「北海道の人間は土地に対する執着がなさすぎるのではないか。苦労して開拓した土地も簡単に売ってしまう」―北海道のある自治体職員(内地出身)に言われて、思わず納得したことがある。私も札幌生まれの道産子だが、小学校の時から北海道開拓の歴史を習い、この土地がもともとアイヌ民族のものであることを学んできたからだ。和人(大和民族)にとっては苦労して開拓した土地ではあるが、アイヌが祖先から受け継いできた土地を勝手に開発して住んでいるとも言える。日本政府がアイヌを先住民族と認める閣議決定をしたのは2008年6月のこと。今月、北海道白老町に初の「アイヌナショナルセンター」を建設することを決めたようだが、アイヌの人たちは、誇りを持って自分たちを「日本人」であると思ってくれているのだろうか。

アイヌを「土人」と呼び続けてきた和人

 「日本は単一民族国家」という言葉を聞くたびに、違和感を持っていた。高校まで札幌に住んでいて、残念ながらアイヌの友人や知人はできなかったが、狸小路商店街の民芸品店などではよくアイヌの人を見ていたし、学校の遠足などで博物館や歴史館などでアイヌの歴史や文化に触れる機会も多かった。単一民族との言い方は、子供のいじめ問題ではないが、アイヌの人たちを無視(シカト)するような差別と偏見を感じていた。

 北海道アイヌ協会のホームページを見ると、2006年に実施した「アイヌ生活実態調査」で北海道に住むアイヌ民族の人口は2万3782人である。明治維新から戦前までは徹底的な同化政策を押し付けて、教科書にはアイヌを「土人」と表記してきた。戦後は、日本国籍を持つ「国民」としてだけ扱い、民族としての配慮に欠けた対応を続けてきた。

 国籍は同じ日本人であっても、民族が違えば文化や伝統は異なる。外国から日本に移住して帰化しても、民族として受け継いできた文化を大切にしたいと思うのは当然だし、無理に同化を押し付ける必要があるのだろうか。第二次世界大戦以前は、確かに国家を統合していく目的で、民族を強制的に同化したり、ホロコーストのように民族を排除したりする考え方が強かったように思うが、いまも世界各地で民族紛争は続いている。

コシャマインの乱は内乱?侵略戦争?

 私が学んだ北海道の歴史も、いわゆる和人から見て書かれた歴史である。和人が初めて北海道に渡ったのは1400年代の前半、室町時代の中期のことだ。武力をもって函館などの道南地域に拠点を築き、応仁の乱とほぼ同じ時期の1457年の「コシャマインの乱」制圧を経て領土を拡大。1593年に豊臣秀吉によって蛎崎慶広に蝦夷地支配の朱印状が与えられて、蝦夷地=北海道の領主になったとされる。

 さらに徳川幕府が開かれ、松前藩が誕生したあとの1669年に「シャクシャインの乱」が起きたが、和睦の席で松前藩はアイヌの指導者シャクシャインを毒殺。この蜂起制圧の後、和人はアイヌ民族の支配を確立したようだ。和人は北海道に渡って約200年をかけて、アイヌ民族を征服したことになる。

 和人の歴史では、コシャマインの乱も、シャクシャインの乱も、さも「内乱」のような書き方をしているが、第三者から見れば、明らかに「侵略戦争」だろう。支配する側が、自分たちの都合の良いように書いたのが歴史というものではあるが、和人たちは、侵略戦争で得た国後島や択捉島などの北方領土も、日本人(和人)が住み続けてきた「日本固有の領土」であると主張しているのである。

アイヌの先住権を認めたがらなかった日本政府

 「シャクシャインの乱」から300年以上の時間を経て、日本政府は、ようやくアイヌ民族を北海道の先住民族であることを認め、アイヌナショナルセンターの建設を決めた。その10年ほど前の1997年には北海道旧土人保護法を廃止して、アイヌ文化振興法を制定していたが、この時はアイヌ民族の「先住性」は認めたものの、民族独立につながりかねない「先住権」を認めなかった。

 そもそも、アイヌの人たちに、国家という概念があったのだろうか。かつては津軽地方から北海道、さらに千島列島や樺太にかけて、自由に往来しながら、狩猟民族として部族単位で暮らしていた。その当時にアイヌ国家が成立していなくても、北海道や千島列島がアイヌの人たちの土地であることは紛れもない事実である。国家が管理していなければ「領土」として確立されていないと考えるのは、封建時代から続く国家主義的な考え方だ。

 国家意識など持っていなかったと思われるアイヌの人たちも、今後は先住権を認められた日本人として、北方領土の返還交渉のテーブルに着くことになる。戦後、日本人を北方領土から追放して70年近く住み続けているロシア人たちに対して、何百年も住み続けてきたアイヌの人たちに先住権を主張してもらって対抗するのだろう。

領土は誰のために守るのか?

 人間はきれいな空気と水がなければ生きていけない。その環境を与えてくれる国土で豊かに暮らしたいと願い、地震や火山、台風など厳しい自然と闘いながら国土を守っている。国土が広ければ広いほど豊かに暮らすことができると考えるのも、動物の縄張り争いと同じ本能的なものなのかもしれない。

 かつて封建領主が、征服した土地を家臣に分け与えて主従関係を結び、家臣は封土と農民を侵略されないように必死になって守り抜く。「国家が国民と領土を守るのは当然」という国家主義の考え方は、第二次大戦前も今も変わっていない。

 ただ、第二次大戦の前と後で大きく変わったことが2つあると思っている。「地球上に大量の核兵器が存在する」ことと、「人類にとって地球は限りある存在との認識を多くの人々が共有した」ことである。

 昨年、70億人を突破した世界人口が今後も増え続けるなかで、持続可能な人間社会を維持していくために地球をどのように保全・管理していくか。それぞれの国や国民が自らの国土に対する責任を果たしていくことが必要ではあるが、領土問題も、防衛や資源確保の視点ばかりでなく、地球環境の視点から考えることがますます重要になってくるだろう。

半永久的に続く領土問題にどう向き合うか

 今年、終戦67年目を迎えた。もう67年経ったと考えるのか、まだ67年と思うのか。その間に、日本は世界有数の経済大国へと成長したのは確かだが、近代化国家となってまだ140年だ。成長著しい韓国も、李氏朝鮮が崩壊して100年、日本から独立して67年、民主化されて25年、いまだに北朝鮮とは戦争状態にある。中国も共産党の一党独裁体制が続いている。やはり「まだ67年」と考えるべきなのだろう。

 重要なのは、100年後、200年後を見据えて、双方がどのように向き合っていくのかである。領土問題は、国家主義的な考え方を持ち続ける限り、半永久的に続く。そう覚悟して、お付き合いするしかない。主張すべきことはきちんと主張し、同時に友好的に付き合っていきたいとのメッセージも発信し続ける。気に食わないから口も利かないというのでは、子供のケンカと同じだ。

 領土問題ほど為政者など一部の思惑で利用されやすい問題はない。そんな思惑に双方の多くの国民が振り回されるのは不幸なことだ。領土問題は、双方が納得できる解決策を模索する努力を続けながら、良い解決方法が見つかるまでは凍結保存し続けるに限る。それが100年後になるか、200年後になるかは判らないが、その間には様々な思惑から解凍しようとする人間は必ず出てくる。そうした思惑に振り回されないためにも様々なレベルでの交流を活発化していくしか方法はないと思うのだが…。

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