神成君は、東京理科大学理工学部建築学科H研究室の同期です。卒業後、私は日本工業新聞社に経済記者として入社しましたが、神成君は大学院に進学し、86年で最大手の建築設計事務所である日建設計に就職。2007年に個人事務所を設立するまで、数多くの建築を手がけました。
自邸の設計を神成君に依頼することになったのは1998年のこと。東京・飯田橋にあるJR貨物本社と大和ハウス工業東京本社のある超高層ビルの設計を担当したあと、同じ日建設計の安田幸一氏(現在は東京工業大学大学院教授)と組み、2004年建築学会賞などを受賞した「ポーラ美術館」の設計に取り組んでいた頃のことでした。
ポーラ美術館は、箱根の国立公園内に建設するため審査に時間がかかり、建設の許可が下りるまでにかなり長い時間がかかっていました。ポーラ美術館の着工まで少しは時間に余裕ができたらしく「住宅設計をやりたい」と、あちらこちらで個人的に売り込みをしていました。「建築の面白さは住宅にある」と、以前から住宅設計の勉強をしていたので、「あの神成君がどんな住宅をつくるのだろうか?」との興味もあって、依頼することにしたのです。
自邸の話はいずれかの機会にしたいと思いますが、神成君がポーラ美術館のあとに2002年から担当したのが、東京・六本木の「東京ミッドタウン」でした。プロジェクト全体の統括は米国のSOM、デザインは商業棟が隈研吾氏、住宅棟が坂倉竹之助氏、ランドスケープが米国EDAWと、世界で活躍する建築家、設計事務所が参加し、日建設計が全体を取りまとめるコアアーキテクトを務めました。
07年3月のグランドオープンまで缶詰め状態で、ブツブツ文句を言いながら(?)忙しくしていましたが、日本を代表する建築家、安藤忠雄建築設計事務所と組んで設計した「21_21 DESIGN SIGHT」の仕事はかなり刺激的だったようです。「安藤さんはやっぱり凄い!」と言いながら、何度か見学会にも誘ってもらったのですが、残念ながらタイミングが合わずに、未だに不義理をしています。次回は、ぜひ作品を見てからブログで紹介できればと思っています。