世の中には「触れてはならない問題」がいろいろと存在している。それらタブーを作っているのは、権力者(政治家、官僚、大企業)とメディアだ。日本の原発では、チェルノブイリやスリーマイルのような重大な事故は「あり得ないこと」とされてきた。その「あり得ないこと」が今、目の前で起きている。改めて調べると、決して「あり得ないこと」ではなく、以前から様々な疑問や懸念が指摘されていた。ただ単に目を瞑っていただけなのだ。思い返せば、そのような問題にこれまで何度も遭遇してきた。核兵器の持ち込み疑惑しかり、大相撲の八百長疑惑しかり…。経済分野を取材していても、原発ほどではないにしろ「触れてはならない問題」は少なからず存在する。目を瞑ってきた問題に決着をつけるべき時期が来ているのではないか。

「触れてはならない問題」が存続する条件

 朝日新聞の3月29日付けの「私の視点」に福島原発事故について「『信心』捨て自ら考えよう」という表題の投稿コラムが掲載されていた。投稿者は、福島原発の立地地域で原発と社会の関係について調査を進めてきた東京大学の大学院生で、「国や東京電力がやっているのだから信じるしかない」という根拠のない「信心」が地域を覆っていたという。

 しかし、その「信心」がどうして生まれたのかには触れていない。ただ「無根拠な『信心』をいまこそ捨てるべきときだ」と言って終わっている。投稿の内容を論評するつもりはないが、こうした投稿を掲載するのはいかにもメディアがズルイところだ。福島第一原発の事故はいまも進行中で、国や東京電力、そしてメディアの責任も論じられていない段階で、なぜ「国民よ、自ら考えよう」という内容の投稿を掲載したのか。メディアの責任逃れではないのか。

 「触れてはならない問題」が存続する条件は、誰もその問題の核心に触れないことだ。説明をいくら聞いても、要領を得ずに良く判らない。どんな疑惑が出てきても、徹底して否定する。最後には「あれだけ安全と言っているんだから安全なんだろう」と信用するしかなくなってしまう。そのうち、誰も問題には触れなくなり、場合によって「信心」になることもあるだろう。そうして「触れてはならない問題」は生き存えていく。

「触れてはならない問題」の寿命が尽きる時

 目を瞑ることは、記者として読者を裏切る行為かもしれない。とは言え、取材先との関係を壊せば、記者として読者に必要な情報を提供できなくなるのでは?との恐怖心も働く。最後は、ニュースの価値判断によって決断するしかない。リスクを犯しても記事を書くべきかどうか。逆に判っていても意図的に書かない場合もある。そうやってメディアも「触れてはならない問題」の存続に手を貸すのである。

 「触れてはならない問題」の多くは、日常的に行っていることで、当事者自身は触れる必要があると認識していない。ある時に、突如として表沙汰にされて「社会問題だ!不正だ!」と糾弾される。後ろめたさは感じていたかもしれないが、悪いこととの認識は薄い。1990年のバブル崩壊で明らかになった証券業界の株式損失補てん問題、92年のゼネコン汚職事件で表面化した公共事業の談合問題、1997年から99年にかけて頻発した総会屋事件などもそうだった。

 「触れてはならない問題」も、いずれ寿命は尽きていく。時代の変化や予想もしない出来事によって、問題に触れずには済まなくなるからだ。今回の原発事故にしても、温室効果ガスの排出量削減の強化が叫ばれるなかで原発推進を加速しようとするタイミングで起きた。まさに予期せぬ時に起こるのが天災であるが、日本のみならず原発推進に舵を切ろうとしていた欧米や世界各国に多大な影響を及ぼすのは間違いない。

誰が「触れてはならない問題」を解決するのか?

 タブーがタブーではなくなった時に、どう対応するか―。それが重要なところだ。例えば「談合は悪いことだから止めましょう」というだけでは、問題は解決しない。談合を止めることで、安値受注などの別の問題が発生するからである。「触れてはならない問題」は、現行の制度や仕組みに不具合があって、それをカバーするために生まれる場合も多い。だから、不正を監視する立場の行政やメディアも目を瞑らざるを得なくなってしまう。談合問題にしても、それによって最も恩恵を受けていたのは実は官僚らであったと私は考えている。

 だから「触れてはならない問題」の解決を官僚や御用学者に任せるのは考えものだ。自らがリスクと取るような解決策を打ち出すとは思えないからである。バブル崩壊から20年が経過して「触れてはならない問題」が数多く露見し対策が講じられてきたはずが、相変わらず日本の経済・社会は停滞し、むしろ状況は悪化し続けている。今回の原発事故を何とか収拾したあとに、経済産業省や役所以上に官僚化した東京電力などの電力業界に対策を任せても、有効な解決が図られるだろうか。

 最近、ある中央省庁の仕事を手伝っていて、官僚の巧妙な手口を目の当たりにした。あまり詳しいことは書けないが、調査報告書の内容を役所の都合の良いように改ざんを強要するのである。いくら抗議しても「国民の税金を使ているのだから、発注者の意向に沿って仕事をしてもらわなくては困る。従わないのなら、カネは払わない」というのだ。国民は、官僚に全ての権限を付与しているわけではない。なるほど、こうして国の政策はネジ曲げられていくのだと納得した。

 震災発生から3週間―。復興に向けて国民に元気を与えようと、テレビや新聞から力強いメッセージが発信されて続けている。日本は強い国、団結力のある国、世界から尊敬される国といった言葉を聴くたびに、正直「本当なのか?」と思う。むしろ、逆に考えた方が良いのではないか。日本なんて、大したことない国。既存の統治機構や制度・仕組みをガラガラポンと変えたところで、これ以上、悪くなることはない。思い切って、生まれ変わろうよ、と。

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