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 札幌南高校の東京地区同窓会、東京六華同窓会が6月13日、都内ホテルで開催された。卒業式以来、32年振りに初めて出席したが、同期(南27期)の幹事が自宅まで電話をかけるなど人集めに奔走してくれたおかげである。約50人の同期を含め約430人の同窓生が集って大盛況だったが、ぜひ会いたいと思っていた人がいた。1993年に起きた通産省4人組事件の一人、中野正孝氏(南12期)である。受付で確認すると、残念ながら同窓会には顔を出していないとのこと。4人組事件は93年に自民党が下野し、日本新党などの連立政権が誕生したことで起こった権力抗争が発端と言われる。いま再び政権交代の可能性が高まるなかで、”中野先輩”は何を思っているだろうか。

32年ぶりの同窓会に歳月の流れを感じる

 東京六華同窓会は設立104年になる。1897年創立の札幌尋常中から始まり、札幌中、札幌一中、札幌一高、札幌南と、学校の歴史が114年だから、昔から東京方面に人材を送り出していたことになる。会長は、公正取引委員会委員長の竹島一彦氏(南11期)。来年の同窓会幹事が南27期の順番になるので、今年の内から人を集めて準備を始めようと、大集合の号令がかかったわけである。

 私と同様に卒業式以来、初めて出席した同期も多かった。久しぶりに会うと、さすがに歳月の流れを感じる。1学年10組450人もいると、同じクラスだった3人を除けば、思い出せない人も多かったが、昔に戻って楽しい時間を過ごした。

シグマ計画の仕掛け人だった中野氏

 高校同窓会に、もし出席する機会があれば、再会したかったのが中野先輩だ。約20年前、私がコンピューター担当記者だった頃、通産省(現・経済産業省)で情報処理振興課長、電子政策課長を歴任し、日本のIT産業の歴史に大きな足跡を残した人物である。私も何度も取材したが、4人組事件のあと生活産業局長を最後に通産省を去り、その後はほとんど表舞台で名前を見かけたことがない。

 中野氏は、次世代コンピューターの国家プロジェクト「第五世代コンピューター計画」(1982〜92年)や、このブログでも取り上げたことがあるソフトウェア開発の国家プロジェクト「シグマ計画」(1985〜90)の仕掛け人と言われる。私がコンピューター担当になったのは、日本工業新聞入社3年目の1986年だったので、立ち上げ当初の経緯は詳しくないが、中野氏はIT業界に有名を轟かせていた。

プロジェクトの成功よりも予算獲得が大事な役人の世界

 役所にはどこも記者クラブがある。ただ、私は通産省の記者クラブには所属しておらず、一業界担当記者として出入りしていた。役所の取材経験があまりなかったので、官僚たちが何を考え行動しているのか、いわゆる役所の論理をほとんど理解せずに動き回って、いろいろと痛い目に会った苦い経験もある。

 88、89年頃になると、第五世代もシグマも、当初の目標を達成できずに失敗に終わるのはほぼ確実と見られるようになっていた。しかし、仕掛け人の中野氏はお構いなしに昇進して偉くなっていく。民間企業では考えられない話なので「プロジェクトが失敗でも、なぜ役人は出世できるのか?」と、先輩記者に聞いたことがある。

 「役人の評価は、プロジェクトが成功したかどうかで決まるわけじゃない。いかに予算を獲得し、民間企業に言うことを聞かせられるか、その辣腕ぶりが評価される」―確かに2〜3年で次々に担当が替わるキャリア官僚は、結果が出る頃には担当から外れていることが多い。結果責任を問うよりも、業界をまとめ上げてプロジェクトを立ち上げ、予算を獲得した政治的手腕の方が高く評価されるらしい。

政権交代で勃発した役所の内部抗争?

 90年にバブル経済が崩壊したあとを振り返ると、91年には金融機関の不良債権問題が表面化。92年に入ると有効求人倍率も1.0を割り、日本経済にも閉塞感が広がり始めていた。公共工事などの景気対策が打たれるなか、93年6月に仙台市長、7月に茨城県知事が逮捕され、ゼネコン汚職事件が発覚する。その直後の8月の衆院選挙では、自民党が1955年の結党以来初めて、過半数の議席を割る。自民と共産を除く8党による細川護煕政権が発足した。

 93年12月、細川内閣の熊谷弘通産相が、自民党による通産省への影響力を排除しようと、次期事務次官が目前だった主流派の内藤正久産業政策局長を解任した。その解任劇を仕掛けたとされるのが高島章氏、細川恒氏、中野正孝氏、伊佐山健志氏の非主流派の”4人組”と言われる。

 しかし、細川政権は1年も持たずに、94年4月に首相が辞任。その後、羽田孜首相が引き継いだものの、社会党が連立を離脱して少数与党に転落し総辞職。6月に自民党、社会党、新党さきがけが連立して村山富一政権が発足し、自民党はわずか10か月で与党に返り咲いた。その後、4人組は通産省を次々に去ることになったというのが通産省4人組事件の顛末と言われている。

 ただ、高島氏は特許庁長官で退官後、富士通に入社し、専務、副社長、副会長を経て現在も富士通総研会長だし、伊佐山氏も特許庁長官のあと日産自動車副会長に就任。細川氏も各方面で活躍しており、中野先輩だけが貧乏くじを引いた印象もあるが…。

政権交代で強まる?役所への人事介入

 果たして通産省4人組事件の真相は、どのようなものだったのか?聞いてみたいことはいろいろあるが、やはり興味があるのは解任劇を誰がどう仕掛けたのかである。役所内部も取材してみると巨大な組織は決して一枚岩ではなく、微妙なパワーバランスで動いていることが判る。明らかに自民党とつながって動いている官僚も少なくない。政権交代が起きれば、政治家は役所に対して当然、人事で揺さぶりをかけようとするだろう。そのとき、官僚たちがどう動くかは興味深いところだ。

 先日も国土交通省を取材して、世界的に注目される水問題に関して、今年1月に「水の安全保障戦略機構」を立ち上げた中川昭一前財務相らの議員グループのほかに、中川秀直元幹事長を中心に民主党議員も巻き込んで活動している議員グループもあることを知った。来年5月に開幕する上海万博では、中国を意識して水問題を日本館の展示テーマのひとつにするなど、今後日本としても取り組みを強化しなければならない分野である。

 しかし、政権交代の可能性が現実味を帯びるなかで、役所としても両議員グループへの対応に慎重になっている様子が伺える。選挙の結果が出るまで、しばらくは模様眺めした方が良いという判断も働いているのだろう。こうした事案は、いま霞ヶ関の内部には山積み状態になっているのではあるまいか。

非自民政権が2年以上続くと役所はどう変わるか?

 タラレバの話ばかりをしても仕方がないが、93年の非自民政権がもっと長く続いたら、通産省という役所はどう変わっていただろうか?やはり組織を変えるのに10か月では短過ぎた。4人組事件も通産省の地盤沈下を進めただけといった論評も聞くが、そのことも中野先輩には聞いてみたいところだ。

 次期選挙で、国民が政権交代を選び、官僚機構の変革を望むのならば、最低2年間は非自民政権を続ける覚悟が必要かもしれない。2年あれば、予算を2回通し、事務次官人事も1度は行うことができる。その間に、無駄な組織や予算を徹底的に見直して、人事も活性化することで、官僚の意識や立ち振る舞いがどう変わっていくか。興味深い取材テーマである。

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