀行、現・三井住友銀行)が行われた。

 ここでは金融再編をどこを基点に考えるかであるが、自動車再編の第一幕が「規制緩和=市場の自由化」から始まったと考えると、やはり1983年に当時のレーガン米大統領と中曽根首相との合意によって始まった「金融の自由化」を大きな「外部環境」の変化と位置づけるべきだろう。米国では70年代に証券市場の制度改革を実施して金融の自由化に着手、その流れが日本市場にも押し寄せてきたのである。

 その後、85年のプラザ合意、87年のニューヨーク証券市場の大暴落(ブラックマンデー)を経て、日本ではバブル経済が拡大するなかで、都市銀行上位6行の座から滑り落ちそうだった三井銀行が90年に太陽神戸銀行と合併(旧・さくら銀行、現・三井住友銀行)。91年には都銀下位行の協和銀行と埼玉銀行(旧・あさひ銀行、現・りそなホールディングス)が、96年には三菱銀行と東京銀行(旧・東京三菱銀行、現・三菱東京UFJ銀行)が合併した。ここまでが金融再編の第一幕である。

 第二幕の端緒は、96年に第二次橋本内閣で取り組んだ金融制度改革、いわゆる”金融ビックバン”だった。86年に英国サッチャー政権が実施した金融ビックバンに倣い、銀行、信託、証券などの垣根を取り払って本格的な「競争原理」を導入した。その後、不良債権処理が本格化し、97年の山一證券、北海道拓殖銀行の経営破たん、98年の日本長期信用銀行(長銀)、日本債券信用銀行(日債銀)の国有化を経て、2000年9月にみずほファイナンシャルグループが誕生。01年にUFJ銀行、三井住友銀行が発足し、05年の東京三菱銀行とUFJ銀行の合併で、かつての都銀11行+長信銀3行の大手14行体制は、大手4グループへと再編された。

 同じく国内市場がメーンの小売業界を考えても、1973年に施行された大規模小売店舗法が89年から「規制緩和」に転じて2000年に廃止される過程で、再編淘汰が進んできたと考えられる。ただし、大店法廃止の影響は、地場商店街などに大きな打撃を与え、地域経済の活性化の観点から再び規制強化策が講じられているが、大手企業に限れば、総合スーパーはイオングループとセブン&アイグループの2大グループへと再編され、家電量販店や百貨店業界にまで業界再編の波は広がっている。

 最後に鍵を握るのは、やはり企業再編の引き金を誰が引くか―。経営者や株主の「リーダーシップ」は不可欠である。自動車業界にはルノーとの資本提携を決断した塙・元日産自動車社長がいたし、金融業界では現在は日本郵政公社総裁である西川善文・元住友銀行頭取の積極的な姿勢が目立っていた。最近、注目を集めている百貨店業界の再編では大丸の奥田務会長の存在が大きい。株主では、株買占めをきっかけに阪急と阪神の経営統合を実現させた(?)村上世彰・元村上ファンド代表のような存在もあった。

 果たして建設業界には、業界再編へと引き金を引く経営者や株主が出現するのだろうか?
つづく