和歌山県トンネル工事、名古屋市営地下鉄工事、大阪府枚方市清掃工場工事など数々の談合事件への関わりが発覚した大林組が4日、大林剛郎会長兼CEO(最高経営責任者)の取締役への降格と、脇村典夫社長の引責辞任を発表した。後任の代表取締役社長には、白石達専務執行役員が就任する。「危機的状況を打開するため人心を一新する」(大林会長)との状況にありながらも、「求心力が必要」(脇村社長)と創業家の大林会長が取締役に留任する理由は何か?
同族経営だらけのゼネコン業界
 
 ゼネコンには驚くほど同族経営が多かった。ゼネコン危機が表面化する1997年以前、創業家が会長、社長などの経営中枢にいたゼネコンは大手、準大手計16社のうち、実に11社もあった。当時の資料を調べてみると、下記のような状況である。
 
 大手5社では鹿島(鹿島昭一相談役、石川六郎名誉会長=2005年死去)、大林組(大林芳郎会長=2003年死去))、竹中工務店(竹中統一社長)、準大手11社では熊谷組(熊谷太一郎社長)、フジタ(藤田一憲社長)、佐藤工業(佐藤助九郎会長、佐藤嘉剛社長)、戸田建設(戸田順之助会長、戸田秀茂副会長、戸田守二社長)、五洋建設(水野廉平会長兼社長)、前田建設(前田又兵衛会長、前田靖治社長)、東急建設(五島哲社長)、飛島建設(飛島斉社長=94年退任、2006年死去))。準大手以下を見ても、鴻池組(鴻池一季会長兼社長)、長谷工コーポレーション(合田耕平社長)、奥村組(奥村武正会長、奥村正太郎社長)、青木建設(青木宏悦会長)、錢高組(錢高一善会長兼社長)と、ずらり創業家が並んでいた。
 
 これほどまでにゼネコンに同族経営が多いのには何か理由があるのではないか―。誰もがそう考えて不思議ではないだろう。
 
 よく聞くのは、ゼネコンの営業形態が請負方式であることに起因しているとの仮説である。自動車や家電製品のように、完成品を比較して選ぶことができない建設工事の場合、発注者がゼネコンを選ぶポイントはどうしても過去の”実績”となる。しかし、どのゼネコンも最初から十分な実績があるわけではない。そのときに頼りになるのが「地縁・血縁」というわけだ。
 
 さらに実績を積むためには、時として思い切った赤字受注も必要になる。かつて鹿島が社運を賭けて、原子力発電所や超高層ビルを手がけ、それが同社発展の基盤になったと言われる。最近でも、土木主体で、超高層ビルや都市開発事業の実績が乏しかった前田建設が”戦略的受注”と位置づけて赤字受注を決断したケースがあった。確かにそうした思い切った経営判断は、サラリーマン経営者では難しいかもしれない。
 
ゼネコン危機で引責辞任はしたが…
 
 そうは言っても、会社設立当初は、ゼネコンに限らず、どの企業でも同族経営からスタートするもの。代を重ねるうちに権力争いや経営手腕などの問題が生じて創業家が経営から退いていく企業が増えていく。竹中や鹿島のように100年以上も創業家が経営の中枢を担い続けるのは他の業界ではそう多くはない。
 
 さすがに同族経営が多かったゼネコンも、90年代後半からのゼネコン危機によって、法的整理に追い込まれた佐藤工業と青木建設、債務免除など私的整理となった熊谷組、フジタ、東急建設、飛島建設、長谷工の計7社では、経営責任を取って創業家出身の経営者が辞任した。
 
 しかし、それ以外で創業家が退任したのは一時期、株価が大幅に下落して経営危機が表面化した五洋建設の1社だけ。創業家が経営に深く関わっているゼネコンはいまだに多く、表面的には経営から退いた創業家との関係が続いているケースもあると聞く。
 
 やはりゼネコンの経営にとって創業家の存在はそれほど大きいものらしい。
 
「経営と資本の分離」と発言した大林組社長
 
 大林組は、創業家の大林芳郎氏を引き継いだ津室隆夫元社長が、97年に向笠慎二副社長を後継社長に指名した。そのときの記者会見で、当時筆頭副社長だった大林剛郎氏を社長にせずに副会長とした理由を聞かれ、こう答えた。
 
 「経営と資本を分離するということです」
 
 この発言について、当時から業界内では「額面どおりには受け取れない」との見方が少なくなかった。かつて鹿島が創業家の鹿島昭一氏を社長に据える前に、いったん副会長にしてから社長にするという奇策(?)を用いたことがあったからだ。
 
 津室発言の真意を大林芳郎氏に質そうと取材を申し込んだが、広報のガードがとにかく堅く、会わせてもらえない。ようやく業界団体のパーティ会場で、芳郎氏を捕まえることができ、津室発言について尋ねると、一言。
 
 「まっ、そういうことだ…」
 
 すでに芳郎氏も80歳を超え、手術のあとの闘病生活からようやく復帰したばかりの頃だった。その言葉を私自身は、「大林組もポスト芳郎を見据えて、徐々に同族経営から脱皮していく」と解釈した。
 
 実際に向笠氏が社長だった4期8年は、攻めの経営戦略を展開し、三菱地所の丸ビル、森ビルの六本木ヒルズなどの大型案件を次々に落札。メディアへの対応も、以前に比べてオープンになった印象があった。
 
 その一方で、2001年に大成建設の平島治前会長が、ゼネコン最大の業界団体である日本建設業団体連合会の会長に就任するとき、建築業協会の後任会長就任を向笠氏に依頼したことがあったが、最後まで大林芳郎氏が許さなかったと言う。その当たりのグリップは効かせていたのだろう。
 
創業家会長がなぜCEOになったのか
 
 大林芳郎氏が2003年に逝去する直前に、芳郎氏が名誉会長になり、副会長だった剛郎氏が会長に就任した。このときの発表はプレスリリースが配られただけで、ほとんど話題にもならなかった。ところが2005年の社長交代で、向笠氏から脇村典夫氏にバトンタッチするときに、突然、剛郎氏が会長兼CEO(最高経営責任者)の肩書きで経営の表舞台に登場してきたのである。
 
 脇村氏の引責辞任会見の翌日付け日経新聞のコラムによれば、経営責任の火の粉がかからないように芳郎氏は剛郎氏を社長に据えずに副会長にしたと解説していた。しかし、そうであるなら、なぜ2年前に社長経験のない剛郎氏がCEOに就任したのか?10年前よりも2年前の方が明らかにゼネコンを取り巻く環境は厳しくなっていたはずである。
 
 鹿島は、鹿島昭一氏の後を、創業家以外から初の社長となった宮崎明氏(旧建設省OB)が引継ぎ、その後、梅田貞夫氏(現会長)、中村満義氏と創業家以外の社長が続いている。その間も、石川六郎氏とともに鹿島氏は取締役相談役として経営に深く携わってきた。大林剛郎氏も、CEOに就任せず表舞台に登場しなければ、今回の不祥事でも会長を辞任することもなく、記者会見の席で厳しい質問を受けることもなかったかもしれない。
 
 大林剛郎氏のCEO就任が自ら望んだことなのかどうかは存じ上げないが、これだけの不祥事を起こしていながらも、創業家であるという理由だけで、最高経営責任者が形式ばかりの責任を取って済ませようとする企業にガバナンス(統治)が働いていると言えるのだろうか。
 
ゼネコンに同族経営が多い理由に関する仮説
 
 ゼネコンに同族経営が多いのはなぜか―。この問題を取材するなかで、次のような仮説に至った。
 
 「談合などの脱法行為を会社のためにやり続ける体制を維持するためには、万一の時も擁護してくれる永続的な権力者=創業家が必要だったからではないのか…」
 
 ゼネコンの経営は、表と裏の両輪で回ってきた。人間誰しも脱法行為と批判されるようなことはやりたくない。しかし、ゼネコン業界では、談合などの脱法行為が「必要悪」として続けられてきた。
 
 もし脱法行為が発覚して責任を取らざるを得なくなった場合でも、担当者には罪を被って会社を去っていってもらわなくてはならない。そのときに会社が彼らの「骨を拾う」という暗黙の契約がなければ、誰も会社のためと思って脱法行為などしないだろう。
 
 その暗黙の契約を履行することが創業家の力の源泉ではなかったのか。大林組の社長交代会見でも、自らの会社を「家庭的な雰囲気の会社」とおよそ場違いな表現で評していたが、創業家を存続させることが社員にとっても都合が良いということか。それが「求心力」の正体なのかもしれない。
 
 2006年に改正独占禁止法が施行されたことで、ゼネコンでは、表の経営とは無関係を装いながら裏で談合などの脱法行為が行われてきた実態が改めて浮き彫りになった。確かにこれまでは談合や贈収賄事件が発覚しても、直接事件に関わっていなければ、企業トップに責任に及ぶことはなかった。
 
 果たしてそのような対応で本当に脱法行為を排除することができるのか―。企業トップが責任を明確にすることが、脱法行為をしても会社は救済しないとの厳しい姿勢を示すことになると思うのだが…。

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