福島第一原発でおそれていた事態が発生しました。現場作業員3人が3月24日に被曝事故を起こし、病院に搬送されたのです。東北地方太平洋沖地震のあと、30年前に福島第一原発で働いた経験のある方から、現場作業員の被曝事故を心配するメールが届いていました。30年前と今では状況が改善されていると期待したのですが、必ずしもそうではなかったようです。この30年、「一切他言できなかった」というHALシステム設計の安中眞介社長の手記を紹介します。 

安中眞介氏の手記

 私は、30年ぐらい前、この福島第一原発で働いていたことがあります。当時は建設会社の社員でしたが、東電の放射能調査のための臨時チームのメンバーとなり、原発の定期検査時に放出される放射性物質および残留放射能の調査・分析を行っていました。このチームは、様々な会社の人間で構成されていました。チームの性格上、原発内の全てに立ち入る権限をもらっていましたが、それがわれわれの被曝量を増やす結果になりました。

 私の所属した臨時チームには2人の責任者がいましたが、この2人が対立し、2人とも職場放棄をするという信じられない事態に見舞われました。さらに信じられないことに、会社(たぶん、東電の要請)から、私が臨時に責任者をやるようにと指示されたのです。当時の私は建設会社の一社員であり、このチームに派遣された未経験の若造に過ぎません。でも、定期検査作業が進む中、放射能調査を止めるわけにはいきません。それまでの僅かな経験を頼りにチームメンバーとともに必死の作業や分析を進めました。原子炉内に長時間留まったり、圧力容器のふたを外して直に燃料棒を目視したり、燃料棒を外した直後の炉心内に入ったりと、今思えばとんでもない作業の連続でした。当然、私自身、大量の被曝をしました。

 浴びた被ばく線量は私の被曝手帳に記録されていますが、これは正確ではありません。原発関係者といえども、1日に浴びる許容放射線量は法律で制限されています。しかし、その量を浴びてなお、作業が終わらないことも度々でした。私は、浴びた放射線量を記録する「線量計」を体から外し、原子炉内に入って作業をしました。他のメンバーにそれは強制できませんから、その場合は単身での作業になり、長時間、記録されない放射線を浴び続けたわけです。このようなことは、一切記録されず、口外もしてきませんでした。

 当時、原発内で作業していた作業員たちが自嘲気味に口にしていた言葉があります。それは「安全第二」という言葉です。この言葉の意味が分かったのは、ある事故が起きた時です。海水タンク(一次冷却水の冷却に使うもの)の清掃をしていた作業員たちが突然バタバタと倒れました。タンクの底部に張り付いた「ふじつぼ」などの貝類が生きて呼吸することで、タンク内が酸欠状態になっていたのです。

 しかし、酸素ボンベの用意がなく、作業員の救出は遅れました。救出された作業員の顔は酸欠で蝋燭のように真っ白になっていました。しかし、彼らをただちに病院に運べないのです。原発の外に出しても良いかの残留放射能チェックが済まないと搬出できないのです。動かない彼らは通路に並べられていましたが、ピクリとも動きません。彼らのその後は今に至るまで分かりません。一切の報道もされませんでした。今回、必死の作業を続けている現場の作業員の方が心配です。

 私は、原子力利用は推進すべきという推進派です。しかし、原子力行政および運営は問題だらけです。今回の事故は、「炉心の緊急冷却」という生命線の脆弱性を浮き彫りにしました。この問題は30年以上も前に指摘してきたことです。

 実は、当時の我々の調査でも、ヨウ素131とかセシウム137という危険性の高い放射性物質が格納容器の外でも検出されました。我々にはかん口令と資料の一切の持ち出し禁止が言い渡されました。

 このことを文章で記述するのは今回が初めてです。ですが、こうした隠ぺい体質が今回の事故の要因の一つであり、結果として原子力利用の前途を危うくしているのです。健全な原子力利用の発展は私の願いでもあります。その思いで書きました。


 今回の手記公表は、安中さんの了解を得るとともに、実名を公表してよいかどうかもメールでやり取りしました。2002年に雪印牛肉偽装事件で内部告発した西宮冷蔵などのように、ご本人や会社の経営に影響を及ぼす心配があったからです。多くの原発関係者はそれを怖れて、これまで実名での証言を躊躇されてきたのだろうと思います。安中さんも「できれば実名は出したくありませんが、千葉さんが必要と判断したのなら正しいと思います」との返事をいただきました。

 安中さんは、手記で書いてあるように原子力利用の推進派です。放射能の怖さも十分に知ったうえで、原子力利用を進めていく必要があると言っています。しかし、福島第一原発事故に関する政府やメディアからの情報発信は「避難しろ!野菜は食べるな!水道水も飲むな!」と言いつつ、「それほど心配する必要ない!深刻になるな!風評被害に気をつけろ!」を叫び続けているばかりです。作業員3人の被曝事故も、地震後の混乱の中で起きたことで、通常であれば起きなかった事故との報道もありますが、原発の現場ではもともと「安全第二」だったと安中さんは言っています。

 政府やメディアは、国民の安全を配慮しつつもパニックを引き起こさないためにそうしたメッセージを発信し続けているのかもしれません。その一方で、何とか原発に対するダメージを最小限にして事態を封じ込めたいという意図も感じられます。国民も様々な情報が飛び交う中で疑心暗鬼になっているでしょうが、それでも冷静に辛抱強く事態の推移を見守っています。そうした我慢強い日本人の国民性に甘えて、本質的な問題を封じ込めようとしてはならないだろうと思います。

 私は、政府、経済産業省、東京電力が安全対策を意図的に怠ってきたとは思っていません。「電力の安定供給」という最大の使命を果たしながら、できる限りの安全対策を講じてきただろうと思います。原子力が危険で、不確実性の高い技術でありながら、経済発展に伴う電力需要の増大に対応するために利用せざるを得ない状況だったことも理解します。

 では、どのようにして危険性の高い原子力を利用するか―。100%の安全確保が難しい状況にも関わらず、「絶対に安全」と言わなければ国民は納得してくれない。だから「絶対に安全」と言い続けるしかない。そのためには安全対策を講じる一方で、問題が生じた場合にはあらゆる手段で強引に問題を封じ込める必要がある。その封じ込めが上手く機能するようになると、事故などの情報が表面化しないため安全対策は万全と認識される。結果として、安全対策の強化がおろそかになる―。そのような悪循環に陥っていたのではないでしょうか。

 原発の“安全神話”を維持し続けるために、安中さんなどの現場技術者の声を封じ込めてきたのだとすれば、やはりどこかで道を誤ったのだと言わざるを得ないでしょう。国民も含めて原発とどのように向き合っていくのかを冷静に議論することが必要であると思っています。

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