【建設】姉歯事件が生んだ改正建築基準法に「役人が焼け太りするだけ」との声(2007-07-05:日経BP)

 

姉歯秀次・元建築士やヒューザーなどが引き起こした耐震強度偽装事件が発覚してから1年半前。建物の安全性確保を目的に大幅に強化された建築基準法が2007年6月20日に施行となった。建築着工前に設計図面などをチェックする建築確認に、新たに構造計算適合性判定制度を導入するなど、建築確認や工事検査を厳格に運用する。

 消費者にとって、建物の安全性が確保されるのは歓迎すべきことだ。しかし、規制を強化された建築業界は大混乱。建築価格の上昇や建築の自由度の制限など、思わぬ“副作用”を消費者も覚悟する必要がありそうだ。

実態が分からないまま施行となった改正建築基準法に、とまどう建設業界

  改正建築基準法が施行となったあと、建築確認申請の数が激減している。ある民間建築確認検査機関の役員はこう話す。「直前の6月19日までは駆け込み申請が殺到した。しかし、20日以降は建築業者も建築確認検査機関も手探りの状態。法施行から1週間たっても、まだ1件も正式に受理していない」

  理由は簡単。明らかな準備不足だ。建築確認・検査の実務に関するガイドラインやチェックリストなどを国土交通省が示したのが、法施行日の直前の6月19日。構造計算を厳格にするために導入する大臣認定プログラムも、まだ1本も合格していない状況。業界から「猶予期間が必要」との声も出ていたが、法律通りに運用が始まってしまった。

  「とにかく始まってみないと、どんな影響が出てくるのかも予想ができない」―この3カ月、建設業界の関係者からは異口同音に戸惑いの声が上がっていた。

  建築基準法は、昨年の通常国会で改正され、1年以内に施行となることが決まっていた。しかし、実務に影響する政省令・告示を国土交通省が公表し、出そろってきたのは今年3月になってから。4月上旬に日経BP社の専門誌「日経アーキテクチュア」が特集して実務面での影響が具体的に明らかになってくると、その影響の大きさに業界は騒然となった。

 「個人経営や中小の設計事務所や工務店の淘汰(とうた)が、一気に始まるのではないか?」(建築確認検査機関幹部)、「工事の設計変更がやりにくくなると、企業収益にも影響が大きい」(ゼネコン役員)、「工事監理などの技術者の奪い合いが熾烈(しれつ)化する」(大手ハウスメーカー)―さまざまな観測が飛び交い、業界は右往左往。

  「いくら何でも業界側の準備が間に合わない」―さすがに5月末になって日本建築構造技術者協会が、国交省に対して、数カ月の経過措置を強く求める要望書を提出した。しかし、国交省は「法律が施行となれば、厳格に運用する」(住宅局建築指導課幹部)との姿勢を崩さぬまま施行日を迎えたのである。

 運用を厳格に、申請書類の訂正は原則として認めない

 そんな状況だから、国交省は、建築基準法改正の影響について消費者に具体的な説明をほとんどしてこなかった。消費者は、建築確認検査が厳格に運用され、万一瑕疵が生じた場合でも保険でカバーされる制度が新しく導入されて、「建築物の安全性も高まるのだろう」というぐらいにしか考えていないかもしれない。しかし、国が一律に規制を強化すれば、当然いろんなところに影響が噴出することになる。

  なぜ建築確認検査を厳格に運用するだけで“副作用”が懸念されるのか? その辺の事情を理解するには、基準法の改正の中身を多少知る必要がある。

 「今回の改正で、建築基準法の中身は基本的に従来と変わっていない。変わったのは運用に関する部分」(住宅局建築指導課)。先の耐震強度偽装事件では、建物の安全性をチェックする建築確認検査制度の運用の盲点を突いてデータの偽装が行われたからだ。建築確認検査機関に申請書類を提出した後であっても、書類・図面に不備があった場合に、設計事務所や建設会社が訂正したり、差し替えしたりすることができた。従来は、フレキシブルな運用を認めていたわけだ。

 マンション開発業者の場合、設計や確認申請にかかる期間を少しでも短縮するため、設計が確定していない段階で確認申請を行い、審査期間中に図面を差し替えていくという手法が常態化。姉歯元建築士も、後で差し替えるつもりだった書類が審査を通過したことをきっかけにデータ偽装に手を染めたと言われる。

  今回の制度改正によって、一度受け付けた確認申請書類の訂正は、誤字・脱字程度は認めるものの、不整合部分があった場合には即座に却下。最初から手続きをやり直さなければならなくなった。建築確認の審査期間も延長する。従来は大規模建築物でも21日以内と定めていたが、これを35日にする。6階建て以上の建物については、構造計算の二重チェックを行うため、最大70日まで延長する。

  建築確認審査後の現場監理や設計変更手続きも厳格にする。建築工事の途中で実施する中間検査や工事完了後に実施する完了検査も、図面と照合して厳格に行なう。計画変更の申請が適正に行われていなければ、完了検査に合格したことを示す「検査済証」を交付しない。改正建築基準法は同時に、不合格の報告書も特定行政庁(建築指導主事と呼ばれる役人を置いている地方自治体のこと)に提出するようにする。これによって、検査済証が交付された建築物かどうかを消費者が確認できるようになる。

 技術者不足が中堅と中小零細の業務を直撃する可能性

  「改正建築基準法が施行となれば、建物の安全性を確保している点を、消費者にアピールできる。すでに建築確認済みの物件でも、6月20日以降にもう一度、確認申請を出すことにした」。マンション建設で最大手の長谷工コーポレーションは、法改正を利用したマーケティング戦略を打ち出した。

  改正法が施行となる前に、マンション事業者を集めて説明会を開催。新しい制度の内容を説明したうえで、建築コストが上昇することを通告。「資材価格が高騰したぐらいではコスト増に応じなかったマンション事業者さんも、今回は仕方がないと納得した様子だった」(長谷工コーポレーション役員)。

  現場監理の規制強化に対応して技術者の新規採用に奔走しているのがハウスメーカーだ。多くの営業担当者を抱える一方で、技術者は営業所単位の配置ですませるなど効率化していた。このため、今回の法改正で技術者不足が表面化。「大手はOBの技術者をかき集めることで何とか対応できそうだが、中堅以下では集まらないところもあるだろう」(大手ハウスメーカー幹部)。いずれにしても人件費アップは避けられないところだ。

  最も打撃が大きいと懸念されるのが、個人の設計事務所や中小・零細工務店である。「建築士が1 人で作成した確認申請書類には、どうしても10〜20カ所の修正が出る。これは仕方がないこと」(建築確認検査機関)という状況にもかかわらず、今後、不備のある確認申請書類が一切受け付けられなくなると、中小・零細業者は経営が立ち行かなくなってしまう。

  そうした事態を想定して、申請受付前の事前チェックサービスを開始した民間確認検査機関もある。だが、法改正によって技術者不足が深刻化するなかで、どこまでフォローできるかは不透明だ。

 消費者に跳ね返る建築コストのアップ

  消費者にはどのような影響が予想されるのか―。

  まず、建築コストの上昇は避けられない。これまでゼネコンは、マンション事業者の要求に従って、構造躯体の無駄をできるだけ省いた設計で建築コストを削減してきた。建築確認申請時に強度不足が指摘されても、従来は図面を差し替えて対応することができたからだ。

 ところが、今後は不適合が見つかれば、その時点で申請は却下され、最初からやり直しとなる。確実に審査に通るよう強度に余裕を持たせた設計を行うようになれば、当然コストは上昇する。

  さらにゼネコンは、施工段階においてもコスト削減のための設計変更を実施してきた。改正法の下では、設計変更の手続きも厳格化されてやりにくくなる。いずれにしても、改正法に基づくマンションが登場する1年〜1年半後には、建築コストアップがマンション価格に影響するのは避けられそうにない。

 工事完了検査済証が資産価値を決める

 これまで消費者があまり気にしていなかった工事完了検査の検査済証にも注意が必要になるだろう。改正法の下では、完了検査に合格した建物と不合格になった建物の情報を、共にデータベースにまとめる。不動産取引のときには、消費者がこの情報を参照するようになるため、検査済証の有無が住宅の資産価格に反映することが予想される。

  従来は、完了検査を受けた建物はほとんど合格していた。不合格が予想される場合には、最初から検査を受けなかった。しかし、改正法を厳格に運用した場合、「これまで合格していた建物でも、途中の設計変更で斜線規制や容積率が問題となって不合格通知を報告せざるを得なくなる建物が増えるだろう」(建築確認検査機関)。

  もし消費者が発注した注文住宅が完了検査で不合格となった場合、「請負契約を解除して建物を引き取らないという消費者が出てくるのが一番、心配だ」(工務店関係者)との声も出ている。国土交通省に確認すると、「建築業法上は規定がないためため、裁判で争われることになるだろう」(総合政策局建設業課担当者)とのトラブルが急増する可能性もある。

  発注者は工事の途中でも、建物の使い勝手をより良くするために設計変更を指示することは当たり前だった。しかし、設計変更の手続きが面倒になり、工事ストップによる工期延長、コスト増、完了検査の不合格リスクなどを理由に拒否する工務店が出る可能性がある。建物が完成して引き渡した後に、消費者が手直しを要求して、無駄やトラブルが増えるかもしれない。

  このほかにも、構造計算チェックが厳しくなるため、「複雑で凝ったデザインの建物を作りにくくなる」(設計事務所)とか、すでにある建物に増築する場合に「建物全体の安全を保証できないので、建築確認の合格をできるだけ下ろしたくない」(建築確認検査機関)と反応する確認検査機関が現れるなど、様々な影響が懸念されている。

 「安全な商品にしろ!と望んだのは国民だ」

 建築コストの上昇など様々な“副作用”が生じる可能性が高いことを、国交省住宅局の幹部に問いただすと、「ショーケースに並んだ住宅のどれを買っても安全な商品にしろ!と望んだのは国民だ」との答えが返ってきた。

  今回の法改正によって、住宅の専門知識が全くない国民も、安全な建物を買うことができるようになるのか? 

 「かつて自動車業界だって、メーカー存亡の危機と言われるほど厳しい排ガス規制をクリアして大きく成長した。住宅産業も、困難を乗り越えて強くなってほしい」。住宅局幹部はさらに、住宅産業を自動車産業にもなぞらえた。

  成長段階にあった自動車産業ならば、規制も乗り越えられる。しかし、中小・零細業者が多く、人口減少社会に突入して斜陽化しつつある住宅産業が乗り越えられるのか? 結局は、規制強化のツケを消費者が支払うことになるのではないか。

  確かに建物の安全性確保は必要不可欠である。しかし、住宅ストック時代を迎えた現在、安全性を重視するのなら、既存の優良な建物を評価できるようにして、欧米のように中古住宅市場の活性化を促進するのが合理的な考え方である。

  今回の建築基準法改正で、建築確認検査機関の需要が増大。建築指導主事など役人OBはどこでも引っ張りだこだ。2年以内には瑕疵担保責任保険の保証機構も設立され、役人の天下り先が新たに増える。「国の規制強化だけに頼るのでは、役人が焼け太りするだけ」(国交省OB)との言葉が、今回の法改正の効果を最も的確に言い当てているかもしれない。

<写真説明>(写真は紛失)

 建築物のつくり方を細かく規定した建築基準法の関係法令集。新旧の違いは一目瞭然。阪神大震災前の1994年版は厚さ4センチだった。最新版は上下2刊で、厚さは合わせて10センチ。規制強化の跡を示している。