清水建設が10日に行った社長交代会見に出席した。4期8年(正確には8年3か月)在任した野村哲也社長から、宮本洋一専務に6月の株主総会後にバトンタッチする。会見で野村社長は「完全に不良債権処理を終えることができた」と在任期間を振り返ったが、それを引き継いで宮本新社長はどのような舵取りを行うのか。バブル期から90年代前半までゼネコン首位だった清水建設が攻勢に転じることはないのか。
 現役記者を離れて、すっかり勘が鈍ってしまったようだ。4月26日に開催された日本土木工業協会など関係団体の年次総会のパーティ会場で、野村社長に会ったとき、思い返せば明らかに様子がおかしかったのに見抜けなかったからだ。
 
 8年前、今村治輔前会長から野村氏への社長交代は4月1日付けで行われたため、今回も4月とばかり思い込んでいた。それを過ぎたこともあって、間抜けにも「野村さん、今回、社長続投を決めた理由は何ですか?」と話しかけてしまったのだ。
 
 いつもは落ち着き払った野村社長が「今日は用事があるんだ。失礼するよ」とそそくさと立ち去っていった。「なんか様子がおかしいなあ」とは思ったが、現役時代ならピンと来たかもしれない。いまさら(スクープを)抜いた抜かれたの世界ではないが、もう少し緊張感が必要だと反省した。そんな反省を踏まえて、少し感じたことを書かせてもらう。
 
 「93年のゼネコン汚職事件で、吉野照蔵会長(当時)が逮捕され、日本建設業団体連合会(日建連)会長の座も辞職に追い込まれたことが、トラウマになっているのではあるまいか?」
 
 清水建設には、そんな印象を抱いてきた。バブル全盛期の清水建設を直接は知らないのだが、当時は大手ゼネコンでトップの売上高を誇っていた。民間建築を得意とする清水が2位以下を引き離していたとも聞く。その清水がバブル崩壊とゼネコン汚職事件のあと、トップの座から滑り落ちた。
 
 企業経営者なら、ここでトップを奪還すべく攻勢に出ようと思うところだろう。ところが、清水建設からは失礼ながら「何が何でもトップを奪い返そう」との気迫をあまり感じたことがないのである。
 
 過去5年間をみても、東京では、丸ビル、六本木ヒルズ、日本橋三井タワー、東京ミッドタウンなど、モニュメント的な高層建築物をめぐって大手ゼネコンの間で激しい受注合戦が展開されてきた。その中で清水建設が受注した目立った物件は、六本木の泉ガーデンと汐留の日本テレビタワーぐらいしか思い浮かばない。昨年(06年)になって、大手町合同庁舎跡地の再開発物件を受注したことが大きく話題になったほどだ。
 
 2003年に創業200周年を迎えたときも対外的に目立つことはほとんど行わなかった。メディアからも200周年の節目で社長取材の申し込みが数多くあったようだが、全て断ったと聞く。とにかく派手な行動は極力避けようとしているように見えた。
 
 バブル崩壊後、不良債権処理に重点を置きながら、技術力の高さと地道な営業活動によって、大手5社の一角として他社に劣らない受注金額を確保してきたのはさすがではある。いまや売上規模を競う時代ではないとは言っても、08年3月期の連結売上高予想では大林組にも抜かれ4位となる見通し。果たしてこれまでの守りの姿勢で、今後の激しい受注競争を勝ち抜いていけるのだろうか。
 
 「清水建設が名誉を回復するには、任期半ばで辞任した日建連会長の座に再び就任すること」―業界内では、以前からそんな指摘があった。日建連会長は、93年暮れに急きょ、前田建設工業の前田又兵衛会長(当時)が吉野氏のあとを引き継いだ。
 
 その後、2000年に清水建設の今村前会長が就任する動きもあったが見送られ、2001年に大成建設の平島治前会長、2005年に鹿島の梅田貞夫会長へと引き継がれてきた。清水にとって懸案となってきた吉野元会長の裁判も2006年1月に最高裁で有罪が確定し、日建連会長に復帰する障害は取り除かれている。
 
 2年後の日建連会長の改選では、日本土木工業協会会長の葉山莞児大成建設会長と、建築業協会会長の野村哲也清水建設会長の一騎打ちになるのは間違いない。果たして清水が建設業界における存在感を示して日建連会長を取りにいく気持ちがあるのか。
 
 そうした問題を含めて、清水建設の進むべき道を宮本新社長はどう考えているのだろう―。記者会見を聞きながら、そんなことを考えていた。

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