「50万社以上ある建設業者は20万社でも過剰」―前原誠司国土交通大臣がそう発言したと建設業界紙が報じていたが、建設業者が供給過剰であるのは間違いない。では、国内の建設市場規模に対して、どの程度の業者数が適当なのか。50万社と言っても、売上高1兆円以上のスーパーゼネコンから一人親方まで入れた数字である。それぞれの業者が担うべき「機能」は異なっているはずだが、建設業法のうえでは同じ「建設許可業者」だ。それらを十把一絡げで議論するのは、やはり無理があるだろう。建設業者の供給過剰問題と、建設業の雇用問題を分けて議論するためにも、建設業者を「機能」で仕分けすることが先決ではあるまいか。

建設業者は規模が小さい方が生き残る?

 冒頭の前原大臣の発言は、直接聞いたわけではない。自民党の脇雅史参議院議員の2009年11月6日の国会質問記録を読むと「50万社以上の建設業者も、売上高年間100万円以上の事業者は約20万社で、今後公共事業のパイが減少していくなか、その20万社でどのように事業をしていただくか」と答弁している。建設業者50万社以上といっても、実態は20万社程度であり、市場のパイが縮小すれば、建設業者数も20万社以下にならざるを得ないという意味のようだ。

 市場規模が縮小すれば、建設業者数が減るのは仕方がないことではあるが、問題はその減り方である。建設業者数がピークだった99年度と08年度を比較しても、国内建設投資は68.9兆円から47.2兆円へ31.4%減少したにも関わらず、建設業者数は60.1万社から50.9万社と15.3%しか減っていない。この数字だけを見れば、建設業者は事業規模の大きい会社から淘汰され、規模が小さい会社の方が生き残っているということになってしまう。

 先日、キリンビールとサントリーの経営統合話が破談となったが、製造業はもちろん、金融業や流通業など、どの産業でも市場の成熟化が進み、競争が激しくなると、一般的には企業の寡占化が進んでいくものである。ところが、建設業界だけは全くの逆。大手や準大手も含めて企業規模を縮小して身軽になって生き残ろうという動きが目立つ。いくらゼネコンの再編が進みにくいと言われても、何とも不思議な話である。

建設業者の数が減らない理由(1)―看板だけを掲げた建設業者

 なぜ、建設業者の数がなかなか減らないのだろうか?改めて問題を整理すると、3つぐらいの理由が挙げられるだろう。

 1番目の理由は、前原大臣が指摘するように、建設業の売上高はほとんどなくても「建設許可業者」の看板だけを掲げている建設業者がかなりの数に上っている可能性があることだ。

 「建設業とは元請、下請その他いかなる名義を持ってするかを問わず、建設工事の完成を請け負う営業をいう」と、建設業法で定められ、建設業者とは「許可を受けて建設業を営むもの」とされている。この許可がなければ、建築一式で1500万円以上、建築一式以外で500万円以上の工事を元請けすることができない。そう法律で定められている以上、建設業者の“看板”だけでも掲げておこうという企業は少なくないと考えられる。

 公共工事のダンピング(不当安値)受注問題が表面化した時に、建設業界から「ペーパーカンパニーと言えるような実態のない企業がダンピングで落札している」との不満が聞かれたが、それだけ建設業は参入障壁が低い。本業が別にあって、建設業としては廃業に近い状態でも、何らかの理由で建設業の許可だけを取り続けている企業や個人も多いのだろう。

 国土交通省の「建設業者・宅建業者等企業情報検索システム」を使って有名な上場企業の名称を入力すると、その多くが建設業者であることが判る。例えば「富士通」で検索すると8社がヒット。富士通本体はもちろん、富士通エフサスや富士通ビジネスシステムなどのソリューションベンダーも国交大臣許可の特定建設業者だし、ほかに百貨店の三越、神戸製鋼所、凸版印刷、三菱商事なども国交大臣許可の建設業者として登録されている。

 こうした企業や個人は、市場規模が縮小したところで、倒産したり、廃業したりするとは考えにくい。専業と兼業の区分も設けられているが、不動産業などを手がけるゼネコンもほとんどが兼業に区分されており、キチンとした建設業者の“仕分け”が行われていない。

建設業者の数が減らない理由(2)―中小業者を優遇する公共事業

 2番目の理由は、これも良く指摘されることだが、公共事業において中小事業者に対して特別な配慮が行われてきたことだ。

 同じ業態の企業が同じ土俵の上で競争するのに、規模が大きく違えば普通は勝負にならない。しかし、公共事業では中小・零細業者でも工事が受注できるように、様々な仕組みがつくられてきた。公共調達における中小業者への発注比率を定める官公需法や、大手と中小が共同企業体を組んで共同受注できるようにするジョイントベンチャー(JV)制度などはよく知られている。地方の道路工事などで、請負金額を小額にして地元の中小業者に発注し、それらをまとめて大手業者に下請けさせる「上請け」もあった。

 「昭和40年代に建設業者を許可業者と届出業者に分けることを検討したことがあった。個人や零細の建設業者の手続きなどの負担を軽減するのが目的だったようだが、当時の社会党に自民党の一部も加わって猛反対され、制度改正は実現しなかった。“届出”業者では発注者から軽く見られて、受注に不利になると考えられたようだ」―先日、国土交通省OBから、そんな話を聞いた。現行の建設業許可制度は、中小・零細、個人業者の強い要望で存続したというのである。やはり中小業者が生き残りやすい制度設計になっていると考えられる。

建設業者の数が減らない理由(3)―リスクを過剰に抱え込むゼネコンの特質

 3番目の理由は、2番目の理由の裏返しであるが、そもそもゼネコンというビジネスモデルが規模の拡大に適していないということだ。

 建設請負業は、昔から日本では「請け負け(うけまけ)」という言葉があるぐらい発注者に対して立場が弱い。それだけにリスクを過剰に抱え込みやすく、企業規模を大きくすることが必ずしも経営基盤の強化につながらないという特質がある。

 「建設業の特質を考慮せずに、受注競争に走らせ、従業員を増やす膨張肥大主義へと誘導する、誤った、身の丈に合わない建設産業行政が行われてきた」―そう真っ向から役所批判を展開したコラムが日本土木工業協会の機関誌「CE建設業界」2010年2月号に掲載された。筆者は、全国建設業協会の元会長でもある錢高組の錢高一善社長。最大の発注者である役所をゼネコンの社長が公然と批判したのは珍しいが、これから始るであろうゼネコンの再編・淘汰を前に行政の動きを牽制したのかもしれない。(錢高社長には過去2度、取材を断られていて、ぜひお話を聞きたいと思っているのだが…)

 ただ、ゼネコンが「官僚主義に振り廻されて」(錢高氏)身の丈に合わない規模拡大に走っても、これまでリスクが表面化しなかったのは“談合”がカバーしてくれていたからではないのか。「今でも談合って、悪いことだとは思えないんだよねぇ」―最近も有力ゼネコンの土木系技術者と話をしていると、そんな本音をふと漏らした。確かにこれだけの数の建設業者がひしめき合った状態で、互いに入り乱れて本気で競争したら、疲弊し切って共倒れになってしまうリスクの方が大きいだろう。談合はそんなリスクを未然に回避する知恵(?)だったわけだが、表立って談合がやりにくくなった以上、リスクを低減するには企業規模を縮小するしかないのかもしれない。

身の丈に合わせた経営で建設産業に未来はあるのか?

 ゼネコンを取り巻く経営環境を考えると、企業規模を拡大して打って出るという方向へは舵を切りにくいのは確かだ。しかし、そうは言っても、全てのゼネコンが身の丈に合わせて事業規模を縮小して生き残っていけば、建設産業全体としては、労働生産性は低いまま、研究開発投資も先細って衰退の道を進むことになりかねない。建設業の国際化が叫ばれているが、鉄道や原子力発電所など世界のインフラ建設の受注競争で戦える企業が育たない懸念も出てくる。

 別に役所の肩を持つわけではないが、建設行政の立場にしてみれば、建設業者の育成と、建設労働者の雇用安定という観点から、事業規模の拡大を誘導するという考え方は間違っているとは言えないだろう。問題は、行政と建設業界が明確な将来ビジョンを共有し、互いに知恵を出し合って、建設業法や経営事項審査を含めた建設産業全体の制度設計を再構築してこなかったことではないのか。建設業者の淘汰が進みにくい現状を変えないまま、無理な受注拡大競争をなくしたとしても、よりきめ細かな受注調整=談合が必要になるだけである。

 もちろん建設産業行政に問題がなかったわけではなく、発注行政と産業行政の分離という根本的な問題をいまだに解決できていない。しかし、リスクを過剰に抱え込むゼネコンの特質を変革しないままに、海外の大型工事を受注して手痛い失敗を繰り返しているのは明らかにゼネコン側の責任だろうし、建設コストの透明性が確保され、労働生産性の高い産業へと構造転換できなかった建設業界の体質にも問題があった言うべきだろう。

建設業者を仕分けるための「機能」をどう設定するか

 建設業者が供給過剰であるのは確かだが、その実態がどうなっているかは明らかになっているわけではない。まずは建設許可制度を抜本的に見直して、建設業者をキチンと仕分けてみることも必要ではないのか。今後、需要が拡大すると期待される500万円以下のリフォーム工事では建設許可業者でなくても請け負えるといった問題への対策も必要だろう。中小・零細業者からは反発を招くかもしれないが、国内建設投資が減少して建設労働者の賃金も低下している厳しい市場環境のなかで、やり方次第では建設業者の仕分けも進むかもしれない。

 問題は、建設業者をどのように仕分けるかだ。元請業者と下請業者を完全に分けるわけにもいかないだろうし、建設業の売上高で区分するのも難しいだろう。記事の冒頭に「機能」で仕分けると書いたが、元請も下請も「請負」という「機能」では同じだし、売上規模は違ってもゼネコンの「機能」は同じであるからだ。

 では、どうするか?方向性としては、新しい「機能」の区分を設定して、建設業者を誘導していきながら、仕分けが進んでいくのが混乱が少ないかもしれない。いずれにしても、その「機能」をどう切り出すのかが最大のポイントだが、残念ながら一記者に画期的なアイデアがあるわけではなない。しかし、現状のままでは、急激な建設投資の減少とともに「建設業者は20万社でも過剰」と言われるがままに、建設業者の淘汰は進んでいくだろう。その先に錢高社長が言うような「建設産業こそが新しい時代の担い手になる」未来が待っているのだろうか。

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