「そもそも」と言う言葉に「基本的に」という意味が含まれている答弁書を5月12日に閣議決定されたことが話題となっている。辞書で調べて確認したという趣旨の首相発言を正当化するために取った措置としか考えられない対応だ。日本語の意味すらトップの意向で変えられてしまう「組織」はどうなっていくのか。

 「そもそも」間違いを認めたがらないトップが君臨する組織は危険な状態に陥っていると言わざるを得ない。トップにとって不都合な情報が隠蔽され、自らを正当化するために無理を押し通す。企業でも、役所でも、軍でも、地方でも、国でも、「組織」が破滅に向かって進んでいく典型的なパターンだろう。

 もちろんトップだけが悪いのではなく、そうしたトップを組織の大多数の人間が、積極的または消極的いずれかの理由であれ支持し続ける。組織が破滅していく原因や理由を多くの人間がウスウス気が付いていながらも止められないのが現実だ。

 確かになんやかんやと言いながら、日本経済は回っているし、それなりに稼いで豊かな暮らしをしている。誰もが好きなことをやって、好きなことを言っても、抑圧されるわけでもない。そう思って放置したまま気が付いた時にゆでガエル状態になっていれば、もはや「組織」は手遅れ状態である。

 自分は経済記者なので、企業や業界といった「組織」を見ている立場だが、間違いを認めず、トップが暴走して破たんしていった事例をいろいろと見てきた。同時に破たん状態に陥った日本企業がその組織の人間によって見事に再生したという事例はほとんど思い浮かばない。外資系企業など第三者の手が入って、再生したというケースがほとんどだ。異分子を徹底的に排除したがる日本の組織には、自己再生能力が乏しいのかもしれない。

 ある講演で、トヨタ自動車の奥田碩会長(当時)が、日産自動車の復活ぶりについて聞かれて「ゴーンさんだからできたこと。同じ日本人の私が乗り込んだとしても復活させることはできなかっただろう」とポロリ。やはり組織の再生は、感情が入り込むと難しいのかもしれない。

 そう考えると、戦後の日本が米国など連合国によって統治機構を再建したのは、日本にとって合理的な手法だった。短期間で奇跡的な戦後復興を果たしたことがそれを証明している。

 しかし、戦後70年が経過し、「ニッポンを取り戻す」とのキャッチフレーズで、日本の統治機構を見直そうという動きが活発化している。その目的と理由が何なのか。正直言ってあまり経済合理性があるとは感じられない。

 もちろん組織には、理念やビジョンは必要ではあるが、その背後には経済合理性があることが不可欠のはず。将来に渡って「組織」の人間を「食わせていく」ことがトップにとって最も重要な役割だからだ。急激な人口減少が進み始めた状況を踏まえて、日本の産業・経済の持続可能性をいかに担保していくのか。経済記者としては合理的な視点で状況を冷静に判断するしかないと思っている。(フェイスブックにコメントとして書き込んだ文章をリライトしました)

お問合せ・ご相談はこちら

「未来計画新聞」は、ジャーナリスト千葉利宏が開設した経済・産業情報の発信サイトです。

お気軽にお問合せください_

有限会社エフプランニング

住所

〒336-0926
さいたま市緑区東浦和

日本不動産ジャーナリスト会議の公式サイト

REJAニュースサイト

IT記者会の公式サイト