今年3月に設置された「建築基準法の見直しに関する検討会」(座長・深尾精一首都大学東京教授)は10月19日の第11回会合でとりまとめを行い、半年以上に及ぶ見直し議論が終わった。構造計算適合性判定制度、建築確認審査の法定期間、厳罰化のあり方の3つの検討課題から出発して、他の課題を含めて多様な意見が続出。最後まで議論は収束せずに両論併記のまま、明確な見直しの方向性を打ち出すことはできなかった。

 当初の課題設定から無理があったとは言え、率直に言えば問題解決力が欠如していたと言わざるを得ない。消費者を代表する立場の2人の弁護士、さらに特定行政庁や民間の建築確認検査機関を説得するだけの議論を展開できず、業界の利益を主張しただけで終わったとの印象は否めなかった。安全・安心な建築物をどう実現するのか―。改めて建築生産システムにおける「品質」の問題に正面から取り組む必要があるのではないか。

対症療法的な対応で問題を解決できるのか

 「建築基準法をいくら強化したところで、本当の意味での問題解決にはならない」―2005年10月に耐震強度データ偽装事件が発覚してから、私は当初から記事にもそう書いてきた。2006年春に、いまや国土交通大臣まで上り詰めた民主党の馬渕澄夫議員に国会議員会館に呼び出され、意見を求められた時にもそう申し上げたが、その真意は伝わらなかったようだ。

 国会議員として実績や手柄を立てたいと、逸る気持ちも判らないではない。しかし、問題の本質を追求せずに、表面上だけで解決しようとしても、事態をさらに複雑にし、現場は混乱するだけである。それは先の建築基準法の改正で明らかになったと思うのだが、今回の検討会も最初から「簡素化、迅速化、厳罰化」の3つの観点で建築基準法を見直すという「前原大臣(当時)のご指示」による枠がかかっていた。その3つを解決すれば、建築物の安全・安心をめぐる混乱を収拾できると考えたのだろうか。

 最終の第11回会合には、馬渕大臣が出席する予定だったようだが、結局、公務を理由に欠席。代わって川本正一郎住宅局長が「通常なら、一定の結論を得るために事務局が動くことが多いが、今回の検討会では一切、口を出さずに議論を見守った」とあいさつしたが、立場の異なる25人もの委員で議論すれば結論が出すのも容易ではない。結果的に、先の建築基準法改正で作られた多くの天下り機関を含めた現行制度は温存されることになり、役人の思惑通り(?)の幕切れとなった。

安全・安心の実現に“妥協点”はあるか?

 私も暇に任せて、11回のうち8、9回の検討会を傍聴して議論に耳を傾けてきた。だが、途中で何を議論する検討会なのかが判らなくなってしまった。問題の本質は「安全・安心な建築物をどう実現するか」であるはず。そのことは馬渕大臣、川本局長をはじめ検討会でも何度も強調されたが、実際の議論からは「安全・安心な建築物を実現するためにより良い環境を整備しよう」という決意が伝わってこない。単に“妥協点”を探っているようにしか見えなかったからである。

 本来なら、現在の建築生産システムで安全・安心な建築物で実現できているかをまず検証するのが先決。建築基準法に頼らずとも、国民に信頼される安全・安心な建築生産システムが構築できるのなら法規制の見直しも可能だろう。しかし、現実問題として欠陥住宅や性能・品質不足の建築物が作られて、多くのトラブルが生じているから法規制が強化され続けてきたのである。

 その法規制を緩和するのであれば、安全・安心を代わって担保するものを建築界側が示す必要がある。いくら建築界がダブルチェックは必要ないと主張しても、失われた信頼が十分に回復されたとは言い難い状況である。本当にダブルチェックが不要というのならば、その理由を明確にし国民を納得させる必要があると思うのだが、何ら根拠も、代替策も示されなかった。

設計段階における品質管理を誰が行っているのか?

 検討会の議論を聞いて改めて実感したのは、設計図面の品質・性能を担保しているのが、建築確認検査制度であるという「危うい現実」だった。私も大学では建築学を専攻したが、確かに設計段階における品質管理について学んだ記憶がない。建築学会で設計の品質管理を研究しているという学者も聞いたことがない。大手ゼネコンや大手建築設計事務所では品質管理の国際標準ISO9001などを取得しているところもあるが、大多数の設計事務所や建設業者で設計の品質管理がどのように行われているのか?何人もの業界関係者に聞いてみたが、未だに判らないのである。

 先の改正建築基準法の施行によって混乱が懸念された理由は、設計の品質の問題であった。民間確認検査機関からは、確認検査を一発で通るような品質で設計図書が提出されていない現状から判断して、手続きの厳格化によって建築確認件数が大幅に落ち込むのは避けられないとの声が多く聞かれた。その心配は見事に的中したわけだが、それから3年が経過して、建築設計の品質は向上したのだろうか。

 「建築確認検査に提出される設計図面の品質は千差万別。一定水準をクリアしているものばかりと考えたら大間違い」―日本建築構造技術者協会の木原碩美会長に聞くと、そんな答えが返ってきた。検討会では、特定行政庁の建築確認検査担当者からも、提出された図面が途中で取り下げられるケースが少なくない現状が指摘された。やはり確認検査の段階で、設計の品質が十分に確保できているとは考えにくいだろう。

機械設計における品質管理の取り組みは?

 ものづくりにおいて、設計段階の品質・性能を公的機関にチェックしてもらわなければならないというのも、考えてみれば、おかしな話である。改めて建築設計における品質管理について情報を集めてみようと、インターネットで「建築設計、品質管理」のキーワードで検索してみても、有益な情報がほとんど引っかかってこない。やはり建築設計において品質管理という考え方があまり議論されてこなかったのだろうか。

 それを裏付けるように、キーワードを「設計、品質管理」に変えて検索すると、「日本品質管理学会」や「品質工学会」などのホームページがヒットする。いずれも機械や自動車などの設計をメーンとした品質管理を専門とする学会である。そこで、設計における品質管理のあり方について、品質工学会副会長である東京都市大学の平野重雄教授(大学院工学研究科機械システム工学専攻)に話を聞いてみた。

 機械分野では、平野教授のほかも設計の品質管理の研究に取り組んでいる学者は何人もいるという。品質工学会は、海外でも有名なタグチメソッドを開発した田口玄一博士を中心に1993年に設立されたが、機械設計に限定しているわけでなく、幅広く工学設計全般に門戸を開いている。「確かに言われてみれば、建築設計で品質管理の研究に取り組んでいるという話を聞いたことがない」と、平野教授も首を傾げた。

 機械メーカーでは、設計図面の品質を確保するために、図面は必ず技術管理部で管理し、設計変更する場合も、技術管理部がチェックして、必ず承認を受けなければならない仕組みになっているという。設計の品質レベルを自らが管理したうえで、国が定めた安全基準などの審査を受けるとの体制が整えられているようだ。

建築設計で品質が評価されない理由に関する仮説

 同じ“ものづくり”の設計でありながら、建築設計では品質管理についてほとんど議論されてこなかった理由はなぜか?

 私の勝手な想像ではあるが、建築分野では発注者によって建築物に対する要求仕様が千差万別であるうえに、要求仕様が曖昧なままで設計しなければならないことが多かったからではないか。仕様変更に伴って頻繁に設計変更が行われるために、結果的に設計の品質評価が入り込む余地がなかったのだろう。

 もちろん、プロの建築士であれば、要求仕様が不明確な部分があっても一定の品質レベルが確保されていてしかるべきではある。しかし、いくらプロでも要求仕様が定まらないままに設計して、本当に優れた建築物を仕上げるのは困難だろう。あれやこれやと労力を費やして高い顧客満足を提供できるかどうかも甚だ疑問である。

品質管理に問題を抱えるITシステム設計との共通性

 実は、設計における品質管理の問題を抱えているのは、建築界だけではない。IT業界でも、同様の問題に頭を悩ませてきた。コンピューターソフトの開発は、建築物以上に目で見えないものだけに品質管理が難しい。ソフトがきちんと動くかどうかも、コンピューターに読み込んで動かしてもなければ判らないだけに厄介である。

 IT業界でも、ソフト開発の鍵を握るのは、要求定義書(Request For Proporsal)であると言われてきた。情報システムにどのような仕事をさせるのかなどの要求定義が明確になっていなければ、そもそも情報システムを設計すること自体が不可能であるはず。ところが、その重要な要求定義書を発注者が自ら書かずに、コンサルタント会社に外部委託し、要求仕様段階で十分な品質を確保しないままにシステム開発が進められるケースが少なくない。

 「そんな状況で、どうやってソフトウェアの品質を確保しているのか?」とIT業界の関係者に聞くと、「プログラマーなどの現場が苦労しながら、何とか一定レベルのシステムを作り上げている」との答え。設計段階での品質レベルが十分でなくても、ものづくりの現場で品質を高めていくというやり方は、まさに建築界と同じである。

「組み合わせ」技術で日本が勝てない原因は設計力にあり!

 たまたま国土交通省が今年10月に発足させた「国際的な発注・契約方式の活用に関する懇談会」を取材していると、高知工科大学の草柳俊二教授が、日本の公共工事発注でも「契約図書の内容と精度に問題がある」と指摘した。公共工事の発注・契約方式を日本と世界で比較した場合でも、日本では施工計画書などの設計図書の品質が十分に確保されていない段階で契約しているというのである。

 それでも出来上がった土木構造物の品質が最終的に確保されていれば良いという考え方もあるだろう。しかし、技術力に優れていると言われる日本のゼネコンが、海外市場で通用していないのも現実である。

 日本企業は、機械や自動車のように要求仕様が明確化しやすい分野のものづくりでは無類の強さを発揮してきた。しかし、要求仕様を明確に定義するのが難しいITシステムや金融商品などの分野では、世界的にみて競争力が高いとは言い難い。ものづくりでよく「擦り合わせ」と「組み合わせ」の議論が行われるが、組み合わせ技術で勝負するものづくりで日本が勝てないのは、やはり設計力=ソフトに弱点があるからだろう。

設計品質を評価しない日本で頻発する安値入札問題

 設計における品質管理は、建築界に限った話ではなく、日本のものづくりの根幹に関わる問題である。設計の品質に対する認識が低いということは、ある意味、ソフトの価値を正当に評価していないに等しいと思うからだ。以前から日本人はソフトにカネを払わないと言われてきたが、その原因もここにあるのだろう。

 それが端的に現れているのが、設計業務受託における安値受注の横行だ。かつて情報システムの基本設計業務受託で「1円入札」が行われて、話題となったことがあった。同様に、建設不況が続くなかで、建築設計業務の公共入札において安値受注が増加し、様々な問題を引き起こしている。本来なら、ソフトの価値を強く主張すべきIT企業や設計事務所が平気で安値受注に走るのも、設計の品質に対する認識が希薄だからだろう。

 ここ1、2年、建築設計業務の公共入札に関連して、発注者が設計事務所などに対して指名停止や違約金請求などの処分を行うケースが増えていると聞く。最近も、日経アーキテクチュアの売上高ランキングにも掲載されるような大手設計事務所が、ある中央省庁から受注した設計案件を結局納品できずに辞退するという前代未聞の失態を起こした。下請した協力事務所もギブアップするほどの安値受注だったようだ。

 ものづくりで一定レベルの品質を確保しようとすれば、コストがかかるのは当然である。それはハードウェアだけでなく、設計図面やコンピュータープログラムなどのソフトウェアも同じだ。しかし、建設構造物のようなハードウェアに対しては、品質を心配して最低入札価格を予定価格の7割、8割と高く設定しているのに、ソフトウェアに対しては最低入札価格すら設定されていないケースもある。日本では国ですら、ソフトの品質に対する認識が希薄であると考えざるを得ないのである。

厳しい経営環境のなかで、安心・安全な建築物を実現するには?

 耐震強度データ偽装事件が発覚した時、真っ先に考えたことは「なぜ、現場で問題を見抜けなかったのか?」である。これまで設計品質のバラツキをカバーしてきた施工部門で品質管理の機能が果たせなくなったら、誰が建築物の品質を担保するのだろうか。建設投資が右肩下がりで減少するなかで、ゼネコンや工務店の経営体力が衰え、熟練現場作業員の高齢化も進んでいる時に、こうした問題が発覚したのも偶然ではないように思えたからである。

 この半年間、設計における品質管理の問題を考えてきた。建築界を取り巻く環境が厳しくなるなかで、いかに建築物の安全・安心を確保するか。「いくら設計の品質を高めろ!と言われても、発注者がカネを払わないのだから仕方がない」―建築界からは、そんな声が聞こえてきそうだが、国民に信頼される安全・安心な建築生産システムを維持することは建築界の責務である。

 最後に長々と書いてきた記事のポイントを建築設計に絞って整理する。
?建築設計における品質管理のあり方について、建築確認検査制度、保険などを含めて議論するべきではないか。
?建築設計における要求仕様の定義方法について研究するべきではないか。
?建築設計の品質の評価方法を検討するべきではないか。
?建築設計の品質レベルに応じた正当なコスト算出方法を検討するべきではないか。
?建築生産における設計と施工での品質管理の役割分担について検討するべきではないか。

お問合せ・ご相談はこちら

「未来計画新聞」は、ジャーナリスト千葉利宏が開設した経済・産業情報の発信サイトです。

お気軽にお問合せください_

有限会社エフプランニング

住所

〒336-0926
さいたま市緑区東浦和

日本不動産ジャーナリスト会議の公式サイト

REJAニュースサイト

IT記者会の公式サイト