【コラム】判断力と決断力(下)―トヨタ自動車は国内シェア40%割れの危機をいかに乗り越えたか(2002-06-10:MKSアーカイブ)

 「国内販売シェア40%を死守する!」―95年8月の社長就任会見で奥田新社長が言った一言で、トヨタのシェア40%割れ問題が一気にクローズアップされた。他の新聞でも、トヨタの国内シェアが低下し始めていることに一斉に注目するようになったのである。それと同時に、トヨタ内部の緊張感が一気に高まった。

 いま振り返ってみると、奥田さんは社内の緊張感を高めるために、あえて社長就任会見の時にシェア40%問題を持ち出したのではあるまいか。円高を克服し、日米自動車摩擦もほぼ解決しつつあるなかで、ホッとした気持ちになるのも仕方がないところ。そうした状況の中で明確な目標を打ち出し、求心力を高める必要があると感じていたのではないか。

 記者会見が終わった後、大勢の記者が奥田さんを取り囲むなかに、私も加わり、「死守すると言っても、現在の市場の流れからみて、(死守するのは)無理じゃないですか?」と、かなり失礼な質問をした記憶がある。もちろん、奥田さんが無理を承知で「死守する」と言わざるを得ない立場にあることも承知していた。ただ、どうやってシェア回復を図るのか、その具体的な対策が、私には想像できなかった。

 奥田社長が就任して1カ月が経たない時期に、国内営業を総括する担当役員に取材するチャンスが訪れた。質問は、ただひとつ「シェア40%を回復するための対策は何か?」である。

 「自動車ユーザーの嗜好は多様化しており、それを反映して1台当たりの販売台数はどの自動車メーカーでも明らかに落ちている。いくら、トヨタが販売をテコ入れしたところで、シェア回復は難しいといわざるを得ないのではないか。どうやってシェア40%を回復するのか?」―そんな私の質問に対して、担当役員は大きくうなずきながら、事も無げに、こう答えた。

 「だから、販売車種を増やすことにした」

 新型車の開発費用は、1車種1000億円とも言われる巨大な投資である。それだけの投資をしても、売れるかどうかは販売してみなければ判らない。「自動車ビジネスは、バクチのようなもの」―自動車業界関係者がよく口にする言葉だった。

 バブル崩壊後、開発負担に耐えられずにいすゞ自動車が乗用車生産から撤退し、日産自動車やマツダなども売れない車種の統廃合を進めていた。さすがにトヨタは、車種削減は踏みとどまっていたが、円高克服のために車台や部品を共通化するなどでコスト削減を必死に進めている状況で、トヨタにも販売車種を増やす余裕はないと見られていたのである。

 確かに、1車種当たりの販売台数が減少するなかで、販売台数を増やし、シェアを上げるには、販売車種を増やすのが最も理にかなった方策ではある。ただ、それほど簡単な話ではない。一般的に新型車を投入した場合、販売店は目新しくて商品力の高い新型車を積極的に売るものの、その分、既存車種の販売が落ち込み、トータルではほとんどプラスになっていないケースが少なくない。

 つまり、販売車種を単純に増やすだけでなく、既存車種の商品力も底上げして、商品ライン全体を強化するとともに、強いと言われる販売力もさらに拡充する。もちろん、生産体制の見直しやコストダウンも不可欠であり、あらゆる対策を一気に進めなければシェア回復は難しいのである。

 それだけ難しい問題に対して、奥田さんは社長就任してすぐに抜本的な対策を打ち出し、私が取材に行った時にはもう“答え”が用意されていた。もちろん、その取材内容は日本工業新聞の1面トップで大々的に報道した。

 それから4年後、小型乗用車「ヴィッツ」を最初に、トヨタの新型車発売ラッシュが始まる。販売網も、モーター系列店を「ネッツ店」に転換して大幅に強化。それだけの対策を講じても、トヨタが国内販売シェア40%を回復するのに5年を要したのである。

 さらに、99年に奥田さんを引き継いだ張富士夫社長も、国内市場ではダイハツ(軽自動車)を含めてシェア40%確保、世界市場ではシェア15%という明確な目標を掲げ、事業拡大を進めている。

 トヨタのシェア奪回作戦は、確かに“力技”という面はあったが、市場の流れから見て最も“理にかなっている”戦略でもあった。理にかなった戦略だったからこそ、わずか5年でシェアを回復できたわけで、20年以上もシェアを落とし続け、最後は外資系メーカーに買収された日産自動車とは決定的に違うところである。

 「市場の流れを冷静に分析・判断し、理にかなった戦略を大胆に、そして躊躇なく決断する」―これこそが、奥田さんの凄さ。そう私は感じた。

(おわり)