昨年暮れからこの3か月間ほど、産業構造や国土形成の将来について考えさせられてきた。週刊東洋経済の記事執筆では建設業の将来を、住宅産業の業界研究本の執筆では住宅産業の未来を考える一方で、建設業にも多大な影響を及ぼす道路特定財源に関する国会の議論の様子を眺めていた。率直な感想を言わせてもらえば「現実逃避」という言葉に集約される。人間誰しも、現実から目を背けたいという思いはある。しかし、国民や従業員の生活に責任を持たなければならない政府、国会議員、キャリア官僚、企業トップが「現実逃避」していてどうするのか?

「現実逃避」で上滑り続ける議論

 先日、ある会合で政治家の話を聞いていると、こんな話が飛び出した。
 「国土交通省としても、将来に向けて交通システム全体のなかで道路をどう位置づけるのかを議論すべきとの声はある。しかし、道路局の力が強すぎて議論にならない」
 ある民間企業の識者とのインタビューではこんな話が出てきた。
 「交通システムのあり方は、まちづくりと直結している。まちづくりを議論せずに、道路を論ずることはできない。日本の自動車メーカーは、すでに20年先、30年先の需要予測を持っており、それに基づいて戦略を練っている」

 政治の世界は所詮、利権争奪の論理で動いていることは承知している。しかし、あまりに目先の利益のことばかりで、将来展望が語られていない状況に、国民の多くは失望感を抱いている。これからの少子高齢化社会における国づくりのビジョンも国民には十分に示されてはいない。それなのに高速道路の建設だけは10年先までどんどん決まっていく。誰だって違和感を覚えるのは当然だろう。

 「地方には道路が必要との声は圧倒的だ」―道路建設の推進派は、必ずそう反論する。確かにそうではあるだろう。各都道府県の経済や雇用に責任を持っている首長にしてみれば、道路ができるメリットは大きい。しかも高速道路なら建設費は国で負担し、将来的な維持管理も高速道路会社に任せれば良いわけで、「絶対に必要」と声を張り上げるのは首長の立場なら当たり前のことである。同様に、建設業界が道路特定財源堅持を訴えるのもある意味、仕方がないところだと思う。

 問題はそこからだ。どのようにして将来に向けて、最善の解決策を導き出すのか。これまでの議論を聞いていると、双方が相手の土俵に上がらないようにしながら平行線の状況が続き、このまま暫定税率を維持して道路を作り続けるという決着も可能な状況だ。ただ、それでは前回の衆院選挙で大都市圏を中心に圧勝した自民党も次回の選挙で戦いにくくなる。最後は足して二で割った、いかにも日本的な決着となる公算が高そうである。

人口減少社会でも日本は経済力を維持できるのか?

 今、日本に”足して二で割る”ようなやり方を続けている余裕はあるのだろうか。

 日本の人口は2005年でほぼピークを迎え、ついに人口減少社会に突入する。明治維新をきっかけに始まった産業革命で、日本の人口は3500万人(明治5年=1872年)から1億2700万人へと、130年間で3.6倍に増加し、それが世界的に見ても高い経済成長を支えてきた。その人口増加がストップしたあと、国はどうなっていくのか?

 産業革命による人口爆発と植民地競争が収束したあとの欧州先進国では、大英帝国の凋落、ファシズムの台頭、2度の世界大戦を経て、EU(欧州連合)の誕生へと繋がっていく。それでなくても、今後は資源問題や食糧問題が深刻化していく時代である。日本でも労働力不足で移民問題が生じてくるだろうし、近隣では必ずしも日本の論理が通用するわけではない中国やロシアなどが力を増している。日本でも従来のやり方の延長線上では経済力を維持できなくなるのは覚悟する必要があるのではないか。

 話は横道に逸れるが、サブプライムローン問題に関連して米国の住宅市場について意見交換するときに、私が「米国の人口がついに3億人を突破した」という話題を持ち出すと驚く人が結構多い。日本の人口が1億人を突破した1970年に、米国は2億人を突破。80年は日本が1億1700万人に対して米国は2億2700万人、90年は1億2400万人に対して2億4900万人。長い間、「日本の人口の2倍=米国の人口」という図式が続いてきたからだろう。

 しかし、米国では90年代に入ってヒスパニック系住民の人口が急増。2000年の人口は日本が1億2700万人で頭打ちとなる一方で、米国は2億8100万人。3月1日15時(日本時間)時点で、米国商務省のセンサス(国勢調査)の人口時計(http://www.census.gov/2010census/)を見ると、米国の人口は3億353万人。この8年間にも約2000万人もの人口増加があったことになり、米国の住宅市場の拡大も人口増加による旺盛な個人消費に支えられてきたわけである。

客観的な事実を積み重ねていく議論ができないものか…

 人口は増えていないのに、ワーキングプアのような所得格差問題も生じ始めている。先進国のなかで日本の経済成長率は最低レベルで、今年に入って株価が低迷を続けていても、日本政府は有効な対策を講じようとしないし、企業からも切実感が伝わってこない。なぜ、将来に目を向けて、今、日本にとって必要な対策を講じることができないのだろうか。

 道路のような利害が対立する問題を議論するうえで重要なのは、やはり客観的な事実を積み上げていくことだ。道路需要予測にしても、第三者機関が中立的に行うことが必要不可欠であり、その評価方法も全て公開するのは当然である。さらに道路だけを見るのではなく、交通輸送システム体系全体を見た議論も必要だし、道路をどのように活用して地域の活性化やまちづくりを進めていくのかといった具体的なビジョンも示していく必要がある。

 2018年には道州制が導入されるスジュールとなっているようだが、そうした社会の変化をどう織り込もうとしているのか。道州制になったときの道路行政は、道路局や河川局は道州ごとに分割して必要な整備や管理を行っていけば良いだろうし、日本全体のネットワークは道路だけでなく、鉄道、空港、港湾などを統合して交通輸送システム全体を考える部門がひとつあれば十分だろう。 道州制が導入されるまでの10年間、国で道路が作れる間にできるだけ作ってしまおうという思惑があるのかもしれない。

 先日も、国土交通省(旧建設系)の幹部と話をしていると、羽田空港の外資規制の話題になった。発端は、羽田空港のターミナルビルを所有する日本空港ビルデングの株式20%弱を豪州のマッコーリーが取得したこと。幹部が「やりすぎだったかなあ…」と聞いてきたので、「当然でしょ」と答えると「運輸系にとっては重要な天下り先だから…」と思わず本音がポロリ。日本の国益と天下り先確保のどちらを優先するのか。政治家も見抜けないわけではないだろうが、どう決着させるのかは見ものである。

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