前原誠司国交大臣が5月18日、今年4月に発表した高速道路の新料金を6月から開始するのを断念すると表明した。その2日前の16日に東京・池袋でシビックミーティングを開催した馬淵澄夫国交副大臣は「準備不足もあって(メディアなどの)値上げキャンペーンにしてやられた」と悔しさをにじませた。
新聞・テレビでは、今回の混乱の背景を前原大臣と小沢一郎民主党幹事長の確執が原因と報じているので、何人かの有識者に意見を聞いてみた。すると「行政なら国民が負担をできるだけ感じないような料金プランを捻り出すべき。選挙対策との批判もあるが、基本的に小沢さんが言っていることが正しい」との声が多かった。
行政にとって重要なのは、国民の公平感をいかに演出するか、ということなのだろう。国民に負担を要請する場合は、消費税率のように一律アップをお願いするのが基本。ある特定の人へのサービスであれば、受益者負担という形で納得してもらう。自民党政権時代の高速道路の休日1000円割引制度も、ETC(料金自動収受システム)を搭載している車だけというのは「不公平だ!」との声もあったが、ETCを搭載していない車の料金が値上がりして、損したわけではなかった。
今回、国交省が打ち出した新料金体系は、同じサービスを利用するのに、損する人が出る一方で、得する人が出る。シビックミーティングで馬淵副大臣は「メディアでは、新料金体系で8割の人が損すると報じているが、きちんと精査すると、乗用車でも5割、トラックでは6割が得をする」と言っていたが、そうした説明で国民は納得するだろうか。損する人たちにしてみれば、「なぜ自分たちの負担が重くなるのか。納得できるように説明しろ!」ということである。
高速道路料金問題も、当初は高速道路が無料化されると利用者の期待が高まっていただけに、その反動があったのも確かだ。構図としては、こじれにこじれてしまった普天間基地問題と同じである。国民の大半は、沖縄県の負担軽減には賛成するが、その負担を徳之島だけに押し付けることは納得しないだろう。全国の都道府県で“公平に負担する”のであれば、橋下徹大阪府知事のように前向きに評価する人も出てくるが、いざ受け入れとなれば異論続出は避けられない。
「すべての国民は法の下に平等である」と日本国憲法はうたっている。何を持って平等とするかは難しい問題だが、行政としては国民の公平感が損なわれないように最大限に配慮してきたはずである。その最も効果的で安易な方策がバラマキだったのだろう。国内経済が順調に成長して税収が増えていた時代なら、高速道路の建設も「必ずつくるから、順番が来るまで待ってろ!」と、他に予算をつけて納得させることもできた。
しかし、経済成長が止まって税収の伸びも期待できない状況で、どのようにして公平感を維持していくのか?これ以上バラマキができないのなら、何らかの別の演出方法を考えて、工夫するしかないだろう。「財源がないのだから、料金値上げも仕方がない」と開き直るだけでは、問題解決は難しい。