96年7月の創刊から、新着記事が月2、3本と更新回数がなかなか増えない。どうしても1本当たりの記事を、時間をかけて長めに書いてしまう。記事を時系列に表示していくブログの性格上、ストレートニュース、解説記事、インタビュー記事など様々な種類の記事を混在させて掲載するのはどうもしっくりしないと思っていたからだ。結果的に、同じような調子で書く記事ばかりになってしまい、マンネリ化していたように思う。
仕事はなくても、原稿執筆依頼に備えて日々、取材活動は行っているし、興味があるテーマについては個別取材もお願いしている。有難いことに、新聞・雑誌掲載の予定がなくても、取材に応じてくれる方々は少なくない。
先日も、ある企業を取材したあとで「どこかに記事を掲載しますか?」と聞かれたので、「具体的な予定はありませんが…」と答えると「未来計画新聞には書かないのですか?」と聞き返された。「新聞・雑誌に書くのではなく、私のブログに書くのでも良いのですか?」と聞くと、「ぜひ、どうぞ」との返事。正直、そう言っていただけると考えたことがなかった。
ここ、しばらくの状況を考えれば、せっかく取材した情報を抱え込んでも無駄になる可能性は高い。それなら「未来計画新聞」で情報発信する方が、取材に協力していただい方に報いることになるのかもしれない。もちろん、何でもかんでも書けば良いというものでもないが、記者として活動していく以上は、とにかく書き続けるしかないのである。その上で、批判に耐えうる記事を書けるか、仕事の依頼があるかは、本人の努力次第だ。
時代の変化とともに、企業が再編・淘汰されていくのと同様に、メディアや記者も淘汰されていくのは当然のことだろう。先日も、話題の事業仕分け対象となっている独立行政法人に出向中の役所幹部に久しぶりに会うと「新聞社を辞めて10年。よく生き残っているねぇ」と言われたが、その通りである。
ただ、自分自身が企業などを取材していても感じることだが、当事者が淘汰されるかどうかを冷静に判断するのは難しい。たとえ判ったとしても、自らの考え方ややり方を変えられる人と、変えられない人がいる。記者を続けさせてもらう以上は「ジャーナリズムとは何か?」を問い続けていかなければならない。なかなか因果な商売である。