TPP(環太平洋経済連携協定)に日本が参加するのは得か損か―。そのような議論は不毛に思えてならない。なぜ、国民自らが日本経済のあるべき姿を描き、それに向かって進もうとしないのか。現状のままであれば、TPPに参加しようがしまいが、日本経済の活力は失われ、地盤沈下が進んでいくのは避けられないだろう。私が長年取材してきた建設業がいま直面しているように、若者も就労せず後継者も育たないような産業がますます増えていくのではあるまいか。国民を勇気付け変革を促すのが政治の役割だとすれば、ただ目の前の損得ばかりを議論し、日本が抱える本質的な問題を先送りする政治は国を滅ぼすだけである。

20年前の日米経済交渉を振り返って思うこと

 現在、建設・住宅・不動産などの超ドメスティックな産業を中心に取材している記者が、TPP問題に言及するのは場違いだと思われるかもしれない。しかし、日本工業新聞入社2年目の1985年、半導体産業担当になったとたん日米半導体摩擦場が勃発。それ以来、コンピューター担当時代は、日米構造協議で知的財産権問題、スーパーコンピューター問題、坂村健東大院教授が提唱した国産コンピューターのTRON問題、さらに自動車担当時代は日米自動車摩擦と、ほぼ10年間に渡って現場最前線で取材してきた。

 1995年の日米自動車交渉では、最終合意のシナリオをスクープした。そのことは、その年の11月に日経新聞の自動車担当記者らによって出版された「ドキュメント日米自動車協議―『勝利なき戦い』の実像」の146ページに、さすがに「日本工業新聞」とは書いていないが、ある新聞が95年6月19日にトヨタ自動車の自主計画を最初に報じた事実を書いてくれている。外信部長からは、米国の新聞(ニューヨークタイムス?)から私の記事を転載したいとの電話があったと聞いた。

 詳しい経緯はいずれ記録として書き残すつもりだが、私自身は、日米自動車協議が日経新聞が直後に書いたような「勝利なき戦い」であったとは考えていない。表面的には、外国車の輸入拡大と外国製自動車部品の購入拡大が大きなテーマだったが、その後、トヨタ、本田、日産などの日本メーカーは本当の意味でのグローバル企業へと飛躍し、自動車産業は世界規模での再編が進んでグローバル化が一段と進展した。日米自動車協議がなかったらトヨタが世界トップの自動車メーカーになることもなかっただろう。

産業の「将来像」を描くのは誰か?

 過去に私が取材経験のある半導体、スーパーコンピューター、自動車、建設(公共工事)、金融・保険商品などの日米経済協議の対象分野のうち、交渉決着後に成長できた産業は「自動車」だけである。スーパーコンピューターこそ今年、ようやく性能面で世界トップの座を奪還したが、かつて世界トップだった半導体産業はいまや韓国メーカーに大きく水を開けられ、建設も、金融・保険も相変わらず国内市場中心で、グローバルに成功したという話は聞かない。

 その事実だけを見れば、米国など海外との経済連携を進めても、日本には不利なだけで、メリットが少ないようにも思える。日本の自動車産業には不利な交渉結果(?)を跳ね除ける力があったが、他の産業では、国内市場の開放や規制緩和を進めたことで、競争力が低下し、成長できなくなったということなのか。いや、そのような認識は決して正しいとは言えないだろう。

 日本の自動車産業が、交渉決着後にグローバルな発展を遂げられたのは、自らがめざすべき将来像が描き、政治や役所にお任せせずに、主体的に経済交渉に取り組んでいたからだ。業界自ら決着のシナリオを描き、政治や役所の思惑やメンツなどは関係なく、産業の「将来像」を見据えながら自らの力で合意を勝ち取った。だから、交渉決着後も、受身にまわることなく、各企業が積極的にグローバル化を進め、さらなる成長を遂げることができたと私は考えている。

 今回のTPP問題では、最初に経済産業省や農林水産省からTPPに参加した場合の経済的利益と損失に関する試算が公表されたが、その前提となる産業の「将来像」が見えてこないのはなぜか?実際のビジネスの現場や実情を知らない政治家や役所が描いた通りに決着した過去の経済交渉は、半導体にしろ、建設にしろ、保険にしろ、のちのち大きな課題を残した。当事者でない政治家、官僚、学者らが、その産業の将来や未来に責任を持てるはずがないからである。

 「問われているのは日本の将来像であり、痛みを乗り越える政治の覚悟だ」―TPP問題で日経新聞(10/24付)がそう書いたが、将来像を主体的に描くのは、まずはそれぞれの産業界である。TPP問題に関わる産業は賛成・反対を叫ぶ前に、国民に自ら描いている将来像を示す必要がある。TPPを積極的に推進しようとする産業でも戦略なしに交渉を進めれば、半導体の二の舞になるかもしれない。相変わらず外圧頼みでは情けない話だが、TPP問題はそれぞれの産業が自らの将来像について徹底的に議論する良い機会である。

自らの将来像を描けない産業が行く末は?

 TPPでは公共事業分野が対象となっている建設業界の場合、建設産業の将来像について、ある意味最も真剣に考えてきたのは、道路や橋梁などを着実に整備しなければならない発注者である国土交通省の官僚たちである。1995年に策定された「建設産業政策大綱」を最初に、役所主導で建設産業のあるべき姿が議論され、今年9月30日には国土交通大臣の諮問機関である社会資本整備審議会の下に、建設部会が新たに設置され、建設産業の基本問題に関する議論が始まっている。

 1997年にゼネコン危機が表面化して以来、建設業界の産業構造問題について散々、議論されてきたが、国内建設市場の縮小とともに業界の地盤沈下に一向に歯止めがかからない。経済社会環境が大きく変化したにも関わらず、自らの将来像を描くことができないでいる。その理由はいろいろあるだろうが、最大発注者であり監督官庁である役所ばかりを見て、本当の意味で消費者や市場に向き合ってこなかったからではないのか。

 いま、建設産業の最大の問題は、建設労働者の不足と急激な高齢化である。これから震災復興工事が本格化するなかで、労働者不足がネックになる懸念も出ているほどだ。国内経済の低迷が続くなかで若年層の就職問題の深刻化が叫ばれているが、そうした状況であっても建設産業に就職する若者は減り続けている。これは建設産業だけの問題ではない。いまは厳しい状況にある建設産業も含めて、自らの将来像を描き、あとに続く若者や後継者が希望を持てる産業であり続けることが、日本経済を活性化する道ではないかと思うのである。

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