【コラム】為政者が掲げる大義とは?―消費税増税に突き進む野田政権(2012-01-05)

 明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。

 新年を迎えるたびに「今年はどんな年になるのか」が語られる。年末年始の新聞紙面には「転換期日本」とか「政治の年」「決断の年」などの言葉が並んだ。野田佳彦首相の年頭所感では「日本再生に歩み始める最初の年」とし、「希望と誇りある国・日本」を目指すことを表明した。最初の一歩と位置づけているのが消費税増税法案であるらしい。それを野田首相は“大義”だという。自分も、消費税増税は避けられないとは考えているが、為政者である首相が増税を“大義”と言い切って良いのだろうか?

大義を掲げることの意味

 大義という言葉を、野田首相は1月4日の年頭記者会見で使った。1月5日の官邸かわら版ブログの「諦めない心で、挑む」の中でも、「どんなに困難なことであっても、大義を繰り返し訴えていけば、思いは通じ、局面は変わる、と信じています」と書いている。率直に言って違和感を覚えた。

 大義の意味を広辞苑で引くと、「重要な意義。大切な意味」「人のふみ行うべき重大な道義。とくに主君や国に対してなすべき道」とある。つまり、消費税増税は、「人のふみ行うべき重大な道義」であり、国民が「国に対してなすべき道」であると説いているのである。

 自分も、しばしば“大義”という言葉を使っている。ほとんどの場合は「大義名分が成り立つ」といった言い回しである。「理屈の上では道理が通っている」といった程度の意味であって、大義を肯定的な意味で使っているわけではない。むしろ、懐疑的なイメージを持っている。

悠久の大義とは何だったのか

 大義という言葉を聞くと、戦時中に東条英機首相などの指導者たちが戦意高揚のために掲げた「悠久の大義」が思い浮かんでしまう。果てしなく長く続いてきた国家・天皇への忠義に生きることが国民の道であると説かれ、多くの若者たちが戦場に散っていった。

 為政者の立場にある人間にとって大義という言葉は便利な言葉ではないだろうか。「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」を悠久の大義と説けば、あとの細かな説明は不要だった。国民には大本営発表ばかりで、戦争がどのような局面にあるのかもほとんど知らされることなく、戦場で死ぬことが大義と説かれ続けたのである。

 いま、国民の多くは、消費税増税は避けられないと感じているだろう。野党の自民党なども、基本的には消費税増税は必要という立場だ。そうした状況であるにも関わらず、国のトップの首相が“大義”を声高に叫ぶのは、なぜなのだろうか。とにかく大義を掲げて「無理やりにでも法案を通してしまおう」との思惑が透けて見えてしまうのである。

 もちろん自民・公明政権でも実現できずにきた消費税増税に果敢に取り組む野田首相を評価する声も聞く。もう、これ以上の先送りは許されないとの思いがある一方で、最後の切り札ともいうべき消費税増税に踏み切って良いのかとの不安もある。未だに社会保障改革の具体的な姿が、国民にはほとんど知らされない状況のなかで、首相自らが“大義”を掲げて消費税増税へと突き進む日本の将来は果たしてどうなるのだろうか。

さて、そんな2012年の目標は?

 2011年は、東日本大震災が発生したあと、正直に言って何を記事で書くべきなのか、迷いが生じた。4、7、11月と被災地を取材し、あまりに甚大な被害にただ立ち尽くしてしまった。日本人の価値観も大きく変化し、社会を取り巻く環境も変わった。どこに軸足を置いて記事を書くべきなのか思い悩んだ末に原稿執筆のペースは大きくダウンした。未来計画新聞のブログ更新も滞りがちだった。

 2012年も、東日本大震災からの復旧・復興や福島第一原発事故の処理など問題は山積している。世界経済も先行きもどうなるのか、判らないことだらけだが、あまり迷ってばかりいても仕方がない。取材したことを素直に記事に書く。それ以外に、自分にできることないのだろう。

 今年の目標として、未来計画新聞を週1回は更新することをめざしたい。日本不動産ジャーナリスト会議のニュースサイト「REJAニュース」、IT記者会のホームページへの記事出稿にも積極的に取り組みたいと考えている。

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