国土交通省が「建設産業の魅力を発信するための戦略的広報検討会」を立ち上げ、11月12日に第一回会合を開いた。学識経験者を中心に2010年12月から始まった「建設産業戦略会議」の提言を受けて設置されたものだ。戦略会議そのものが非公開で詳しい議事録も公表されていないので、どういう経緯で戦略的広報が必要という話になったのかは不明だ。ただ、これだけ情報が氾濫するインターネット社会になって、いまさら戦略的広報が必要というのもいかがなものか。長年、建設産業を取材してきた記者としてみれば、「企業トップが産業の未来を何も語らない」業界に戦略的広報もないものである。組織にとって最大の広報マンは誰か。まずは企業の経営トップが自らの考えを自らの言葉で語ることだと思うのだが…。

「ジャーナリズムが劣化した」とは言うけれど…

 以前から日本のジャーナリズム、とくに新聞に対するメディア批判はあったが、最近は一段と強まった印象がある。記者クラブ制度に対する批判も強いし、記者の取材力が低下しているとの厳しい評価も聞く。いまやインターネット経由で、企業や役所などが発信する情報は誰でもリアルタイムで入手できるだけに、記者にはそれ以上の情報を求めるのは当然のことではある。

 私が在籍していた日本工業新聞は、経済紙と業界紙の中間に位置するような媒体で、マスメディアが第四の権力であるなどと感じたこともないし、「ジャーナリズムとは何か?」を論じている余裕もなく、走り回ってきた。改めて振り返ると、メディアを取り巻く環境は確かに大きく変化した。同時に取材先の企業や役所の対応も随分と変わったとの思いが強い。

 その変化とは、企業経営者と真剣に『議論』する機会が減ってしまったということだ。12年前にフリーランスになって経営トップに会うチャンスは減った影響もあるが、それだけでなく企業側のガードも固くなった。もちろん、新聞記者は企業を経営した経験もないし、経済・金融の専門家でもない。そんな記者と議論したところで時間の無駄だと思われるかもしれないが、まだ80年代から90年代には企業のトップや役員クラスとじっくり議論する機会があった。

 とくに80年代後半に担当したIT業界では、ビル・ゲイツや西和彦、孫正義など若き天才たちが活躍していたこともあって、大企業の経営者や幹部が若い記者とも自由に意見交換するオープンで大らかな雰囲気があったし、記者を育てようとしてくれていた。先の中間決算で巨額な赤字を計上して厳しい経営を余儀なくされているパナソニックやシャープにも積極的に新しいことに挑戦する力がみなぎっていた。

胸襟を開いて記者と付き合ってくれた思い出深い経営者たち

 パナソニック(当時は松下電器産業)で忘れられないのは、技術担当副社長だった水野博之氏だ。退社後も高知工科大学副学長を務めるなど世界的な半導体の権威である。当時、コンピューター事業を本格的に立ち上げようとしていたパナソニックでは、富士通と組んで事業化を進めていた村瀬通三副社長に対して、水野さんは世界市場も視野に海外メーカーと連携する戦略を考えていた。

 水野さんには1、2度取材させてもらっただけだが、広報を通さずに直接、秘書から電話がかかってきたことがあった。「大阪まで来て、松下のコンピューター事業について君の意見を聞かせてほしい」という。往復の新幹線の切符が送られてきて、新聞社には適当な理由を付けて同僚の半導体担当記者と2人で泊りがけで会いにいった。最初に門真市にある技術研究所の所長が出迎えてくれて研究所を見学。夕方に水野さんが合流して大阪ビジネスパークタワーの最上階で食事をしながら、いろいろと意見交換をさせてもらった。

 今年1月に亡くなった富士通元社長の山本卓真氏は、元軍人らしく困難に立ち向かって動じることのない人だった。ある時、社長インタビューのアポを入れた後に「富士通のエンジニアリングワークステーションGシリーズは失敗だった」という記事を掲載したら、山本さんの秘書から電話がかかってきた。「山本が千葉さんの顔はしばらく見たくないと申しておりますので、インタビューはキャンセルします」と。「失敗した」と書かれて余ほど腹が立ったのだろうが、こちらも紙面に穴が開いては困る。改めて依頼すると予定通りにキチンと取材に応じてくれた。

 今年2月に亡くなった日立製作所元副社長の三浦武雄氏(取材当時は常務)とも、会うたびにいろいろな話をした。1時間のインタビューで最初の45分は、こちらが質問してものらりくらり。すると「もう、いいだろう」と勝手に取材を打ち切って逆質問を始める。国内外のコンピューター市場や他社の動向について10分ぐらい意見交換を行うと、最後の5分で「実は、こんなことを考えているんだ」とニュースが飛び出てくるというのがパターンだった。

 1989年2月に発売した富士通の新型パソコン「FM-TOWNS」では、コンピューター担当専務だった関澤義氏(90年に社長就任)から困った相談を受けた。発売直後に関澤さんに会うと開口一番、「君が言いたいことは分かっているが、2年間は我慢してくれ!」と言う。思わず「何をですか?」と聞き返すと「君は、なぜFM-TOWNSを商品化したのかと言いたいのだろう」「もちろん、そうですよ。いま、FM−TOWNSを売り出して成功すると思えませんからね」「だから2年間、論評するのは待ってほしい」と。

 当時、富士通はIBMと汎用コンピューター分野で死闘を続けてきた。10年以上に及んだIBMとのソフトウエア紛争も88年にようやく決着したが、富士通の技術陣にも大きな傷跡を残した。これまでIBM互換路線で後追いを続けてきた富士通技術陣にとってFM-TOWNSは、独自にコンピューターを開発すれば世界最先端の製品をつくれることを社会に示す存在証明だった。それが商品として成功するかどうかは大きな賭けだった。富士通が新たな飛躍をめざすためには必要だと経営判断したのだろう。

経営者が未来を語らずして何を語るのか

 新聞記者の『議論』は、取材相手に対する質問と同じである。よく記者会見などで「○○について教えてください」という質問も出るが、「教えてください」と言われて想定問答以上の答えが返ってくるわけがない。別に記者の稚拙な考えを披露したいわけではなく、議論のための誘い水みたいなもの。経営者が何を考え、企業を、業界を、社会をどうしたいと思っているのかを引き出すのが目的である。わざと否定的な意見をぶつけることもあるが、それに腹を立てて記者と話もしないようでは経営者など務まらない。

 企業経営者が自分の言葉で自らの思いを語ることは、経営の根幹である。そうでなければ社員は付いてこないし、取引先の信用も得られるはずはない。今では米アップル社の故スティーブ・ジョブス氏のようにトップ自らが語ることで、消費者をがっちりと惹きつけている経営者も少なくない。将来を担う優秀な若者たちも、経営者が未来を語らないような企業や業界に就職したいと思うだろうか。

 他の業界と比較して明らかに、経営者が自ら語ることを怠ってきた業界が建設産業である。過去の談合問題やら贈収賄事件などが影響しているのだろうが、経営者が雄弁に語る姿をほとんど見たことがない。10年以上、日経新聞と朝日新聞のスクラップを取り続けているが、ゼネコンの経営者が記事で登場した記憶がほとんどない。大手ゼネコンが技術ネタでたまに記事になるくらいで、あとは日本建設業連合会会長の野村哲也清水建設会長の定例会見でのコメントを見かけるぐらいだ。

 15年以上建設産業を取材して印象に残る建設会社の経営者も限られる。個人的に印象深いのは、日建連会長も務めた前田建設工業元会長の前田又兵衛氏と、清水建設元副社長の近藤一彦氏のお二人ぐらいだ。かつては建設会社の社長が国会議員になったり、財界団体のトップに就いたりした時代もあった。高度成長期に比べれば大幅に縮小したと言え建設投資はGDPの約9%を占める巨大産業であるが、過去20年間、財界の主要ポストに就いた経営者は皆無。いま、建設業界にオピニオンリーダーと呼べるような経営者がいるだろうか。

15年前に建設産業の衰退を憂いていた経営者がいた!

 国土交通省が建設産業における戦略的広報を言い出した背景は、建設技能労働者の不足が深刻化し、産業の弱体化が懸念されてきたからだ。とくに若者の入職率が他の産業に比べて大幅に低くなっており、若者の建設離れは産業の死活問題となりつつある。そうした状況であるにも関わらず、建設会社の経営者は何ら具体的な打開策を語らない。建設産業の未来をどうしたいかも語らない。それは一体どうしたことか。

 11月中旬に行われた大手ゼネコンの第2四半期決算発表の時にも、建設労働者の法定三保険の未加入問題に関連して、建設受注の時の積算における法定三保険の取り扱い状況について質問した。もし対応していなければ、今後、下請け会社への工事代金支払いで法定三保険の費用負担をゼネコンが被る可能性があり、企業収益を悪化させる要因になると考えたからだ。予想通り(?)に何ら回答は得られなかったが、ゼネコン幹部がこの問題をどう考えているのか、その本音が垣間見えた。

 法定三保険の問題は国土交通省で1年以上前から議論されている問題であり、最近では原発事故の除染作業における危険手当の未払い問題も大きく報じられた。そうした手当が、どのように支払われているのかを記者が聞くのは当然である。問題が生じた時に、どう対応するのかを記者に聞かれる前に準備しておくことの方が、いろいろと魅力発信を考えるよりも戦略的広報であるように思う。

 実は、15年も前に、鉄筋専門工事業者の全国組織である全国鉄筋工事業協会元会長の岩田正道氏を取材した時に、すでに法定三保険の問題を心配していたことを鮮明に覚えている。「今のままでは、とても親や学校の先生にお子さんを安心して就職させてくださいとは言えない。建設産業はいずれ若者が就職してこなくなる業界になってしまう」と憂いていた。重要な問題を放置したままで、何を戦略的に広報するのだろうか。せっかくの機会なので、じっくりと『議論』させていただければと思っている。

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